頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です。WORLD END ECONOMiCAアニメ化のCFを応援しています。

サイレントマジョリティという言葉が嫌い

もともとは政治局面で使用されていた用語ですが、最近ネットでも使われるようになってきた気がします。ただ、言葉を使う人がよくわかってないのか、クソみたいな使われ方をしてると思うんですよね。

 

https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E8%A1%A3%E8%89%AF

 

ネットでは作家の石田衣良さんが言い出したことで注目を集めた言葉だったと記憶してます。彼のニコニコ大百科もそれを揶揄する内容になってますね。

 

詳細は記憶してませんが、最初この言葉が出てきたときはめちゃくちゃ批判されまくってたにかにたいして「私の意見に批判が目立つけどサイレントマジョリティーは支持してくれてるはず」というような文脈で使われていたと記憶している。

 

この言葉は誕生したときから常に同じ使われ方をしており「批判する人間にラウドマイノリティというレッテルを貼り自分たちを有利にするため」の詭弁論法になっています。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3

 

もちろん可視化されていなかったり、統計では反対意見が多いと示されているにもかかわらず、実際には支持を受けていたという事例は多くあります。

 

例えばトランプが賭けサイトの数字を覆して大統領選挙に勝利したときにホワイトベルトの労働者層などに「隠れトランプ支持者」が大多数いたことはよく知られてますよね。

 

いまでも、リベラルやフェミニズムなど、ポリコレの声が暴威を奮っていたときに「批判がしにくいだけで、大衆はそれほどポリコレを積極的に支持していないのでは?」なんて言説もありました。

 

 

ただ、サイレントマジョリティ論を主張するときに考えないといけないのは「マジョリティは賛成者が多いはずだという前提には全く根拠がない」ということです。

 

サイレントマジョリティという言葉自体は、本当は「可視化されているものだけで自分が支持されているかされていないかを判断することはできない」という当たり前のことを述べているにすぎません。

 

にも関わらず、この言葉は必ずと言ってよいほど「可視化はできないが自分たちは大衆に支持されている」という確信のもとに発されます。もっと言えば「批判してるやつはラウドマイノリティということにしたい」という願望に基づいて発されています。

 

それただの願望であって呪いでしかないですよね。「批判してきているのは無名の人間の嫉妬ですよ」というのと同じ。最初から現実無視して自らを慰撫するだけの言葉です。つまりこの言葉を「支持者とアンチの切り分け」に使ってる時点で自慰=オ○ニーやってるわけです。

 

別にこの行為悪いって言ってるわけじゃないですけど、ドヤ顔で「わたしサイレントマジョリティ。あなたラウドマイノリティ」みたいな言葉を他人に向けて使うのはマジで恥ずかしいからやめてほしい。

 

 

そもそもこの言葉、声を上げるマイノリティを揶揄するために便利すぎるという意味でも使用をためらうべき言葉だと思ってます。

 

当たり前ですが、大抵の場合はマジョリティーのほうが声がでかいです。マイノリティはなかなか声を上げられません。いままで目立たなかったマイノリティが目立ち始めるときは、なにかしら社会的変化が起きているときです。マイノリティが声を上げているから良いことだというわけではなく、それ自体の評価ニュートラルであるべきです。

 

 

自分がマジョリティかマイノリティかを、やたらときにして、かつ声もあげないくせに自分側がマジョリティであればそれが正しいことだと思いたがる。そういう人にはとても便利な言葉なのかもしれませんが、

 

基本的にサイレントマジョリティというのは一言でいうと「何もしなくてもマジョリティというたちばでいられることに安住してる人」でしかありません。良い意味でも悪い意味でもありません。というか特に意味がない言葉です。会社で言えば「(派遣に対する)正社員の人」くらいの意味合いしかないです。それをプロパガンダやマウントに使ってる人がいるだけね。

 

マジョリティという安心感自体が脅かされてるから、逆にこういう言葉で自分がマジョリティであることに意味を持たせようとしてる人が多くなってるのかなと。

 

 

国家の政治に関する話でもない限り、現代の殆どの事象は実は圧倒的な無関心層が主体であり、関心があったとしてとほぼ中立です。

対立的な議論において、自分たちをマジョリティの立場において思考すること自体あまりにも現実認識が拙い。

 

自分こそが多数派だと思って過激な物言いをする人は、主張の是非に関わらず忌避されます。ビジネスで目立つために過激な物言いをする人は、しょうもない二項対立モデルに依存してありもしないサイレントマジョリティを夢想するのではなく、ちゃんと自分を支持してくれる層を伸ばすことに専念したほうがいいんじゃないでしょうか。