「ラノベ好き書店員大賞2019」で優勝した作品のコミカライズを、「未来日記」のえすのサカエさんが担当というぜいたくな作品。前作「ねじまき精霊戦記アルデラミン」も壮大な世界観のもとできちんと戦記もののストーリーを描き切り、最終的にSF要素も絡んでくる非常に面白い作品だった。ので本作も期待している。
ハリーポッターのような「魔法学園もの」ではあるが、和洋折衷でより多様性を感じさせる
主人公オリバーは優秀な学生だが、圧倒的に強いのではなく同級生と高いレベルで拮抗しており、協力して戦う展開になっている。
同級生たちはいろんな出自を持っておりそれぞれ能力も多様であるし、先輩や先生たちも曲者ぞろいであり、学園内だけでも相当懐が広い。さらにその先には戦うべき敵も存在し、広大な世界観をちゃんとイメージして作品が作られていると感じる。
そんな中でどうやって主人公たち一行が成り上がっていくかがポイントになる。
上ではハリーポッターみたいと書いたが、ファルコムの大作RPG「閃の軌跡」シリーズが好きな人には、同じような感じの作品であり、その上で能力バトルに特化してるよっていえば伝わりやすいかな。
前作「アルデラミン」は面白かったが立ち上がりが遅い点だけがちょっと悩ましかったけれど本作はそれ以上にエンタメ要素が強化されており、しょっぱなからド派手なバトルが見開きコマで展開されて飽きさせない。えすのサカエ先生はもともと漫画コマを豪快に使う人であり、主人公の性格も今までのえすの先生の作品の主人公キャラに近いため、非常に相性の良いコミカライズだと思われる。実に楽しみ。
学園内で人権派と保守派(差別肯定派)の争いが起きる
See how it feels to be the prey…
最初に主人公パーティーが立ち向かうことになったのは人種差別をめぐって学園内でお互いに暗躍している存在がいる問題への対処だった。
元々人権派・保守派それぞれが対立しておりピリピリしていた。
人権派に属するオリバーの仲間・カティが目立ったことで
多数派である保守派が、彼女を嘲笑したり危害を加えようとしてきたため、
主人公パーティーは彼らと喧嘩をしたりもした。
しかし、決定的だったのはお互いの陣営からもう片方を攻撃する事件が起きたことだ。
この事件をしかけた犯人が誰かもわからぬ状態で両者の対立は本格化する。
うん、今アメリカ合衆国大統領選挙やらフェミアンチフェミやらで
お互いが分断してヘイトやデマが飛び交ってる状況をほうふつとさせますね。
本作の場合、犯人は人権派でも保守派でもなかった。にもかかわらず学園内は踊らされて二つの陣営に分断させられた
犯人は人権派でもあり保守派でもあったし、人権派でも保守派でもなかった。
一言でいうと狂人だった。
犯人は、所属としては「人権派」だったが人権派を名乗りながらも擁護するべき被差別者たちをどんどん殺していた
この犯人の中では「差別されてる人への愛やら多様性を語りながら」「差別されている人間を虐げる」ことが両立していた。「差別解消のためには、差別されている対象は知性を獲得せねばならない。そのために今差別されているものは犠牲になるべきだ」と考えていた。それが被差別者への愛だと思っていた。
フェミニズムで言うならば、「女性差別には反対で女性差別をなくしたい」からこそ「女性はもっともっと弱者でなくてはいけない」「女性はもっとひどい目にあうことによって自分たちのようにwokeしなければならない」と思い込んでいるようなものだ。
こういう人物に学園のみんなは踊らされていたということなんですね。
さらに面白いことに、この「狂った人権派」には「保守派」の教師が協力していた
生徒たちがみんな「人権派」か「保守派」かと左か右かで考えていた時、上層部の人間は「下にいる人間たちは全員自分のエサに過ぎない」と考えて左も右もなく協力しあっていた。あくまで対立はただのポーズでしかなかった。
…と、まぁこんな感じです。
人権派か保守派か、なんて世の中が単純に二つに綺麗に分かれてるわけじゃないってのが非常にわかりやすく描かれています。
単純かつ爽快なバトルを描きつつ、こういうストーリーをラノベ1巻の時点で打ち込んでくるのはすげー面白いですね。マンガもいいけど、久々にラノベの方で最新話まで追いかけてみたくなったかもしれないです。

- 作者:えすの サカエ
- 発売日: 2019/10/10
- メディア: Kindle版

- 作者:えすの サカエ
- 発売日: 2020/04/25
- メディア: Kindle版

- 作者:えすの サカエ
- 発売日: 2020/10/26
- メディア: Kindle版
おまけ
特にこの作品とは関係ないがwoke capitalismの記事はちょっと興味深い。
今まで反差別の人は、差別的なものを見つけて叩くことばかりやっていたが、途中から「成り上がりたい人間」が運動を簒奪することになり、理想は形がい化してしまった。社会を良くすることより自分自身が利益を得ることを目的とした活動家が、反撃されにくいところを狙って攻撃をしかけたり、極論を言って中間層の人間よりも過激派をオルグしたりしてだんだんとおかしくなっていた。 運動の内部では男が女をレ●プしたり、twitterの改ざん問題など倫理にもとるような行為をする人がリーダーとなって暴走してもそれを誰も止められない状態になって信頼は失墜していった。
「何かを敵認定して、それを倒せば世の中は良くなる」みたいに世の中を単純化し、敵から何かを奪うことで問題を解決しようとするやり口は、結局左も右も関係なくどれもダメなのだ。反権力の動きで権力を手にしたものは、不十分とはいえ法の制約を受ける現在の権力よりずっと醜悪な人治主義になりプチファシズムを生むだけであることが証明されつつある。
一方で、このwoke capitalismはそういう動きとは違った運動となっている。反差別ではあるけれど、トランプたちや差別者とやりあうことは一旦避けて、まず仲間を増やしそこに協賛する企業を応援する形をとっている。資本主義を有効に活用している。キャンセルカルチャーの逆で、自分たちが望むキャルチャーを涵養せんとする動きである。