少数民族の差別がありありと描かれれる作品。
その中で、差別的な扱いに怒り、暴力をふるう男性と
争わずに仲良くしたい馬人。
同じく差別を受ける少数民族でも、受け取り方は違う。
男性は、「同じマイノリティなら気持ちは同じはず」という思いあがりがあったし。
「自分の暴力は同じマイノリティを守ることにつながっている」というプライドみたいなものがあった。
それを、自分より差別的な扱いを受けている馬人に否定されてしまう。
しかし、この男は反省して、少しずつ馬人のことを聞いて分かり合っていこうとする。
マイノリティ側から「分かり合おう」なんて余裕を持てる人間はそんなにいない
しかし、カリーナのような人間は例外中の例外である。
馬人たちも、男性と同じように、マイノリティを敵視するものがいた。
このままマジョリティによって尊厳を奪われ、存在ごと押しつぶされてしまうのではないかという恐怖が
彼らを犯罪やクーデターといった暴力による反抗に駆り立てた。
しかし、カリーナだけはマジョリティである人間たちとの和解をあきらめない。
私は今日まで努力してきた。私たちの存在を正しく残していくために。
これで終わりにはしない。これからも。
なぜ、カリーナはあきらめずにいられるのか?
男性もそうだし、クーデターを起こした馬人たちもそう。
マイノリティ側は差別的な扱いに「疲れて」「怒っている」。
当然だろう。誰だってそんな扱いを受け続けて心安らかではいられないはずだ。
そんな中、カリーナだけはあきらめない。
なぜか。
なぜ「自分たちを抑圧しようとする人たちとの対話をあきらめずにいられるのか」
なぜ「理想論を保ち続けられるのか」
残念ながら、この読み切りではこの「なぜ」の部分には答えは示されていない。
(おそらくきちんと設定されているのだろうとは思うが…)
彼女の気持ちがどこまで続くのか、それはこれから試され続けることになるのだろう。
そして、その際に、彼女の気持ちの「根源」が明らかになることもあるのだろうな、と思う。
そして、作中で少しだけわかりあえた男性や、少しだけ理解・変化を示してくれた上官たちの変化が励みになっていくのだろう。
そんなわけで、本作品はあくまでプロローグといった趣だなと感じた。
続きが読んでみたくなる作品だった。
この作品が気に入った人は、「ピーチボーイ・リバーサイド」をお勧めしたい。
www.tyoshiki.com
この作品は、「掃除当番」と同じ話だ
これはカリーナの考え方が正しいとかそういうことを主張するための話ではない。
ミクロな部分で「きれいごと」を保とうとする矜持=やせ我慢の話だ。
ここまでできるかどうかはわからないけれど、こういう矜持は少なからずは持ち続けたいよね。
一番疲れるのは、「必要とされない=厄介者・邪魔者扱いされること」だと思う。
ネットで毎日ヘイト発言してる人は何かしらこういう扱いを受けているのかもしれない。
ネットにはそうやって「疲れ切って」「すでにあきらめてしまった人たち」ばかりがたくさんいるように感じるけれど、
この人たちに同情こそすれ、毒されないようにしたいなと思った。