頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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よく考えたら、別にブログって更新し続けなくてもいいんだよね……

アルファブロガーの方々が、

「ブログを書くという行為」自体がもう過去のものであったかのように懐古されてる記事がホッテントリに上がっていますね。




いまでも毎日書き続けてる人間なので

もしかしたら反論の一つもするべきかもしれないけれど全然そういう気持ちにはならない。



どうかんがえてもおかしいのはこっちだから。

単純に私がブログの時代から変化に適応出来なかった絶滅する定めの存在なのだなぁということを

しみじみと感じさせられた。





それにしても。

そうか……。

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なんというか、私にとってはブログを更新することは生命維持活動と同じ類のものだと思ってたよ……。



ブログを書くことによって何かを伝えたいという気持ちはとっくに消え失せてるし

最初からそんなものがあったかどうかもわからない。

もう何年も同じ事ばっかり書き続けてるという自覚はあるし

そのことにうんざりしているけれどでもやめられない。

「私は特に変化も進歩もないけれどまだかろうじて生きてます」って言い続けてないと

即座に消滅するという強迫観念のようなものがある。






「書かなくてもいい」と思える人はとても健全だと思う。





わたしがブログ書いてる理由はかなりうしろ向きなのかもしれない

私は昔から頭の回転が異常に遅い。

書きながらでないと思考がまとめられないし

考えたことも書き留めておかないとすぐ忘れる。

何度も何度も繰り返してようやくちょっと記憶出来たり考えが進む。

書いて残しておかないとその場では何も考えられないし何も覚えられないポンコツ人間だ。

普通の人だったら書かなくてもなんとなく覚えてたり理解できることができない。

そのせいでよく周りからバカにされたし、

わざとじゃないのに「あいつは人の話を聞いてない」とよく敵視されたりした。

自分がおかしいと思ってたから論理国語は必死に勉強した。きちんと目に見える形で自分の読解力には問題がないことを示せるように頑張った。

「お前の思った通りに理解できないのは私のせいではなく、言ってるお前の方がおかしい」と胸を張って言い返せるようになるまでは否定されるのが怖くて自分で発言できない時期もあった(場面緘黙症)。


こちらの発言については間違った解釈をしておきながら、自分の解釈が正しいと盲信してこっちを否定しに来る人間が多かったし、言ってもないことを言ったことにされて責められることもあった。

特に小学4年の時の教師と、その教師が贔屓している生徒が本当にひどかった。言ってもないしやってもないことで終わりの会で詰められたこともある。


あとから思えば「ちょっと頭の弱いやつに対するいじめ」だったのだからそこに論理など皆無だったのかもしれない。とにかく当時の私はそれがいじめだと認識することもできないくらい阿呆だったので好き放題やられた。


小学5年になる頃には親の助力もあってこういういじめは全部なくなったし色々あってその時の先生にも謝罪させたがやっぱりこのときの嫌な気持ちは強く残っている。

今でも他人の話がちゃんと理解できなかったり、言ったことを忘れることが怖い。

また、他人の書いた文章に対してろくに理解もせずに適当なことを書くはてなブックマークの連中に時々憎悪のような感情が湧いてくる。

「お前らぐらい適当でいいなら私が受けた仕打ちは何だったんだ。というかこいつらあのときのいじめ連中とあんまり変わらねえクズじゃねえか全員氏ねばいいのに」くらいの結構強い気持ちになることもまれにある

わかっている。ここにいる限り解放されることはない。
いつまでも傷口は開き、裏切りは重く、幸福はただあさましく。
そして私は全てを許せないまま許せないことをたった一つの証明として---
(papa told me 22巻 ep108 モーニング・グローリー)









また、私は私自身の考え方や存在を他人に引き継ぐことができない。

もうアラフォーだけれど独身だしこの後も結婚することはないと思う。

長年ぼっちでいすぎたせいで一人で生きることに特化しすぎている。

それでいて寂しがりというかに一人でいることは怖いという

高校生くらいの痛々しい人間性をそのまま引きずって生きている。


いい加減こういう自分をさらすのは恥ずかしいというか

変化のない自分をなんとかせねばならぬという気持ちもあるのだが

未だにはてなというぬるま湯につかって

今日も懲りずに以前書いたような話を繰り返し生み出し続けている。

プライベートや仕事に関するような話は公開ブログには書けないから

実際完全非公開のブログにそういうメモもたくさん書き散らしてる。

まずはきちんと記録に残してからでないと安心できない。




今は毎日のように書いてるけれど、おわりはそう遠くないかもしれない

35を過ぎてからはいつ死んでもおかしくないなと思うようになり始めたせいか

ますます強迫観念が強くなってきたように感じる。

今までだったらスルーしていたようなことでもなんでもかんでも残そうとしだしている。

はてなブログ外でも色々書いたりしてる。

やりすぎだし自分でもちょっとおかしくなってると自覚はある。

多分そう遠くない将来になにかのきっかけでいろんなことに限界がきてぷつんと糸が切れる。

そして、多分何も言わずに唐突に更新が途絶えていなくなる。

誰もそのことに気づかず、半年もしない間にみんなその存在を忘れてしまうのだろう。






なんかね。こういう感覚って

多分高2くらいでみんなが乗り越えなければいけないところだったと思うんですよ。

そこでひっかかってひたすらグルグルしているのが私という人間だなと思ってます。


最近読んだ「コーヒームーン」という作品がこの閉塞感をうまく表現してくれてものすごく好きです。

www.tyoshiki.com