ルックバックの「妄想」が美しいの、結局あのときの選択が違っていても、僕は、私はきっと同じ道を歩んでいただろうという確信に至るところなのだよな。
— GiGi (@gigir) July 19, 2021
自分の夢想(現実とは異なる世界)を形にするのが創造な訳で、この作品はクリエイターのクリエイティビティを刺激するというツイートは的を射ていると感じましたね>藤本タツキ「ルックバック」
— kemofure (@kemohure) July 19, 2021
藤本タツキ「ルックバック」は、女性二人の造形ほんと上手い。性的な仮象は全く無く、行動原理から美的なスタティックな形で物語のパーツが嵌ってゆく。勿体ないなと思うのは、本作をむりやり百合とかに結びつける読み方で、自己の欲望を無理矢理投影すると、作品の味わいが損なわれてしまうと思います
— kemofure (@kemohure) July 19, 2021
私もルックバックは傑作だと思います。
ただ、あくまで舞台装置ではあるのだけれど、「統合失調症」と思われる犯人の描き方に対して抗議してる人がいますね
話題の『ルックバック』傑作のなのは間違いないと思う
— 葉真中顕 (@akihamanaka) July 19, 2021
ただ、私は自分でも実際の事件をモデルに書くので、その部分でずっと抱えてる葛藤について考え込んでしまった
創作は昇華なのか消費なのかっていう……
日付をリンクして公開したのはどうだったのか。そこも含めての「傑作」なのはわかるけども
「ルックバック」から遡行的に誤解が広がってはいけないので釘を刺しておくと、京アニ放火殺人犯の青葉容疑者は精神鑑定の結果「完全責任能力あり」、つまり犯行の主因は精神障害ではない、とされています。https://t.co/JdUVNGsmlD
— 斎藤環 3.15発売「まんが やってみたくなるオープンダイアローグ 」 (医学書院) (@pentaxxx) July 19, 2021
私はこういう視点は全くなかった。
なぜかというと、作中のあの犯人はあくまで藤野が事件の内容から妄想した架空の人物だからである。藤野という人間の偏見によって生み出された想像でしかないのだ。
作中でも架空のキャラクターである。ウマ娘で言えば「トウカイテイオーが妄想したスペちゃんが"あげません!"と言っただけで、本当のスペちゃんはそんなこと言ってない」という話と同じだと思ったからだ。
作者は最新の注意を込めて、犯人像を現実と結びつけないように二重のフィルタをかけているのである。(作品と現実の壁、そして作中内でも現実の人間を正確に描ずあくまで妄想の中でしか登場させないという壁)
しかし、よくよく考えれば、ウマ娘でもスペちゃんのあの発言、本当に言ってたと勘違いする人が結構いるように、あの作中描写を見て「統合失調症の人間はこういうことやりかねない」という話につながるリスクは確かにある。
ネットを見すぎて忘れる事実 pic.twitter.com/p8cNvc2ln4
— 猫好たま (@kirafami) July 18, 2021
ネットでバズった時、そのくらい短絡的な読み方をする人が実際にかなり多いのは想像に難くない。
そこで、当事者の人たちは、作品を否定しないまでも警戒せざるを得ないのであろう。第三者効果的な何かである。作品そのものよりも、作品によって踊らされる人たちが怖いのだと思う。
ja.wikipedia.org
実際、上記記事へのコメントに対して、統合失調症患者への差別や偏見をあらわにするコメントも確認できた。
こういう抗議が来るのも、それだけルックバックという作品に力があるからだろう
この作品、後半になるにつれて描写が細かくなっていくとか
作品が上手いだけでなくて絵による演出も神がかってますからね……。
ルックバック:タイトルはダブルミーニングどころか、何重にも意味があるのですが、その代表的な意味の一つがそのまま「背景を見ろ!」です。背景が主題の漫画。作中の背景が凄い。藤本タツキさんが尊敬する漫画家である弐瓶勉さんの超絶背景を含めた、漫画における背景美術を主題にした作品。
— 046 (@karimikarimi) July 18, 2021
「幻想的」でありながらも、ものすごく生生しい感情を漫画で表現してくれてるから
読んでる人がついつい「藤野の妄想部分の描写」でさえ現実と混同してしまうんでしょうね。
実際、作中では現実に起きたことと、藤野の妄想は同レベルの強度を持って描かれていると思う。
ただ、その圧倒的な描写の力によって傷つく人はいるのだろう。
大教大附属池田小学校での児童殺傷事件の報道後に精神障碍者およびその家族に起きた影響の調査の結果。
・症状が不安定になった 57.6%
・症状が再発した 13%
・入院・再入院した 16.3%
・自殺した 1.1%
この批判は否定されるべきではないと思います。
誰も傷つけないエンターテインメントだけが正しいわけではない
特定の事件から着想を得た話をどのタイミングならフィクションにしてもいいのかという問いに答えはなくて、たとえば「彼女は頭が悪いから」や「推しの子(恋リア編、これは着想というより連想に思うけど)」も早すぎるのではと思った、でも本当にみんなにとっての解禁ポイントなんて存在しないよな
— 青柳美帆子 (@ao8l22) July 18, 2021
つくづくエンターテインメントとは、万人に配慮することは難しいものだなと思う。
①批判されるべきところは批判されるべきである
②その批判は丁寧にされるべきである
③その批判を受け止めるかどうかは作者次第である
ただね、藤本先生は、こういった批判は当然覚悟の上で描いたと思います。
だから、私はこういった問題を意識して尚、「ルックバック」は素晴らしい作品だなと思います。*1
ルックバック、通り魔の被害妄想と、京本が藤野の4コマから、あるいは藤野が京本の4コマから受け取ったものは、本質的には同じものなんですよ。我々は、他人の創作物から命名勝手にメッセージを読み取って、傷ついたり癒やされたりする。それを分ける分水嶺は何なのかなっていう。
— GiGi (@gigir) July 19, 2021
じゃあどうすればよかったんだよ、という問いにも、押し付けがましくなくちゃんと正解が描いてあるという。
— GiGi (@gigir) July 19, 2021
「ルックバック」が刺さった人たちさ、是非福満しげゆき先生の「僕の小規模な失敗」も読んでよ( ^ω^) pic.twitter.com/1LErJCVF1c
— DDT (@DDT000125) July 19, 2021
*1:さすがに「やまゆり園がどう」とか言ってる人は一つの作品になんでもかんでも背負わせすぎな頓珍漢な意見だと思うけどね。