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トイアンナさんの「キャンセルカルチャー」に関する記事についてつよい違和感を感じたという話

gendai.ismedia.jp


うーん……私こういう記事めっちゃ嫌い。


というか、最近のトイアンナさんの記事を読んでて思うことがあるんだけど、なんか「自分のアリバイ作りのためだけに」記事書いてませんかというものだ。今回の記事は特にそうで、他の事象を引き合いに出して過去の行為について謝罪を済ませることで、「あの件では私はもう謝りましたから二度とその話をするな」と言われている気がする



私の心が汚れているだけであればよいんだけれど、

前半部分についてはご自身でも書いているように「意識的に過剰に謝る」ことによって、「そこまで謝らなくていいよ」といわせたい計算を感じ取っています。

いじめ・セクハラ加害者としての経験
私は、いじめの被害にあったこともある。そして傍観者だったことも、笑って見ていた……つまり加害者になってしまったこともある。そのときいじめてしまった人には、お詫びのしようもない。お詫びを押し付けること自体が、被害経験の上塗りになる。

私もいじめの被害経験から、そのことを理解している。だから私は心の中で詫びながら、子どもを支援したり、人権保護をしたりする団体に寄付することで罪滅ぼしをしてきた。悪行は消えない。せめて今後、できることをするしかない。

そして、セクハラの加害者になってしまったこともある。未婚の知り合いに向かって、「結婚しないの?」「え、◯◯くんなら絶対モテそうなのに!」と発言してしまったことがある。この言葉を浴びた人が性的マイノリティだったら、あるいは何らかの事情で結婚を諦めている、苦労された方だったら……。当時の私には、そういう配慮が一切なかった。

これを見て「考えすぎ」「謝りすぎ」と考える人もいるだろう。だが、実際に傷つけた人がいることは変わらない。そして、そういった過去の行いが見過ごされない時代なのだ。



みなさんにお伺いしたいんですが、本当に申し訳ないと思ってる時に最後のこの一行書きますか? 



これを見て「考えすぎ」「謝りすぎ」と考える人もいるだろう。だが、実際に傷つけた人がいることは変わらない。そして、そういった過去の行いが見過ごされない時代なのだ。


私はこういう文章が出てくること自体、なんかすごい違和感を感じるんですけれど。

「そういう時代だから責められる前に謝っておきますね」って言ってるようにしか感じない。

kabumatome.doorblog.jp

kabumatome.doorblog.jp

このあたりtopisyuさんあたりがどう評価してるのかとても気になる。








上の文章だけならただの邪推って言われても仕方がないし私もこんなことは書かないのだが、こう感じるのにはちゃんと理由がある。


1ページ目以降の文章がはっきり言ってずさんすぎるのがめちゃくちゃ気になるからだ。




①まずキャンセルカルチャーの例として木村花さんを上げている点について。これは多くの人から「ズレている」と批判されている。

私も木村花さんの話ははキャンセルカルチャーの例としては全くふさわしくないと思う。批判されるべき案件であるが、これをキャンセルカルチャーの文脈で論じることは適切ではないと考える。

キャンセル・カルチャーの特徴は、1つの問題行動でキャリアが全否定されることだ。この被害者には、テラスハウスに出演したことでSNSの誹謗中傷に苦しめられた故・木村花さんが挙げられる。彼女は番組内で、自分のウェアを台無しにされ、相手を強く罵った。しかし、そのことで人格否定に及ぶほどのバッシングを大量に受け、最後は命を絶っている

むしろ木村花さんの事件はD〇igo氏やイケダ〇ヤト氏が自分たちのアンチ封じ込めの流れを作るために利用しようとしてたという当時の経緯を考えると、ここで持ち出すのは非常に印象が悪い。

k-shirasaka.com
このあたりのトイアンナさんの話題チョイスをスルーしてるあたり、現代ビジネスの編集部の無神経さを疑う。



②次にオバマ元大統領がキャンセルカルチャー批判をしている事例を挙げているが、
しかし、オバマ大統領が言いたかったことはキャンセルカルチャーそのものの否定ではない。

「それはアクティビズムではない=変化を起こすには批判一辺倒ではいけない」と若者に対して注意を促しているだけだ。
newsphere.jp

 オバマ氏がキャンセル・カルチャーについて意見を述べたのは、シカゴで開かれたオバマ財団サミットにおいて、アクティビズムについて若いリーダーたちと議論していたときだ。オバマ氏は、最近の若者に見られる、他人についてできるだけ批判的になることが変化をもたらす方法だという考えに懸念を示し、それがSNSによって助長されているとした。
 オバマ氏は「もし私が、あなたが正しく物事を行わなかった、または間違った動詞を使った、とツイートしたりハッシュタグをつけたりすれば、私はくつろいでいい気分になれる。だってどんなに私の意識が高いか、あなたにわかってもらえるから」と述べ、会場の笑いを誘った。しかしSNSで公に人を辱めることは、アクティビズムではないとし、他人に石を投げているだけでは、変化をもたらすことはできないと断じた。純粋で、妥協せず、常に政治的に意識が高いという考えから早く卒業すべきで、現実の世界は乱雑であいまいだと述べた。

やはり小山田さんの事例とはちょっと違うのではないだろうか。小山田さんの話としては許容範囲だとして、木村花さんの話とはつながらないと思うのだが。(とはいえ、3つの中ではこのオバマ元大統領の事例がいちばんまし)



トイアンナさんに聞きたいのですが、「オバマさんが言ってる話」と「木村花さんのエピソード」がつながると本気で思ってるんですか?



③そして最後に森喜朗さんを事例にあげてくる。

このまま「わきまえた女性」で固められた組織でオリ・パラ運営がなされていたら、五輪憲章の「男女平等の原則の完全実施を目指す」にもとる事態となっていたわけだ

と述べており、彼が発言内容によって辞任に追い込まれたこと自体は正しいとしている。

そのうえで、

だが、この発言「だけ」で森元会長のキャリアが全否定されてはならない。なぜなら、それは「無罪の人」探しに他ならず、私達の誰もが許されないことを意味するからだ。

と述べているのだが、実際に森元会長のキャリアは全否定されていないどころか、名誉最高顧問に復帰しようとしているのが現状であることを踏まえたうえでこの発言をしているのだろうか。
news.yahoo.co.jp

本来ここで持ってくるべき例は、不当に職を引きずりおろされそうになっている人であるはずなのに、なぜあえて森元総理を? これもまた例示としては不適切である。





このように、トイアンナさんが例として挙げている3つの事例が、ことごとく、トイアンナさんの主張に対して不適合なのである。トイアンナさんが、これらの事例からキャンセルカルチャーについて考えたのであれば、当然主張もずれてくるはずだ。しかし、主張だけは妥当なラインに収まっているのがまた気持ち悪い。

怒りを示すとき、あるいは批判するとき。私達は同時に「どこで手打ちにしてほしいか」を考えるべきなのだ。そうしなければ、次にキャンセルされるのは、「キャンセル・カルチャーを乱用して、人を貶めたあなた」かもしれない


このことを考えると、最初からトイアンナさんはこの記事での目的が先に決まっており、事例は何でもよかったのだと思われる。真剣に事例についてかんがえたとは到底思えない。じゃあこの記事の目的は何かというと、冒頭で述べたように「アリバイ作り」であるように感じてしまうのである。「一度今回の件で謝罪しておいて、その時に量刑を確定させておくおとによって、二度と過去の件で蒸し返すことを許さない」という守りの姿勢を強く感じるのである。なんかこういう露骨に守りに入ってる記事を書かれると、逆に「よほどやましいことでもあるんですか?」と疑ってしまう。 多分そのようなことはないはずなので「過剰に守りの意識が働きすぎている」気がする。

f:id:tyoshiki:20210731204644p:plain

https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/12077.html

要するに『倉院のツボ盗難事件』は社長殺害の際のアリバイ作りの為にわざと起こした(ように見せかけた)事件であり、実際のところ犯行当日の数日前には既に倉院のツボを盗み出していた……というのが真相。初日の法廷では自身の嘘を暴かれて激しく取り乱すが、それらは全て演技でしかなく、その段階では彼の思惑通りに事が進んでいたのである。

彼は裁判法則の「一事不再理」を利用し、敢えて窃盗容疑で逮捕され有罪判決を受けることによって自分のアリバイを成立させようとした

ja.wikipedia.org

ある刑事事件の裁判について、確定した判決がある場合には、その事件について再度、実体審理をすることは許さないとする刑事手続上の原則。

この記事で言いたかったこと=「とにかく今回の記事は内容がずさんで読者を舐めきってる感じがして不愉快だったので、もうちょっと真面目に記事書いてください。というかトイアンナさん本人よりも編集がちゃんと仕事しろ」

ちなみに、私は「アリバイ作り」のために記事を書くことがわるいというつもりもないし、トイアンナさんの過去について責めようというつもりもないし、総論にも特に異論はありません。ならばこそ、ちゃんと各論についてもきちんと考えたうえでちゃんと文章を書いてほしいということが言いたたかっただけです。



もちろん「部分的に正しいが全体的に間違ってる」人よりは、「部分的に間違っているが全体的に正しい人」の方がよいとは思います。
www.tyoshiki.com

ただ、今回の場合、話の論拠となるべき例示3つともがおかしい。こうなると、トイアンナさんが真剣にキャンセルカルチャーについて考えているとは到底思えない。なんか別の思惑があるのではないかと邪推したくなってしまいます。総論があっているのだから、せっかく記事を書くのであれば、もうちょっと細部についてちゃんと考えてほしいです。



今回の記事が最初だったらこんなめんどくさいことを指摘するつもりはなかったのですが、私はこの前トイアンナさんが書かれた「フェミニズム批判」のnoteも同様の問題があったと感じています。 これからもこういう感じの「総論だけそれっぽいけど細部がひどい」記事を書き続けられるようであれば、これはちょっとネットにとって有害になりかねないと感じたので、個人的にちょっとだけ違和感を表明させていただきました。



どちらかというと、今回書いた内容は、トイアンナさん自身よりも「現代ビジネス」の編集さんとか、今回の記事内容で「総論があってるからいいじゃん」とスルーしてしまってるはてブの方々に対して言った方が良いことかもしれませんね。とりあえず私からは以上です。




自分で書いておいてなんですが、こんな記事読むよりは「大逆転裁判1・2」のHD版買いましょう。めっちゃ面白いですよ。

www.youtube.com



なお、土曜日なのに記事書いちゃったので、月曜日は記事更新お休みします。