ちょっと危なっかしいツイートを紹介するので前提知識から。
1960年代に立憲君主制の導入に踏み切り、その後出版や政党の設立の自由を認め、日本やイギリスの資本導入を行うなど民主化路線を敷いたが、冷戦下において東西両陣営とのバランスを取った外交を行った
1973年7月18日から病気療養のためにイタリアのローマに滞在している最中、ダーウード元首相によるクーデターが発生、8月24日に廃位となり、そのまま帰国することなくイタリアに亡命した。ソ連のアフガニスタン侵攻についで起きたアフガニスタン内戦においては、一部のパシュトゥーン人勢力や諸外国により和平の中核になることを期待されたが、表立った行動を取ることはなかった。
ターリバーン政権崩壊後、2002年4月に28年ぶりに帰国、ハーミド・カルザイ大統領に歓迎され[1]、カルザイから「国父(ババ=エ=ミラート)」の称号を贈られたが、本人や旧王家の人々が復位を特に求めなかった事もあり、王政復古することはなかった
アフガン紛争について
ja.wikipedia.org
1978年 流血革命が起きて社会主義国家になる
1978年 これに対し、全土でムジャーヒディーンが蜂起、①アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が始まる。1987年に共和国に戻る。
1989年 ソ連軍が撤退。国内の支配をめぐって②アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)が始まる
1992年 イスラム協会、ラッバーニー派主導によるアフガニスタン・イスラム国が成立。
1996年、ターリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言する。
アフガニスタン・イスラム国政府とムジャーヒディーンの一部が反ターリバーンで一致、北部同盟となる。
同年に、スーダンから追放されたビン=ラーディンの率いるアル・カーイダがアフガニスタン国内に入り、ターリバーンと接近する。
1999年、ターリバーン支配地域に対する経済制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議
同時多発テロによる米軍参入からISAFの終了まで
2001年 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件
2001年 10月③アフガニスタン紛争 (2001年-)が開始
2001年 12月に「アフガニスタン・イスラム暫定政府」が成立。ラバニ大統領からカルザイ暫定行政機構議長に政権が委譲
2004年 1月、新憲法が発布されてアフガニスタン新共和国成立
2006年~ 南部・南東部・東部を中心にターリバーンの攻撃が増加
2010年 国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府への治安権限の移譲が始まった
2011年 アメリカ軍がパキスタンでビン=ラーディンを殺害。アメリカ合衆国の駐留軍は約10万人に達したが、年内に1万人、2012年夏までに3万3000人の兵員を削減すると発表するが、実際には翌年も約10万人の国際治安支援部隊(ISAF)がアフガニスタンに展開することになった。
2013年 国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府への治安権限の移譲の対象が全国に拡大
2014年 4月にアシュラフ・ガニーがアフガニスタン第二代大統領に就任。12月、国際治安支援部隊(ISAF)が終了。治安はアフガニスタン治安部隊(ANSF)が独力で維持することになった
私が把握してたのはこのあたりまで。このあたりからテレビを捨て、新聞も見なくなった弊害もあり全然理解できてなかった。
イスラム国とタリバーンの勢力拡大
2015年 イスラム国が「ホラサン州」(ISIL-K)の設置を宣言し、アフガニスタンで活動を始めた。バラク・オバマ大統領はアメリカ軍(9800人)の完全撤退を断念
2016年 ターリバーンは和平交渉を拒否。国家統一政府ではガニー大統領とアブドラ行政長官との関係が悪化し、閣僚7人が弾劾された。
2017年 トランプ大統領は「対アフガニスタン・南アジア戦略」を発表し、状況の悪化を防ぐために増派(約4000人)を決定した。この時点ですでに政府の支配地域が6割に減少していた。
11月、北大西洋条約機構(NATO)は確固たる支援任務(約1万3000人)に対して3000人の増派を決定
2019年 大統領選挙が実施。翌年アブドラ・アブドラとアシュラフ・ガニー大統領で政治権力を分け合うことで合意文書に署名
2021年 4月にバイデン大統領は、2021年9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると発表。
8月ターリバーンは主要都市を次々に制圧。2021年8月15日には首都カーブルに迫り、全土を支配下に置いたと宣言
「現時点では」タリバン政権は旧ターリバーン政権と違い、「女性が教育を受け、仕事をできるようにするのがわれわれの政策だ」などと女性の権利を尊重することを強調している。
こういった流れを踏まえたうえで以下のツイートを読んでください。
ラノベ作家が語るアフガンの歴史
アフガニスタン・・・60年代の自由な写真を乗せて、「これが今のようになったのはアメリカの失策」的に語る人を見かけたが、むしろこの状態に戻そうとしてシッチャカメッチャカなった挙げ句、お手上げになったというのが正確なのかもなぁ。 pic.twitter.com/EPh4JRvWyi
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
90年代、ようやく収まるも、共和国として刺しスタートした段階でまた政治的混乱が起こる。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
00年代、イスラム過激派が台頭、国を牛耳る。外国からの干渉こそが原因と考えテロ決行(9・11)、今度は味方だった国々に多国籍軍されるアフガン戦争始まる。
現在、タリバン首都に迫り、政権譲渡。大統領逃亡。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
「昔のゆるやかな民主化」を求めて協力していた人達は、タリバンからすれば「売国奴」なので、報復される前に大脱出の真っ最中。
って感じなのかな?
日本の明治維新に例えての説明
その頃にはもう各地が軍閥化し、諸外国は皇室を奉じる政府と正統と判断した結果、ぷち戦国時代になり、ブチギレた水戸藩天狗党が「そもそもなんで正統とかお前らに決められにゃならんのだ!」とNYで生麦事件起こして、八カ国連合に江戸が砲撃されてしまった。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
言うなれば、「本来の歴史なら明治になって用なしとばかりに追放され消えていった尊皇攘夷運動家たちが政権を得てしまった日本」みたいなもんか。
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
こう考えると、明治維新って、けっこう奇跡の連続だよな・・・・
— SOW@新作出すよ (@sow_LIBRA11) August 16, 2021
私が参考になりそうだなと思ったYouTubeはこれかな。https://t.co/Qgd05hSYVt
— Y.T (@OCEAN283) August 17, 2021
私もあまり好きではないですけどね。ただ、全世界の大多数はこの流れで動いているのもまた事実ですしね。
— Y.T (@OCEAN283) August 17, 2021
日本人の好きな性善説によって周りから差し込まれているのは認識しておく必要はありそうです。
剣と魔法の税金対策はめっちゃ面白いのでお勧め。コミカライズもスタートしました。
アフガン最後の王「ザーヒル・シャー」の話
その通りなのです。こういう雰囲気を目指したアフガン最後の王・ザーヒル・シャーはクーデターにより追放され、クーデターを起こしたダーウード首相も、近代化路線が国民から反発され現在のイスラム原理主義的な学生を産み地獄の竈の蓋を開いたのです。西欧化や人権主義が人の幸せとは限らないのです。 https://t.co/xoUX6ABD6C
— ろらん・どあん(red-arima) (@rorann1) August 17, 2021
実際は都市化したのは首都カブール周辺だけだったらしい
そもそも引用リツイート元のような格好の「欧米化」したアフガン人はごく少数で、大多数のアフガン人は昔から保守的な人々だったようです。80年代の共産ゲリラに参加した女性も、このように、いわゆる「イスラム的」な服装をしていました。 https://t.co/qLDVLxORf8 pic.twitter.com/aZtgCvQVdR
— Mogambo モガンボ (@Mogambo91775367) August 17, 2021
王政時代のアフガニスタンは俗に言う『都会から100km離れると100年前にタイムスリップする』状態だった…と言うのを何かで読んだ事があります。
— こばやしみちとも (@M_kobayashi_960) August 17, 2021
他の方も言われてますがカブールだけが近代化していく事への反発となり、タリバンが産まれたと言う事なんですかね。https://t.co/Ej7xQ6hlEI
考えてみると、60~70年代のカブール「だけ」がこう自由で非イスラム的であったからこそ、「カブール以外のアフガニスタン」の蓄積した怨念がその後タリバンとして吹き出したのでは https://t.co/J3cOxrjz4Y
— たれぱにずむ (@tarepanism) August 17, 2021
こんなの都市部のごく一部の写真で、大多数を占める農民層の事を外国人は無視・軽視しすぎ。また、こういうツイッター文字数で間違い含め雑にまとめられた近代史は、むしろ誤解や偏見を促進するのではと心配。
— 西条 (@Shiki_kokoro) August 17, 2021
あと、空爆始めた時の米国が60年代のアフガンの事なんて何も思い返してないでしょ。 https://t.co/oVThdsPThS
軍事面を中心に見たアフガンの歴史
アフガニスタンって確か、この100年ぐらいでブリテン保護国時代、王国時代、王国二期時代、共和制、軍閥、ソ連、ムジャーヒディーン、タリバン、アメリカ介入、って感じで目まぐるしく状況が変化してるのよね。
— LolisList (@lolisList) August 17, 2021
当然勢力も多種にわたって存在する。
イスラム国家って民主化って可能なのだろうか??? https://t.co/S0BFxMNVGH
ソ連との戦争(1078~89)では米CIAがアフガンゲリラやイスラム義勇兵に武器を与え訓練していた(後にこれが反米組織「アルカイダ」に変貌)
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
1996年、タリバンはシャリーア(イスラム法)によって統治される国、アフガニスタン・イスラム首相国の樹立を宣言。タリバン兵たちは、インドと対立し仲間の欲しいパキスタン軍によって、鍛えられてゆく。
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
米国勝利の一報を聞いたアフガニスタン。30年もの悲惨な内戦に終止符を打たれ、これで米国に民主化して貰えれば、やっと豊かで平和な世が来ると信じ、それまで海外亡命していた数百万の難民がアフガンに戻ってきた。
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
放置されたアフガンは軍閥と国際企業に国際援助を食い物にされ、復興すら進まない。
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
政府軍に絶望した国民の隙をつき、ここでタリバンが巻き返しを図る。
米国も慌てて加勢したが、タリバン側も戦い方を覚えていた。犠牲者は増え続け、泥沼と化してゆく。
この作戦では一日100件も検挙され、民間の無実の者まで、誤って拷問され、殺された。米国は全く謝罪せず。タリバン幹部を殺しすぎ、停戦交渉すら出来なくなった。
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
そしてビン・ラディンも2011年にパキスタンで潜伏中に殺害される。
ラディン死んだ、9・11の怨念は果たした、万事解決!と意気揚々引き上げる米国。
— Yuni Ageha (@AgehaYuni) August 17, 2021
アフガニスタンは米国が来る前よりも更に酷い状態になったのにも関わらず放置し、アフガニスタン人を30万人も集めて訓練すれば、2014年には撤退出来ると考えた。
その読みが甘かったことが証明された。⇒NEW