忙しい人のために3行でまとめると
①オープンレターの内容については批判的
②オープンレターの署名に不正な記入があったことを防げなかった点それ自体は批判しない。むしろ同情的に思っている
③オープンレターの署名運用については、今回の北村先生や津田大介氏含めてもう少しまじめに考えてほしい。
以上です。
私は北村先生の出されていたオープンレターの「内容」については賛同しません
そして、このオープンレターによって引き起こされた結果については発起人たちが責任を負うべきだと思います。
・一般性を装ってるけど呉座先生への個人攻撃の度合いが強すぎて辟易する内容だった。一般論部分と一緒に呉座先生への攻撃も一緒に飲み込ませようとするズルい内容であり一般性を持ちません。当時も賛同しない旨はてブコメントに書いてました。
私はフェミニストのマルクス氏のころからこういう「正しい一般論に混ぜて受け入れがたい条項を忍ばせる」系のやり方が一番卑怯だと思っており、一貫して否定しています。
> オープンレターは特に特定の誰かではなく文化をターゲットにしていますhttps://t.co/RPnLPckmpp
— データをいろいろ見てみる (@shioshio38) 2022年1月20日
それが趣旨であるなら、オープンレターをテキストマイニングした結果「呉座」氏が中心になるのはおかしいのではないか?
意図と書かれた文章がずれているのかも知れません。 pic.twitter.com/q6K4Md5ZAk
・かなりあれこれと表現の表象に対する制約が呉座批判とともに語られており、普通に内容としてダメだと思った。こういう内容でも「どっちかというといいこと書いてるから賛成」 みたいになっちゃうからはてなブックマークやTwitterのような100文字ー140文字中心のメディアはすごく危険だと思ってます。*1
なんせ、ポリコレ界隈の人は「SHIROBAKOの描写は社会に悪影響を与えうる責任を感じてほしい」とか「動物のお医者さんを読んで犬を飼って捨てる人が増えたら作者も責任を感じろ」と迫っていたのだから、その基準は自分たちにもきちんと当てはめるべきです。
今回の件はメディアによる間接的影響どころか直接的影響が文書として認められている以上、「私は批判しただけでこうなるとは思っていなかった」ということを言うならもう信用を自分で投げ捨ててるのと同じです。「次からは私たちの意見を参考に何かを判断しないでください」という宣言に他なりません。アホくさ。
なので、今回の件で「批判しただけでそんな結果を引き起こすつもりはなかった」とか「オープンレターには何の責任もない」という人たちはちょっと悪手だと思います。むしろめちゃくちゃ責任を感じてほしい。もちろん、ここで言う責任とはあくまで「応答責任」の話であって、法的な責任云々ではありませんけどね。
私が、ツイッターにおけるジェンダー的な言説やはてなブックマークの左翼連中が嫌いになるのは、この手の人たちは自分たちが誰かを責めるときはめちゃくちゃ厳しい基準を要求する癖に、自分たちにはその基準を適用しないからです。あまりにもアンフェアすぎる上に、そのアンフェアを堂々と晒しておきながら自分がまっとうな人間であるとふるまってたら「お前はどこの特権階級なんだよ。特権階級のふるまいをしておきながら弱者の立場で語るのは矛盾しすぎだろ」って思う。今回の件は特に、大学において特権階級に位置する側から社会的弱者への攻撃という面も含んでいたため権力勾配による正当化も難しいです。
色んな意味で、安易にこのオープンレターに賛同した人はそれなりに責任感じてほしい。そうでないなら二度と表現による悪影響みたいな議論をしないでほしい。「自分たちにだけは適用されない」前提の責任理論でいくら他者を批判しても説得力ないです。
私はオープンレターの署名にわざと別の人の名前を寄せた人たちを排除できなかったことについては小宮友根氏ら発起人を必要以上に責めるべきではないと考えております。
next49.hatenadiary.jp
この記事に同意します。
この件単体でみれば、そもそも被害者であった北村先生が声をあげるための手段としてオープンレターを出すことは問題ないし、オープンレターの署名の集め方に瑕疵があったのは事実ですが、そこまでボコボコにするようなもんでもないと思う。オープンレターというものにそこまで厳密な運用を求めるというのはあまり好ましくない。
いうまでもなく、今回問題が発覚した以上、当事者には全員連絡を取って確認すべきで、それをさぼっているのが確認できてから批判するのはいいです。
「本人確認なく行っていた」というのは、個別には行った人もいるだろうが、賛同者全員に対し十分な本人確認を行うことはしていなかった、という意味で、この点は特に争いのない事実と言える。すると、賛同呼び掛けた側の方々は、少なくとも事後に賛同者ではないと確定した人については告知すべきだろう
— 平 裕介 (@YusukeTaira) 2022年1月19日
しかし、まだ対応がはっきりしていない段階から外部の人間がギャーギャー批判してるのはちょっとなあ・・・という気持ち。
呉座氏の謝罪のタイミングとオープンレターの提示のタイミングなど、ちょっとグレーなラインもありますし、そもそも発起人の一人が「実名はよくないのでは?」と言っていたにもかかわらず強行した事実などがあるため、ツッコミどころは多いです。これも被害を受けた人と当事者の間でやり取りすればいい話であって、部外者の私としてはそこまで気にしてないです。もちろん、批判してる人たちの言い分もわかるのですが、私はこの件ではそんなに厳しい目では見てないです。
まぁ、後述する理由から「名前を出すことの意味が軽すぎるので、こんな雑な扱いされるくらいなら名前出したくないという人は多かっただろうな」と後付けでは思いますが、事前に批判してなかった時点で今から言うのは卑怯だと思うのでやりません。
左翼陣営の方々は、そろそろハッシュタグによるデモやオープンレター系の活動についてもうちょっと運用を考えた方がいいんじゃないでしょうか
これは小宮さんや北村さんの責任というのではなくて、リベラル寄りなネットのアクティビストさんたち全体のお話です。
①リベラルの方々、結構いろんなところに共同で名前を出して華々しく何か打ち立てるのは好きだけど、なんか問題あったらすぐ知らんぷりしてませんか?
②「付きあいでRTした」くらいの意味しかなくて、そもそも中身もちゃんと精査すらしてない人が平気で賛同してませんか?
③自分たちが「名前を出すこと」を軽く考えてるのはいいけれど、「人によっては名前を出すのは重い意味がある」ということを軽視した結果が今回の騒動なんじゃないですか?
④何か問題が起きた時の反応を見るに、「私たちは正義で反対する奴は悪」という単純な二分論で活動してませんか?
⑤そういう雑な活動を繰り返して信頼を失い続けた結果、今回の北村先生が今までのツケを全部支払わされるような構図になってませんか?
というような印象を持っています。
今までこの手の「オープンレター」に近い運動の大半はずさんなものが多すぎて失望させられてきた
私の観測範囲の問題かもしれませんけれど、あまりにも
・「内輪にアピールするためだけの」
・自己満足でしかない
・一方的で安易で雑な活動が多すぎると思うんですよ……。
正直、西野サロンにいる学生たちとあんまり区別がつかない。
hyougenmamoruotaku.wixsite.com
他にも5つくらい例を挙げられるけどとりあえず3つだけ。
あのですね。
なんかこれらの活動について「私たちはまともな活動をしてたのにバックラッシュやミソジニーによってつぶされた」みたいな受け止め方しかしてなくて、似たようなことをずっと繰り返してる。
個人的には、オープンレターを出すきっかけとなった事件の被害者である北村さんへの二次加害とも言える誹謗中傷が最近になってまた盛んにおこなわれていることに強い憤りを覚え、レターの意義をあらためて感じています。#北村紗衣先生への二次加害に強く抗議します
— KOMIYA Tomone (@frroots) 2022年1月19日
その根本原理を理解せず軽々しく署名偽造を働いた者、その偽造行為を咎めるのではなく、署名を集めた側の事務的不備をあげつらって暇つぶしをしていた全ての個人に告げます。恥を知れ。
— おきさやか(Sayaka OKI) (@okisayaka) 2022年1月19日
これね、気持ちはめっちゃ分かるんですよ。私もはてブで私を攻撃してきたやつは絶対許さねえという誓いを立てておりますし機会があればそいつらぶん殴りてえと思ってます。ただ、それはそれとして自分がミスった部分は認めないといけない。「はてブの一部の連中が今すぐ死ぬべきクソ人間」であることと、「自分の発言や行動に問題があった」というのは普通に両立するんですよ。
ここで、たとえ相手が99%悪くても、自分側の問題点をちゃんと認められないと、外部の人が見た印象は「謝れない人」になってしまうんです。 はてブ使ってたらすぐわかります。はてブには1%でもケチをつけるところ見つけたらそれをこすりたがる姑能力が高い人が多いので、100%の正義が不可能ってのは嫌でも思い知らされます。
特に自分を「被害者」だと自認している人ほどこの自分と周囲のギャップに敏感であるべきです。
外部の人は自分が被害者じゃないからその人が受けた被害に心から寄り添うことは不可能なんです。
ネット民の大半は、どれだけきれいごとをいってようが本質はこれです。自分が近い体験をして理解できる以外の痛みなど理解できないし興味もないんです。
もめごとを見た時に外部の人間が最初に何を見るか。それはどっちがまともそうに見えるかってことです。「一般常識を守れる人かどうか」が先の共感ポイントになる。被害者側の方が傷ついてボロボロになって攻撃的になってたら、被害者の方を敬遠するんですよ。
もともと被害者を守り、加害側と向き合うべきところを、すでに傷ついている無抵抗な被害者をさらに追いつめる、という深刻なエラーをおかしてしまう。向き合わずに放置することで加害を守ってしまう。当然、加害の根源を放置してしまえばまた新しい被害が生まれ続ける。(続)
— さかいとしゆき (Sakai Toshiyuki) (@SakaiToshiyuki0) January 19, 2022
はてブの連中見てたら嫌でもわかります。ファーストインプレッションで好き嫌いを決めて、理屈はその好き嫌いの後からついてきます。
だから、被害を受けてない人間でもかわいそうだと思えるようにふるまわないといけない。 誰かに対する加害行為があるのなら、その点はちゃんとごめんって言わないといけない。
これは人間の脳のバグだからしょうがないんですよ。これは良いことかよくないことかでいえばよくないでしょう。でもほんとこれしょうがないんですよ。理性でどうこうできる話じゃないので。
「どちらが正しいか」ではなく「かわいそうなランキング上位の人がより共感されやすい」ってのは人間のバグです。でも普段バグを使って恩恵を受けているなら、バグのマイナス効果も受け入れるべきです。。
ネットの世論は特にこのバグが顕著です。その結果、普段は女性の被害だの傷ついたというお気持ちは男性と比べてめちゃくちゃ優遇されます。普段これ自体を受け入れているのであれば、ネットにおけるジェンダーに関する論争で恩恵を受けていながら都合が悪い時だけ「これはバグだから認められない」と主張したところでそんなん受け入れられるわけないのはわかりますよね。
私は「かわいそうランキングが最下位」に近いKKOの発達障害者ですから、女性よりもはるかに不利益を被るケースが多いです。でもこれは文句言っても変わらないので受け入れてるわけです。このバグは人類がすべてニュータイプにならない限りは解決できない。これは前提として受け入れないといけない。
今回の件で言えば、北村先生は被害者であると同時に加害者であると認識されている。そこで「圧倒的に私の方が痛くてつらい思いをしているのだから、私が他の人を傷つけていたとしてもそれには目をつぶれ」は通じないんです。もちろん北村先生本人は余裕がないのだから、周りの小宮先生たちがこの部分をちゃんとフォローするのが理想でした。
「被害者が被害を訴えている時にそれを妨げようとする行為は、いかなる意図で発されたものであれすべてバックラッシュやミソジニーである」という態度を取って、受け入れるべき指摘も全部ミソジニー扱いしてしまう。これは、人間としては正しいのかもしれませんが、これを受け入れろと言われて周りが受け入れるわけがない。今回小宮さんとかおきさやかさんが取った態度は、どれだけ善意によるものであっても「無能な味方」でしかないと思います。状況をより悪化させている。
っていうかジェンダー研究してる人のはずなのに、こんな誰でも知ってる人間のバグに躓くってのは何なんだろう。研究が全然役に立ってない……。もう少しフェミニズムは生物学的な研究と合わせてやった方がいいんじゃないですかね。
本当にずっと同じこと繰り返してるよね
それにしても、なんでこの手の人たちは毎回「100%の賛同以外は全部敵」って扱いにしてしまうのか。「被害者が100%正義」という固定観念は、ジェンダー界隈ではそうなのかもしれないけれど、一般常識とあまりに乖離しすぎている。この極端な0か1思考が、過剰に殺伐とした空気を生み出しているのくらいいい加減わかってほしい。
私は小宮さんたちの無念な気持はめちゃくちゃよくわかるし、ぶっちゃけ今北村先生を批判してる連中の大半は言いがかりだと思うけれど、そこで自分たちは無謬の存在であるかのように振舞うのはほんとにダメ。
こういう動き、「はあちゅうさんがMetoo提案した時のヨッピーさん」事案の時からずっと同じこと繰り返してると思うし実際はその前からもずっとそうなんだろうと思う。えらい科学者先生は「同じことを繰り返して違う結果を求めるのは狂気だ」なんて言葉を残したそうですが、なんかそれににた空気を感じる。
名前出してないのは、名前出したら出したでまた内ゲバとか言われるので面倒だと思っただけ。彼はいま、オープンレターの件にしてもこの指止めようの件にしても自分が旗を振った運動について説明を求められる立場にいるはずで、それなしにますますハッシュタグだと言っていると聞いたらそりゃ驚きます。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2021年11月6日
今回の件に限らず、何回も同じようなことを繰り返し過ぎて、「ああ、またか」というか「安易に参加したら今回も梯子外されそう」みたいな不信感が渦巻いている
新橋九段さんの提唱してた活動については当初100名以上の賛同者がいたはずですが、もう今では見る影もなくなってますしね……。
とりあえず御大層なお題目と共に活動をでっちあげるところがピークになっててその後のことは全く考えてません、っていう無責任なノリが目立つし、それに対して安易に賛同して、何か問題が発覚したら知らんぷりとか逆切れみたいな事例も目に付く。
特に「この指とめよう」の件では、問題発覚後にまともに説明をしようとしたのは佐々木俊尚さんだけで、津田さんら他のメンバーはみんな知らんぷりだったと記憶しています(違ってたら指摘してください)
あまりにも安易な手段に頼りすぎて、責任感を感じない活動をこれだけ見せつけられたら、信用しろというのが無理だと思う
本当によくわからないんですけど。この人たち、普段自民党政権やら男性社会やら対して「説明責任を果たさない」とか「不正な活動について隠蔽してる」とか「特権的立場から弱者を抑圧してる」とかで騒いでるわけですよね。
つまり、そういう行為を憎んでいるわけでしょ?「新聞記者」の反応とかを観てもリアルタイムでそういう信条があるわけじゃないですか。
なのに、CLPに対しての立憲民主党の説明はこんな感じでもありで、各種オープンレター問題に対しても自分たちには甘えがすっごい見られるんだけど、これどういうことなん?ってなります。
正直、オープンレター自体はどうでもよくて、一事が万事この調子なので「大阪維新の会」とか「アンジェス」レベルで信用できなくなってきてる
瞬間最大風速はめっちゃ強いんだけど、なんかこう、最初が一番よくて、だんだんしりすぼみになっていって、しかも後からいろいろ問題点がボロボロ噴出するみたいな活動ばっかり見せられると
なんか立ち上がった時に「またいつもの奴かもしれないので様子見だな」ってなるし
実際そうやって様子見してたら安定して毎回ぼろが出るわけで、信頼・賛同したら負けってなる。
そろそろ次のステージを考えるべき時なのでは?
特に、「この指とめよう」あたりからは金銭絡みや現実の人間の職業に関することだから、いよいよ発起人だけではなくて賛同者にも責任が生じるような流れになってきてるわけで。そろそろもうちょっと次のステージに向けて、ネットでの取り組み方を変えていった方がいいんじゃあないでしょうか。
*1:といえ、青識亜論がこのオープンレターに賛同しようとした動機や、今現在めっちゃドやってる様子を見て軽く軽蔑しています