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「月曜日のたわわ」の広告に関する法律的なお話について

はえー。なんか大事になってるんですね……。


そんな社会的に大事になってる状況で申し訳ないんですが、個人的にも数日前に書いた「月曜日のたわわ」に関する記事について数日遅れでTwitterに生息する例の界隈の人たちがやってきてネチネチ嫌味を言ってくる状況に陥ってて困ってます。

何が困るかというと、そもそもの記事の趣旨を全く理解してもらえてない状態で殴りかかってくることですね。なのでもう少し丁寧に意図を説明しておきます。

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こんな感じ

この記事はそういう人たちへの返答のみを意図しているので、「月曜日のたわわ」に興味がない人や前の記事の時点で意図が読み取れているという人はそもそも読む必要がありません。


私が「月曜日のたわわ」の記事で主張したかったのは第一に法律面の話です

www.tyoshiki.com

まずこの点理解してくれてない人が多い気がする。

法律の話がメインであってマンガの話は自分の主張のためのその補強材料です。

タイトルでも「性的虐待と呼ぶべきほどの描写がありましたか?」という問いに対する答えを書いていますし冒頭でもそういう風にはっきり書いてるつもりなんだけど、そこに言及してくれてる人がほとんどいませんでした。なんでや。


「表現内容規制」の中の特に「見解規制」は厳重な要件を満たす必要があるけど、治部れんげさんがそのあたり雑だったからツッコミを入れるのが目的の記事でした

「表現内容規制」と「表現内容中立規制」という概念があります。「表現の自由」について議論するのであれば当然知っておくべき概念です。算数の九九レベルの基礎概念であり、表現の自由について論じている本では絶対に取り上げられている話です。この単語を知らない状態で表現の自由について真剣に考えているとか言われてもあまり説得力がありません。*1


およそこういう話に関しては法学者さんの意見には耳を傾けるべきです。

弁護士じゃなくて法学者さん。

法学者というのは弁護士さんと違ってルールを活用する人ではなくてルールそのものを作り整備する人です。

つまり「一般人がやりそうな議論を交通整理すること」の専門家でもあります。

なので「月曜日のたわわ」に関する議論についても、法学者さんが過去に用意してくれた概念を使うととても簡単に交通整理ができます。


表現内容規制と表現内容中立規制の違いについて

アメリカの大学でも客員教授を務めた憲法学者である高橋和之の解説によると以下のように解説されています。

①表現内容規制とは
ハフポストで治部れんげ氏は「作品の持つメッセージが性的虐待を肯定する描写を含む」とまで語っていました。
のちに「あれは日経新聞内部の話だ」とトーンダウンさせましたがしかし、少なくとも記事の上ではこの表現によって「月曜日のたわわという作品内容」に踏み込み、それが広告に不適切である理由の1つと説明していました。これが表現内容規制です。

②表現内容中立規制とは
こちらは表現内容そのものへの価値判断を含まない規制です。「たとえば、屋外の公告物を、危険の防止や美観の維持を目的として規制する」などに当たります。今回の「たわわ」にはあまり関係がないので無視しても大丈夫です。


さらに、表現内容規制を分類すると「主題規制」と「見解規制」があります

内容規制にも様々な立場・見解・観点がある中で特定の立場・見解・観点のみを禁止するという『見解規制』と、特定の主題につきその主題に関してどのような立場を採るかとは関係なしにその主題を内容とする表現を禁止するという『主題規制』とがある。たとえば選挙に関する表現を禁止するのは主題規制であり、野党候補を支持する表現を禁止するのは見解規制である。

見解規制は特定の立場を公的議論の過程から排除するもので、自己統治・民主政治の理念に反するし政府が自己に都合の悪い表現を抑圧する危険性も大きいからきわめて厳格な審査が必要となる。

これに対し主題規制は特定主題を公的討論の場から全面的に排除してしまう場合には見解規制と同じ問題をはらみ厳格な審査が必要である。しかし時・場所・態様規制と結合してなされる場合には公的討論の場に向けて表現する他の回路が開かれている限り内容中立規制の場合と同様に考えることができよう。たとえば公衆の目に触れる場所でのポルノ表現を制限する場合などがその例である。

すっごいわかりやすいですよね。

すでに交通整理の専門家が、ここまで交通整理をしてくれてるわけですよ。


たわわの広告を批判したい人たちは「問題提起してるだけ」みたいなしょうもない逃げ文句を言わず自分の立場を明確にするべきです。それができないなら無視されて終わりです

つまり、今回の「月曜日のたわわ」の新聞広告について、批判する人は

◇自分の主張が「表現内容規制」に踏み込んでいることを自覚した上で
◇さらに自分が「見解規制」を主張しているのか「主題規制」を主張しているのかを明確にし
◇それぞれに求められるレベルの根拠を示せばいい

ということになります。


今回の件でいうと
①「月曜日のたわわ」や「ヤングマガジン」の見解が許せないから駄目だという人は見解規制の主張です。なおこちらの場合は、日経新聞に限らずヤングマガジンでの連載についても批判を加える立場になります。こちらは立証責任が厳密になります。

②「新聞広告にポルノ表現があるのはまずい。もちろんヤンマガや同人誌でやるのは好きにすれば?」という主張であれば主題規制の主張となります。こちらは形式要件を満たせばそれだけで根拠として十分です。

めちゃくちゃわかりやすいですよね。



ここからは自分の感想ですが、今回のたわわを批判している方々の反応を見ると、最初は②を主張していたように見えます。こちらは先ほども言ったように軽い規制ですし求められる根拠も軽いです。だから軽い気持ちで批判を始めたように思うんですね。


しかし②で主張しようにも「形式的要件」は満たしてない。「別にヌード写真を掲載してるわけじゃないよね」「ポルノといういうほどの内容か?」と言われてしまう。

その結果、作品内容に基づいた規制である①について主張し始めてだんだんヒートアップしていったように感じています。最終的には「クーパー靱帯とかいうキモいLINEを送った男が断罪されているシーンが描かれてないから駄目」とかいう人もいて(本当にいました)、もう語ってる間にテンション上がりすぎちゃったんだなと思ってみています。

最終的には

「月曜日のたわわは男の邪悪な欲望を肯定し、性加害を助長し、性的虐待を肯定している人類悪の象徴である。我々は①での規制を主張してもいいんだぞ。それを温情で②で済ませてやっているんだ。感謝して涙を流しながら首を垂れて我々の言葉を受け入れるべき状況なのだぞ。それなのにその温情を蹴って②すらも拒否するなんて!お前は最低だ!ドスケベだ!青藍島の出身者だ!吊るせ!」くらいの勢いになってる人もみうけられました。

もはや批判していた「月曜日のたわわ」すらどうでもよくなっており、「自分たちに歯向かうオタクをわからせたい」というメス〇キわからせおじさんみたいな状態になってるやん……ってなります。*2

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※「ヘンタイ・プリズン」では実際にそれで青藍島出身者が深刻な差別にあっている様子が描かれる。


んで、治部れんげさんは少なくとも①の「表現内容規制」の「見解規制」に踏みこんできており、その根拠として「性的虐待が描かれており、それを肯定している」というところまで言われていたので、それは違うよ!と主張した、というのが先の記事の本来の趣旨です。

www.tyoshiki.com
ってこんなことをいちいち説明しなくても、タイトルに「少なくとも性的虐待はなかった」って書いてるんだからその通り読んでほしかったんですよ。それってそんなに難しい要求ではないと思うんだ……。





ところで、私はこの作品を「フェミニズム的に高く評価できる作品」だとは一切主張してませんし、実際そう思ってません

私はどこぞの青〇才のように「この漫画がフェミニズムとして正しい」とは主張してないし、「たわわを批判する奴は昭和のブラック校則の亡霊だ」などという頓珍漢なことは主張してません。

勘違いした人がいたら申し訳ないですが、私は「月曜日のたわわ」のテーマ性を高く評価してるわけではないです。
私はこの作品の主旨はやっぱり「巨乳女性を見て元気になってほしい」というツイッター版と変わらないところにあると思っています。
ただ、きわどい作品を描くにあたってより一般に受け入れられるために方向転換をいとわない作者の柔軟性を評価しています。


Twitter版では「男性の性的な視点で女性を一方的に見る」という視点だった。これは間違いないんです。それをマンガ版では趣旨を変えた。
時々男性視点を交えつつも、「女性側の視点」を取り入れた。女性側の内面を丁寧に描くことにした。
これによって、最初は「鑑賞物=ただのモノ」だった女性たちを「物語のあるキャラクター」として再構築しようとした。
そういう流れなので、序盤がキモいのは仕方がないんですよ。元のTwitter版は明らかにオタクのキモさを凝縮したような作品なんだから。
そこからちょっとずつキモさを脱臭していって「巨乳の女の子が主役の物語」を目指しているけどまだその途中です。


「たわわ」がフェミニズム的に正しい作品を目指すのであれば、女性キャラを生きた人間にするだけでは足りず
男性側もちゃんと人間にしなければいけません。今は作者・作品として「YESおっぱい、NOタッチ」を示しているだけです。
男性側が生きた人間として作中に描かれた上で、男性と女性の関係の中でフェミニズム的なテーマを描く必要があります。

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「月曜日のたわわ」でオミットされている「男側の主体性」がキチンと描かれている作品。これ抜きでフェミニズム的に正しい作品にはなりえない

んで、「月曜日のたわわ」はそういう作品ではないですよね。
もしかしたら最終的にはフェミニズム的に見て評価が高い作品になるかもしれませんが、別に作者の人はそこまでは目指してないと思います。



私が「フェミニズム的に正しいテーマの作品」を紹介するなら
私にとってのバイブルである「papa told me」とか吉田秋生の名作「桜の園」の話でもします。



にもかかわらず、なんか某所でこの青〇才のトンチキ主張と一緒にまとめられてDISられてるわけですよ。
こんな屈辱ってある?


「青〇才と一緒にするのはやめて!全然違う話してるから!」


ここだけはよろしく!




今回の件、治部れんげ先生は最初は「日経新聞固有の問題」として論じようとしてたんじゃないかなあ……

治部れんげ先生は、Twitterでの発言とかを見る限り、さすがにこのあたりの基礎はきちんと押さえてるような気がするんですよ。あくまで日経新聞の問題だってTwitterでは発言してる。

marketing.nikkei.com

日経は『UN Women 日本事務所と連携し、ジェンダー平等に貢献する広告を表彰する「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」を主催するなど、広告のジェンダー平等化の旗振り役を担ってきた』

なので、私はこの主張であれば一理あると思ってるんですよ。
むしろ治部れんげ先生的にも、今まで自分がかかわったことで日経の姿勢をリードしてきたと思ってのにこんなことされたら赤っ恥でしょう。
自分のメンツをかけて日経新聞に絞って糾弾するというのはまあわかるんです。

にもかかわらず、ハフィントンポストの記事上では「表現内容規制、しかも見解規制」にあまりにも無警戒に踏み込んでしまった。これがどうにもよくわからない。違和感がある。

*1:ネットで何時間その話題についてTwitterやはてブやTogetterで論じても、基本的にしろうと議論の応酬でしかないので「お気持ち」の応酬になります。最低限の基礎知識すらない状態で行われる議論は単純にレベルが低いので何の役にも立ちません。むしろ同じような意見を持つ人間で肯定しあうだけの駄サイクルに取り込まれて「馬鹿のまま自尊心だけが満たされる」という最悪のループに取り込まれるでしょう。偉そうなことを言ってますが、最近まで私もきちんと把握しておらず、いつぞやtogetterで表現の自由に関する書籍についてまとめた後に初めてよみました。かくいう私自身が今までひたすらサボってるくせになんか意味のある活動をしてるつもりの間抜けだったわけですねテヘペロ

*2:https://twitter.com/kouei52/status/1514815879506108424