この記事の以下の記述はとても重要な話をしているのでぜひ読んでほしい
plagmaticjam.hatenablog.com
自らの被害感情を簡単に誰かにあけわたさないほうが良い。
個々の人生で得た経験は時に被害として刻まれてしまうものの、それは自分を形成するための財産にもなりえるものでもある。そしてそれは自ら抱えてこそで、その苦しさを後生大事に抱えることでアイデンティティーになり、自己形成に役立つ時がきっとくる。その点で自らの被害感情を告白することで一般化してしまうのはもったいないことでもあるのだ。
被害感情を分析家に明け渡し一般化してしまえば一瞬楽になるかもしれない。しかし被害感情を明け渡した瞬間に自身のアイデンティティーはポリティクスに変換されてしまうことになる。そして果てには集団憐憫のような形を取り連帯が始まることで自身の「大切な被害感情」は政治運動の陳列された一部分へと頽落してしまうのである。
あえて言うけれど被害には価値があるのだ。それを今一度思い出したほうが良いように思う。ましてノンポリの言論の具にしてしまうなんてそんなもったいないことはない。
艱難愛惜しむべしなんてそんな古臭いことを言うつもりもないけれど、おざなりな事を言えば苦しい経験は誰かに寄り添う優しさになる時がくるし、それは自らその感情を消化してこそではないか、なんてことを思うのである。
たとえいま被害感情に苦しみ差別的な言説を吐いていてもそれが自身の経験によって得たものであれば、その感情にはきっと意味がある。その点で差別感情のほうが「賢しらなかぎかっこつきの言論」よりもはるかに尊いものなのではないか。そうした愚かな感情は大切にしたほうが良い。
ましてやなりすましで遊んでいる人に明け渡し、青識氏が用意したような嘘と同列に並べられる商品にその価値を落として良いものではないはずである。
「愚かな感情は大切にしたほうが良い」
これは、ものすごく大事な指摘だ。
現代は「ポストモラトリアム時代」だ。「再帰性」に支配されて自分の感情と他人の感情が混ざり合いやすい時代であり、ポリコレの良い面以上に悪い面がネット上で猛威を振るってみんながおかしくなりつつある。 「自分が何を望んでいるかよりも周囲にとって正しいか」を必要以上に優先することを強いる圧力が強い。心が弱いと自分で思考するということ自体を放棄させられてしまう。
そういう時代だからこそ、このメッセージはとても大事だ。
私も類似のことは何度も書き続けてきた。私がずっとブログで他人にとってどうでもいいことを書き続けている理由でもある。私がブログを書き続けているのも、はてなブックマークをずっと批判続けるのも、少なくとも「ネガティブな感情」を他人に譲り渡したくないし、そういう人を軽蔑する姿勢を示し続けることで「俺はこうはならないぞ」と意地を張ってるだけだ。正しい正しくないという話じゃなくてただのやせ我慢だ。それでも、こういうやせ我慢を全くしなくなった人間がいかに恐ろしいかを知ってるから、これ自体はたとえネットをやめたからといって絶対に手放してはいけないと思っている。
私は「良い話」は他人の受け売りでいいと思っている。だからメロンダウトさんの記事を遠慮なく引用する。ほかにもいろんなものを受け売りで語りまくる。一方で「ネガティブなこと」は自分の言葉で書くようにしたいと思ってる。引用するとしてもなお自分の言葉に置き換えて書くようにしている。そうしないと、メロンダウトさんが言うように「すぐ他人に利用される」からだ。というかすでにそうなってる人があまりにもたくさんいると思う。
今回の件、青識の話に限った他人事だと思わずに、もう一度よく考えてほしい。特にはてなブックマークの皆さんには心当たりがある人も多いはずだ。*1
青識亜論は、本人自身がどうしようもない「凡庸な悪」だが、己が「凡庸な悪」であるだけでなく自分のコピーを量産しようとするところがタチが悪い

「プライドっていうのは、自分がいちばんだって偉そうにすることでもなく傲慢な態度を取ることでもなくてたとえば知世が何十億人の人たちの中でほかならぬ知世であるために必要なものだと思うんだ。」
「IDカードみたいな?」
「そうだな、でももっと重たい。旅行かばんのようなものかな。すべての人があらかじめかならず1つずつ持ってる。型はそれぞれ違っていても重さは皆同じなんだ。女の子も男の子も、大人も、子供も。持って歩くのはなかなか大変だ。だからこんなものは邪魔だと思ったら捨ててしまってもいいわけだ。それがその人の意思ならね。でも中にはとんでもないバカなおせっかいがいる。"君は小さな女の子だから、こんな重いカバンなんかもっちゃいけないんだよ。必要ないんだよ"なんていうやつだ。」
「はりたおしていいのね?」
「うーん、、、まぁ」
「お墨付きがでたわ」
「それから、みんなのカバンをまとめて持ってあげようという人も出てくる。大きな一つの荷物にしてしまおうってね。それは楽ちんだけど、とてもこわいことだ。どこに運ばれるかわからないんだから。やっぱり自分のカバンは自分一人で持たなきゃならないんだ。だから、知世のカバンをお父さんが持ってあげることもできない。お父さんがやれるのはせいぜい知世がカバンの重さに負けないようにたくさんご飯を作ることくらいだな」
「やっぱり腕力よね」
「精神的な、ね」
「ムカつくことがあったら、ちょっと考えてみるといいんだよ。どうしてそんな気持ちになるのか。それは自分のことを知る手立てになる」
「キーっとなるのも無駄じゃないんだね」
私は青識が嫌いなのは、青識がまさにこの「みんなのカバンをまとめて持ってあげようという人」だからだ。青識がなんかの件で署名活動をはじめたときに、こいつは自分のEVILな要素に自覚的であると感じたので、よくまあこんな人を信じるよね、と思った。
青識にハマるとこうなってしまうという実例
青識のツイートで今回一番クソだと思ったのは、実はなりすまし云々ではなくてこれ。批判されたときの態度として、こういうことを言い出したこと。
どうも思わないでしょうね。私を支持してくれている人は、私だから支持しているのではなくて、私が正しいことを言っているときに、その言っていることの正しさゆえに支持してくれているからです。馬鹿なことを言ったりやったりすれば、批判する。これは当然。今、多くの批判を受けているように、です。 https://t.co/u9JYEveAAz
— 冷凍シーライオン(青識亜論) (@Frozen_Sealion) 2022年5月9日
最初から自分を批判する人と向き合うつもりはなく、自分の信者に対してアピールすることしか考えていない。青識は「私は正しい」とは主張しない。実際に彼自身、自分が言ってることが正しいとは思ってないんだろう。それでも「私を信じている人は賢い」というメッセージを送るのだ。
こういうメッセージの出し方は特定の人間にものすごく刺さる。
www.tyoshiki.com
今まで自分を肯定されてこなかった人間は、努力して成果を上げたり、人との折衝の中ですこしずつ承認を得ていくという過程を経ていない。その過程をすっ飛ばしていきなりペトラス皇帝によってまるごと認められてしまう。
このせいで、まとめて自分を認めてくれるか、自分を認めてくれない敵かでしか他者を認識できなくなってしまう。判断基準すらも敵か味方か、が優先するようになる
簡単に言うと、青識のやってることはこれだ。
「青識を支持する」という行為に対して無制限の承認を与える。
これは、「努力して結果を出すことで承認を得る」という経験をしたことがあるまともな人からしたら「馬鹿にしてんのか」と思うような話であるが、こういう経験をしたことがない劣等感の塊には鋭く作用する。 実際青識を支持しているような人間はだいたいコミュニケーションで常に失敗し続けているような自己完結タイプが多い。
彼はそういう人間に「あなたはそれでいいんだよ」「あなたを批判する奴が間違っているんだよ」と偽りの優しさに満ちた言葉をふりかける。そうすると、成功体験がなく劣等感に苦しんでいる人はコロリと信者になるわけだ。
そんな青識の邪悪さが凝縮された記事がこちら。
青二才さんが、きちんとスクショをとっておいてくれたおかげで証拠が残ってて完璧!
まともに考えたらこれって「努力が必要」な段階の人間に対して
・そんな努力は必要ありません。
・あなたはそのままでいいんですよ。
・ほかの誰が承認しなくてもわ私があなたを承認してあげましょう。
とささやきかけてスポイルしているのであるが、
青二才さんはなんというかその……純粋で素直な人なので自分を肯定してくれたと思って喜びあまつさえ教祖様の邪悪さの証拠をこうやって残しているというわけだ。*2ちょっとしたホラーでもあり、ギャグみたいだ。
青識にハマるのはよっぽどアレな人くらいだろうが、同じように「自分の意見を他人に預けちゃってる人」は、本当にそれでいいのかもう一度落ち着いて考え直してみるといいのではないか
青識に限らず、いろんな人のツイートやブログ記事を借用して自分の意見としてる人が結構いると思う。
それはものすごく楽だとは思うのだけれど、そのリスクについてはもう少し考えたほうが良い。
これだけ高度に発展した社会において、たいていのことは他人任せでも大丈夫というか
他人に任せないとまともに生きることすらできない。
でも、お金周りのことと、自分の機嫌の取り方の二つだけは、自分でちゃんとできるようにならないといけないのではないかと思います。ここの二つを握られるということは、自分の人生を握られるのと同じだと、少なくとも私は考えています。
オチとして、最後は引用で締めます(笑)
生殺与奪の権を他人に握らせるな
「被害感情」という理不尽な暴れ馬は、その存在を否定せずに気長に付き合っていくといいと思う。
余談:メロンダウトさんの記事に対するはてブコメントについて
sametasharkなどのはてブ民が「社会運動」との兼ね合いでメロンダウトさんの記事を批判されてるようだが、「お前らほんとそういうとこだぞ」という感想を持った。
メロンダウトさんは別に「集団」そのものを否定してるわけじゃない。「集団として行動する際でも個を手放さない」ようにすればいいのだ。なんでここが二者択一になるのだ。 フェミニズムも表現の自由界隈の人たちも、簡単に個を手放しすぎというか、個にすらなれないまさしく烏合の衆が犬笛で動いてるだけみたいなのが多すぎることが問題視されているというのに。
そんなだから社会運動としての規律・統治が存在しないのだ。これでは持続的な社会運動になるわけがない。そんな連中は勢いがなくなったらすぐ解散するだけの祭りでしかないというのは20年以上前に鈴木謙介さんがすでに書いていることだし実際20年間ずっとそれを証明し続けてきたではないか。そういう日本の社会運動の雑さや脆弱性の負の側面として青識や小山のような愉快犯が出てきているという現実をもう少し真剣に考えるべきじゃないかな。
批判しているブックマークコメントを書いている人は、それほどまでに社会運動が大事だというならなおさら参加者一人一人が個として自立した上で、きちんと信念をもって運動に参加すべきだといいたい。
*1:はてなブックマークの皆さんは、メロンダウトさんの意見を読んで、もう一度そのことをよく考えてほしいと思う。ネガティブな感情に自分で向き合うことはしんどいし、身近な人とかの助けを得ることはまあ悪くない。ただ「はてなブックマーク」はダメだ。こいつらはマジで最低最悪な形であなたのネガティブな感情を利用し、煽りたてるようなクズばっかりだ。 手遅れな人にはもう言わないけど、まだ抵抗がある人は、こういうクズどもの集まりに参加しないように気を付けてほしい。
*2:これ、青二才さんが記事残さなければ彼のアカウント凍結とともに消せていたのにね。相変わらず青二才さんの「無能な味方」としての能力はピカイチだと思う