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発達障害

定型の人は、発達障害の「個人」を理解しようとしなくていい。それは専門家でもないと無理です

どうしても当事者問題であるがゆえにうまく整理して文章が書けなかったので、誤解のないように最初に結論を書きます。

もし部下が発達障害だったら

もし部下が発達障害だったら

  • 作者:佐藤恵美
  • ディスカヴァー・トゥエンティワン
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①定型の人は頑張って発達障害の「個人」ごとの特性を理解して受け入れようとしなくていいです。 そうやって理解しなければいけないって頑張ってくれても発達障害の側はその努力にうまく応えられないことが多く結果としていさかいのもとになります。


②発達障害は個人差が大きく、あらかじめ知って正しく対応するというのは専門家でも難しいです。一般人にそういう負担を強いるのはフェアではありません。というか現実はさらに醜悪で、発達障害者のケアについてみんなきれいごとを言うけど、実際に対応するのは組織の中のごく一部の人間であり、その人にすべての負荷が集中しがちです*1

togetter.com
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③定型の人は、個々人を理解しようとしなくていいと「私は」思っています。(もちろん発達障害者の総意ではないです) 「発達障害」そのものについて漠然と「そういうものがある」ということを知っておいてくれればいい。そして一応「発達障害の人間側が助力を求めてきたら自分に無理がない範囲で応えてあげよう」くらいの心構えを持っていてくれればよいです。


④あくまで個人的な意見ですが重度な人間でない限り発達障害者はその特性を理由に他者に甘えるべきではないと思ってます。発達障害は周りが率先して気を遣うべきものではなく、基本的に本人側から申告して取説を周りの人に伝えるべきです。しかし同時に本人にはこれが何よりも難しい。なので、「発達障害者が定型とコミュニケーションをとる支援をしたり仲介する制度や専門家の存在の必要性」についてはゆっくりでいいので受け入れていってほしいです。発達障害者は全面的にクズなわけではなくうまく使ってくれればそれなりに力を発揮できる人も多いです。制度や専門家といったものは短期的には手間やコストに感じるかもしれませんが、長期的にはお互いがWin-Winになれる可能性も不可能ではないと信じたいです。

以上です。




まず最初に、filinionさんにはこういう記事を書いてくれたことについてお礼を申し上げたいです。

filinion.hatenablog.com

すでに書いた通り、私は「発達障害女性の半生漫画がムカつかれる理由」という記事を書いた増田はクソだと思っていますし、あれに同調したはてブ民も相変わらず相変わらず空気に流されやすいというか自分で物事を考える習慣がないから「そういう空気になったら平気でいじめをやりかねない集団だなあ」と感じました。
note.com

この状況に対して、増田ではなくちゃんとIDを出して「ちょっと待てよ」と言ってくれる人が出てくれたのはとてもうれしい。


ただ、filinionさんおよびお仲間の「正しくあろうとする人達」にはあまり極端にならないようにも気を付けてほしい

で、ここから大変申し訳ないことを書くことをさきにお詫びしておきます。

自分でもひどいと思うけど、filinionさんの姿勢は「うれしい」けど、その結論はありがたくないのでやめてほしいです。filinionさんがしんどいしこっちもしんどいでお互い不幸になると思うので一応書いておきます。

filinionさんは他の面でも可能な限り「良識的な人間であろう」とつとめてる人だとは思います。特に悪い印象は持ってません。でも、発達障害者について無理をして「理解ある人間であろう」としないでほしい。ものすごくひどい突き放した言い方をすればfilinionさんには無理です。無理なことをやろうとすればどこかでひずみが出ます。そのことを心配しています。


いろいろと発達障害者の情報を知ることによって自然と意識が変わって接し方が柔らかくなる、くらいであれば歓迎ですが「努力すれば理解できる→理解しようとしてないやつは悪い」みたいにあまり思いつめないでほしい。ほどほどでいいです。


発達障害当事者の私ですら重度の発達障害者の気持ちなんかわかんねえので。同じ発達障害者どおし仲良くやろうぜーってつるんでた青二才さんとも二回くらい喧嘩別れしてるしね(懲りずにまだ付き合ってますけど)。

filinionさんに限らず左翼寄りの思想を持つ方にものすごく多いのですが、差別されてる人とか障害者に対して「理解できない人はダメだ」とか「共感できない人は冷たい」みたいに理念先行型になってる人いますよね。これね、素晴らしいと思うんだけどなんかねーちょっとモヤモヤするんだよね。 filinionさんがそうだというわけじゃないですが、この手の人たちは8割を超える割合で「自分の理解キャパ」を越えると態度が反転します。それまでは優しいとか親身であろうとしてくれるんだけど、そのあとは発達障害者に憎悪や敵意を向けるようになるんですよ。見捨てる罪悪感を正当化するためなのかどうか知らないですけど、近くまで寄ってきてこちらに一番痛い打撃を加えてから去っていく。で、こういう態度をとることでこっちがどう感じるのかを想像してくれないみたいですね。当然ですけど遠巻きにバカにしてくる人よりよっぽどしんどいです。

www.tyoshiki.com
最近「理解ある彼くん」が話題になりましたが、「理解ある彼くんと巡り合ったその後」を描いてる作品とかを見るとだいぶ感想変わると思いますよ。この漫画なんかは読んでてめちゃくちゃ不愉快になりましたね……(カサンドラ症候群)


んで、こういう経験を繰り返していると、どうしても被害者意識も強くなってくるわけで……。

当事者の一人としてぶっちゃけた意見を言わせていただくと、どっちも完全に理解してくれないという点では同じです。目くそが鼻くそを笑ってるなーくらいに思ってます。もちろん発達障害者を笑うような人間は大嫌いですが、発達障害を理解してるとか発達障害の味方だという感じでふるまってるけど自分の事をわかってくれてないなと感じる人には別の種類のいらだちがあります。変に期待してしまった分落差でこちらの方に怒りを持ってしまうこともあります。そういうわけで、発達障害者はかわいそうだから理解してあげないといけないみたいなそういう考えなのであれば、どうかご無理はなさらずにと。



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ここまで読んで「なんだこいつ偉そうに」「発達障害という普通以下のゴミの分際で俺様に意見を言うのか」とムカッとしたのであれば申し訳ない。大丈夫です。こちらはこちらで自分の身の程はわきまえてます。こういう半歳をしたらすごいわがままなことを言ってるように聞こえるだろうということはわかってるので普段はこういうことは絶対に言いません。

でも本音としてはこういう風に考えてます。

発達障害者は別に「理解したり助けてあげるべきかわいそうな存在」ではないです。ぶっちゃけいろいろゆがんでるせいで普通の人間より嫌なところが多いめんどくさい人間だったりします。それを「障害だから」という理解だけで感情を抑え込んで優しくする必要があるのかというとそういう風には思ってませんし、そんなことを求めるべきでもない。というか……過去記事で何度も書いてきた通り、私自身は「発達障害なんだから配慮しろ」みたいな物言いは当事者であれ、その周辺の人であれ、安易に言うべきではない。そういう言い方をするとかえって敵を作ると考えています。

余談:「〇〇なんだから配慮しろ」を過剰にというか無神経にやりすぎて失敗したのがMeToo運動やネトフェミだと思ってます

トーン・ポリシングどうこう言ってる人は「ローザ・パークス」の事例についてちゃんと歴史的経緯をちゃんと理解したほうが良いとと思います。この本ではなぜ「ローザ・パークスよりも前にバスボイコットをした黒人は何人もいたことが記録に残っているのに彼女が最初の人として扱われているのか」や「運動を起こした後のローザ・パークスがどうなったか」、そして当時の公民権運動はどういう人達が主力だったのかなどなど、詳しく書かれています。

あくまで個人の意見ですが……

発達障害者に対して、差別だから優しくするべきとか障害者だから助けるべきみたいなのは求めてないです。ただ知識として特性に違いがある人たちがいるんだな、と知っておいてほしいです。劣等種ではなく特殊なタイプがいるくらいに認識してくれればそれだけで助かります。 
後は「有用性を発揮できる場所ではちゃんと評価してほしい」というのが私の気持ちです。ほんとコロナのおかげでだいぶ消耗したけど、テレワークが当たり前になってきたことだけはありがたすぎる……。

冒頭でも述べましたがこれは発達障害者の総意ではないです。私より重度の人には制度の助けがいると思うので、そういう人達はそういう人達でまた違う意見があると思います。ただ、間違いなく言えることとして「ポリコレのこん棒」として使うのは絶対にやめてほしいので、そこだけはお願いしたいです。


filinionさんほんとうにごめんなさい

「別にfilinionさんはそこまで言ってないやろ」ってところまで踏み込んであーだこーだと余計なことを書いてしまいました。本当に申し訳ない。でもほんと普段から割とはてなブックマークは発達障害については差別意識むき出しの人も多いし、逆に行き過ぎてる人も多くて当事者としてすごいモヤモヤすることが多かったので、聞く耳持ってくれそうなfilinionさんの記事に合わせてちょっと吐き出しました。本当に申し訳ない。





おまけ

関連して、発達障害(特にADHD)の症状がおもいひとにとって、周囲がどう見えてるのかっていうのに興味がある人はぜひ「アスペル・カノジョ」の1巻と2巻を読んでみてください。


個人的な話として今でも覚えているのが、小学生の時に友達が遊びに来た時母がオレンジジュースの瓶とコップを3つ持たせてくれたのに、私は友達の分をつがずに自分だけついで飲むということをやらかしました。当然子供でもおかしいのはわかるので、次の日から弄りのネタになりましたね……。

会う人会う人から訳も分からず嫌われてキレられてむしされるようになって。人と接するのが怖くて怖くて仕方がなくなる。

私の場合は小学校の2年と4年のころが本当にしんどかった……。「勉強ができる」という特技がなかったりベテランの教師による特例措置がなかったら不登校になってたと思います。


この漫画は発達障害者について表面的な理解は簡単でも付き合うのが死ぬほど難しいということがわかるマンガでもあります。

私たちは依存が強烈なの。想像してみて。赤ん坊が肉食獣だらけのサバンナに置き去りにされてるところを。そんな獣に囲まれた状況で、目の前に1本の木が生えたら、そして獣たちの前に立ちふさがってくれたなら。その木だけが自分を守ってくれる唯一の理解者。それはもう頼もしくて心強くて愛しくて。個人崇拝ってレベルまで頼り切っちゃう。
私は旦那なしでは生きていけないけど、旦那は私がいなくても生きていける。そんな劣等感と焦りが、いつも愛情と同居してる

*2

*1:これネットリベラルの最大にクソなところだと思っており、ネットできれいごとをいうやつの9割は自分では何一つ負担をするつもりがないから平気で現実と乖離したことを言う。差別とか道徳で定型の人と発達障害の問題を解決するのはとても危険だと感じています。

*2:発達障害者で、かつ人生が上手く行ってないタイプの人は臆病で劣等感の塊という人が多く、ガチで他人の事がわからないので他人についてあれこれ語ろうとしない人の方が多いです。あのマンガについてはむしろ「発達障害あるあるやな」くらいに思いました。私は逆に他人が怖くてしょうがないので、安全な距離にいる間にできるかぎりその人のことを理解しようとします