この人は至極まっとうなことを言ってると思う。私は好きだ。
なんにせよ、自分がつまらない人間だと気づいて、そしてそのつまらなさを自身で引き受けることがきる、というのが一番はじめの最も重要なプロセスじゃないかと思う
— Suzuki (@finto__) 2023年1月30日
特にこの「自分のつまらなさを引き受ける」ってのがすごく大事なんじゃないかなと。
大多数の人間は「自分がたいして面白くない、つまらない人間である」ということを受け入れたところから「自分の人生」が始まると思う
なぜつまらない人間を脱却しなければならないと思うのか。
自分がつまらない人間であることは単に「インフルエンサーになることはできない」ことを意味するだけであって致命的でも何でもない。
インフルエンサーになれない凡人の人生は、「自分がつまらない人間である」というところを受け入れてから始まるのではないか。
社会の期待に応えるとか社会に認められたいって軸から外れて自分とか自分の周りの人が楽しかったり幸せだったらええやんって思えるようになってから始まるのではないか。
そんな風に思ったりする。
つまらない人間から脱却しようとするとろくなことにならない。
他人から面白いと思われることより自分が本当に面白いと思うものに囲まれている人生の方がいい。
好きなこと「で」生きていくことはできないけど、好きなことをやりながら生きていくことはできる。
とくにインターネットではこの心構えが重要だと思う。
美しいものを美しいと言う。それが出来ないのが人の悲しみである。素敵なものを素敵と言う。それを口に出せないのが人の苦しみである。好きな人を好きと言えない。それこそが全ての絶望の元なのだ。「美しいね」と言いたいのだ。「素敵だね」と告げたいのだ。僕らがインターネットをするのはザッカーバーグの為ではなく、インターネットの為でもなく、ましてや自分自身の為でもない。愛の為だ。真実の為だ。確かに存在したはずの、小さな真実の為なんだ。
http://www.sinseihikikomori.com/2011/11/google.html
真性引き篭りさん好きだったなー。
「再生回数の少ないこの人が、なんだかすごくまじめに教えてくれるので、オレはベースの弦をちょっとだけはじけるようになった」
まぁそんなことはどうでもよいので、最近よんだ漫画のこの部分が個人的にすごく好きだったので読んで
他の人からしたらどうってことないシーンかもしれないけど個人的な事情でここグッと来た。
面白くする「余裕」がある人は他の人から見て魅力的だとは思うけど、毎日カツカツの状況でがんばるのも本人は楽しいよ
私去年からYouTubeで配信をやってるんですが、まさにこの漫画のように再生数が100~200くらいしかないです。
多分多くの人にとっては全然興味がなかったり面白くない=つまらないんだろうと思います。わかる。
毎日カツカツで作ってて面白くする余裕とか今のところ全然ないからね!
ただ本人が面白いと思うからやってるだけという。
でも、今のところは無理して面白くしようとはあんまり思ってなくてむしろ教えるふりして、視聴者が自分が勉強をするモチベーションにさせてもらってるくらいです。見てくれてる人には感謝しかない。
しばらくはこういう感じで「誰かの役に立つかもしれないかな」って思いながらつまんないYouTuberとして続けられたら満足です。