アークナイツのサイドストーリーの中でも評価が高いシナリオの3本に入るといわれてるお話ということでとても楽しみです。
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ゲームも始めたし、あと「青く燃ゆる心」を読めば、新米ドクターとして認めてもらえるはず…。
ストーリーのあらすじはYT22さんの神解説を参考にするのだ!
YT22さんいつも解説ありがとうございます……あなたのおかげで不安に感じずにアークナイツに取り組む勇気が湧いてくる……。
リターニア国の都市・ウォルモンドで起きた「殺人事件」を追いかけていく中で悲惨な街の実情が明らかになっていく
評判の高さにたがわず、実に読ませてくれるシナリオでした。
「ウルサスの子供たち」の後に読むとより味わい深いです。
・「殺人事件の犯人を捜す」という推理小説的な要素
・アークナイツ世界特有の残酷な世界がもたらす限界状況
・病人差別・人種差別問題
などが複雑に絡み合って複雑な物語になっています。
実際、主人公であるロドスのメンバー視点からは結局いろんなことがわからずじまいになります。
しかし、「真犯人」の視点から見るとものすごくシンプルな話になっているというのがまたすごい。
ド派手な演出はなかったのに何度も心の中でどんでん返しを食らってノックアウトされそうになりました。
「ウルサスの子供たち」と違って、ビターな結末ながら少し希望が残る
ストーリーが進むにつれこのままでは全員が助からないという絶望的な状況の中で「Fate Zero」のような苦い選択を行った人物の姿が明らかになってきます。
「ウルサスの子供たち」では、子供たちしかいなかったから悲惨なことになりましたが、本作は大人たちが積極的に手を汚すことでなんとか街を守り切りましたが、その結果、取り返しのつかないレベルの犠牲が生じ、生き残った人たちの間でも強い対立や不信が残ってしまいました。
ベストな選択肢が存在しなかった状況において、何とか最善を尽くした結果ですが、全滅こそ免れたものの、あまりに悲惨な結果になっています。
大人たちはそれぞれが起きたことに反発したり、諦めて受け入れたりしていますが、そんな中で最後まで理想を曲げず、希望を抱き続ける子供の「スズラン」が輝く展開となっています。
「ウルサスの子供たち」では子供しかいなかったせいか、せっかく生き残ったのに「無力感」だけが残るビターな読後感になっていますが、「ウォルモンドの薄暮」では同じ子供によって少しだけ希望が残る印象ですね。
「天災」「人災」が重なって全員が助かる手法がない状況で、少しでも多くを救うために誰を犠牲にするかを選択する
「ウルサスの子供たち」と同様に悲惨な状況に追い込まれた人たちが、生き残るために、そして「人を生かすために」それぞれどのように行動したのかが描かれています。「ウルサスの子供たち」においては、主要人物はみんな子供たちだったから、自分たちが生き残ることだけで必死にです。だから子供たちは自分が生き残りたいという気持ちから他人を蹴落としたり殺したりします。 その結果、助かった後それがトラウマになってしまい、今でもその過去と向き合うことすら困難な状況が続いている、というお話でした。
こちらのエピソードも状況は似たようなものですが、こちらの登場人物たちは主に大人たち、もっといえば責任がある立場の人間の物語です。もちろん大人でもほとんどの人たちは「自分たちが生きたい」という欲求を優先して行動します。あたりまえですね。しかし、責任者たちは違う。自分が生きるだけでなく、少しでも多くの人を生かすことを考えます。
しかし、状況的にはどう考えても全員が生きのびることは絶対にできない状況でした。
この街は、不運なことにあまりに悪い状況が一度に重なってしまった
①まず「天災」により最も基礎となる食料の大部分が失われ、しかも地理的にも隔絶されて外部からの助けが求めにくい状態でした。
②この町はもともと地元住民と先住民(冬霊人の子孫)との間に差別問題があり、さらに地元住人と「鉱石病感染者」との間にも差別問題がありました。食料の配給にも差が付けられてしまい、さらに対立が深刻になっていました。
③さらに「天災」の被害者として難民を受け入れたものの、十分なケアができず、さらに他所で暴動を起こした「レユニオン」の残党が郊外に陣取っており、治安が最悪の状態でした。
④この状況にもかかわらず「人災」によって治安を維持するための憲兵隊は他の場所に移動して不在になっていました。何か起きれば抑えきれない状態でした。
絶望的な状況でありながら、情報の共有すらできず、一致団結どころかむしろ内部で対立が深まっていく……
その状況で、とある人物がなんとかこの状況を改善しようと奮闘します。
最初から町の住人に犠牲者を出そうとしていたわけではなく、
外に援助を求めたり、「とある人間を暗殺することで」状況を改善しようとしていました。
しかし、あれこれ手を尽くしたけれどどうにもならなかった。
だから「許されない決断」をすることになった。
そうしなければ、より多くの人が死ぬ。
ウォルモンドの状況がこのまま厳しくなっていけば、
この荒れ果てた街が自壊する理由はいくらでも生まれてくる。
この状況を鑑みれば、私たちが事前に道を作ってやり、死者を減らすのが最善だと思わないか。
物語が始まった時点で「真犯人」の仕掛けはすべてが終わっているところもうまい
彼らの死は、私が誰かに命じるものではない。
ただ、あの感染者たちは遅かれ早かれことを起こすと確信しているだけだ。
それが起こるべくして起こることだからだ。
今に始まったことじゃない。
実際、真犯人は、物語中では立ち絵すら登場しない。
一度も主人公たちロドスの前には姿を現さず、自分の思った通りに物事が人知れず自殺しています。
この物語の主人公であるロドスのメンバーは、これらの殺人事件の真相を物語中で真実を知ることはない。
プレイヤー視点でだけ真実を知ることができる。そういう仕組みになっています。
一度といわず繰り返し読み返したくなるシナリオでした。
というわけで、物語背景だけ自分なりに整理した上で
次の記事でもう一度「ロドスのメンバー」視点で見たこのお話を振り返ってみます。
「BASARA12巻」の網走刑務所編を思い出した……
「ミステリというなかれ」は賛否両論あるようですが、
私は田村先生のBASARAという作品は大好きで、その中でも網走刑務所編は短編ながらとても印象に残るエピソードでした。
誰もが被害者で加害者で、誰を憎めばいいのだろう……
ここでも看守(地元住人)と囚人(感染者・冬霊人)の対立がありました。この状況に主人公たちが放り込まれたことによって暴動が起きます。主人公たちが暴動のリーダーでした。理不尽を立て直そうとして立ち上がります。
しかし、実は看守たちは看守たちで、逃げ場がなく食料もほとんどない中、しかも治安を守る大人がいない状態で、わずかな人間が全滅を避けるために苦肉の策として何とか生き残ろうとしていたんですね。
最終的には外部の人間(レユニオン)の導きによって、生きる意志があるものだけが決死のチャレンジで外に脱出できるという展開もよく似ています。
公式怪文書「スズランはわれらの光であり――」が早く読みたい……
どうか忘れないでほしいスズランは我らの光であり──(第四資料より抜粋)
スズランちゃんは白面の者だった?(混乱)