頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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日常生活において周りから舐められることの危険性や恐怖は、舐められたことがない人には伝わらないという前提で考えておかないとダメかも

マンガ読む時間がないから、適当に( ..)φメモメモ。

togetter.com
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舐められることはものすごくリスクが高いし高くつく


フェミニストの人や弱者男性あたりがやたらと強調するのはこのことであって
「なめられている状態はただそれだけで常に脅威を感じるので、舐められてる状態を抜け出したい」
っていう気持ちはめちゃくちゃ切実だったりする。

舐められる状態を脱するときに「自分がどうなりたいか」を考えないと余計にドツボにはまる気はする

自分はどうなりたいのかってところで、究極的には「他人から敬意をもって扱われる自律した存在になること」なんだろうけれどとりあえず直近では「(舐められないために)他人と連帯すること」あたりが目的になりがち。特にネットでは後者がめちゃくちゃお手軽なので、だいたい後者に行ってしまう。
目的ですらこうなのだから、手段の方はもっと易きに流れがち。「他人の役に立つこと、他人にとって価値のある人間になることをする」はしんどいから、「他人を蹴落として自分の立ち位置を守るよう行動する」「仲間にこびへつらう」とかそっち方向に行ってしまうことが多い。

例えばひろゆき信者は、舐められたくないから強者におもねるという安易で甘えた方法を選択した人間たちがたどり着く最悪の状態である。目的・手段ともに終わっている。本人は何も変わらないし、ひろゆきにとってはただの養分なので、永久に養分になり続ける未来が確定してしまう。かといって、「舐められたくない」から「誰かとつるむ」ことに特化すると、それはそれで反ワクとか参政党みたいなコースに行きかねない。
舐められないようにしたいというスタート地点は別にいいんだけれど、ずっと下の方を向いていると上に上がれなくなる。底なし沼のようにちょっとずつ目線が下がっていって、見下している相手と同じレベルに降りてしまい、まともな人からは「どっちもダメだわこいつら」と結局舐められることになる。どこかで上を向いて自分で努力する必要がある。




今までは生命の危機を感じるほどに舐められるということはあまりなかったので
とにかくヘラヘラして、人に舐められるのを甘受することを生存戦略としてきたけれど、
ここ数年はあまりそういう扱いを受けることがなくなってきたので、人に舐められるとイラっとするようになってきた。
これがいいことなのか悪いことなのかはよくわからない。