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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術  という本が面白かった

ただものを「売る」だけじゃなくて「推す」をやってみたい人は、基礎教養としてこの本を読んでおくと良いと思う

この本は、ただ情報伝達ができればいいだけでなく、何かを推したい、紹介したいというものがある人は基礎教養としてぜひ読んでおいてほしい。

「推しの魅力を言語化するとき、本当に重要なのは語彙力ではない。必要なのは、「細分化」。 言語化とは、いかに細分化できるかどうか。」

いきなり言語化しようとがんばるのではなく、自分のなかにある感情や言葉にならないフワッとしたものを整理する時間を一旦持つということ。

たとえば、プレゼン資料をつくる時、自分の言葉で語りたいのに「すごい」「難しい」などのありきたりな言葉しか出てこないことってありますよね。そこで、「何がすごいのか」「なぜ難しいのか」を自分に問いかけて、メモに書き出してみるんです。映画のとあるシーンに感動した時は、その感情をメモに書き出して、「なぜ感動したのか」「どこに惹かれたのか」と深掘りする

もし相手から「つまり、ここはどういう意味?」と質問がされて答えられないところがあれば、それっぽい言葉を使っている部分。つまり、まだ細分化できる余地があるということになります。

ところで、そもそも「売る」と「推す」って何が違うの?

私は何かを推すというのが苦手である。


以前にこういう記事を書いてみたことがあったのだけれど
www.tyoshiki.com

www.tyoshiki.com

反応はご覧の通り。あまり読者の心には響かなかったようだ。


私はあまり作品の魅力を自分で言語化し切ることが得意ではない。

私は何年ブログ記事を書いてても、あんまり作品紹介がうまくならない。



多分これは私が「売る」意識止まりで、「紹介する」とか「推す」という意識が弱いせいだと思う。




売ると紹介するってなにか違うの?って思う人がいるかも知れないが、

そういう人は紹介と売るの両方をやってみたことがないからそう思うのだ。

実際にやってみたらぜんぜん違うのはすぐわかると思う。



「売る」というのは作品の入口まで誘導すること

読みたいと思わせるところまで連れて行って、後は作品に任せればよいという考え方だ。

あくまでも作品の情報提供が主となる。 

作品の魅力は、作品を読みながら本人が好きなようにじっくり味わってもらえれば良い。

私は作品の素晴らしさそのものを私ごときが語れると思っていないので、入口部分までしか語れない。

ネタバレに考慮しているとかじゃなく、ネタバレありで語って良いと言われても、私はそんなに深く語れない。

私の語りを読んでもらうより、作品そのものを読んでもらった方が良いと思ってるからあまり語らない。

たまに一つの作品について詳しく語ることはあるけれど、そういう記事は基本的に反応が薄い。

やっぱり需要があんまりないんやな・・・って思う。

なので、そういう作品に密着して語りたい時はブログじゃなくてnoteで書くことにしてる。




一方で、「紹介する」「推す」の場合は読む前から作品の魅力を味わってもらう必要がある。もっといえば、作品を紹介する語り手自身を魅力的に感じて貰う必要がある

作品に関する情報を淡々と紹介するだけでは紹介したことにならない。まして推しとはならない。

それよりも、作品と語り手の間に発生した「愛」を表現することこそが重要となる。

「私と作品」の関係性を語ること、その相互作用から生じたポジティブな変化を表現することが必要になる。

つまり、語り手自体が魅力的に見える必要がある。


ただ売るだけじゃなく、紹介する、推すという行為には

・自分が何者か
・作品などういうパワーを持っているか
・自分がその作品のパワーの影響を受けてどういう影響を受けたか

という3つを語る必要がある。




このあたりが抜群に上手いのはkansouさんだと思うので、うまくなりたいならkansouさんの本読むと良いんじゃないかな。

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