ヴァンデの虐殺自体は長谷川先生の「ナポレオン(覇道進撃)」の第一巻で語られていたので知った人も多いと思うが、真正面から描いてるマンガがあるのは知らなかった!
これ、昔木原敏江さんの漫画で読んだなぁ...
— odatch*_* (@odatch1207) 2024年7月28日
サンジュストをヒロインの幼馴染みしたりしてロマンチックに味付けし読みやすくしていたけど、かなり残酷な展開だった。。(調べ直したら「杖と翼」という作品でした) https://t.co/WStoS57f2K
最後まで読みましたが、ルイ16世処刑後からのフランス革命を描きながら、ちゃんとヴァンデー地方における虐殺を真正面から描いてますね。主人公は革命政府を支持していたが、それでも行き過ぎた粛清には大反対だった。虐殺されていく人たちを守ろうとして、ヴァンデー地方の虐殺の真っ只中に飛び込んでいくことになる。
こんなマンガがあったんだ・・・全然知らんかったー。「フス戦争」を描いた「乙女戦争」と合わせて読んでほしい(ちょうど半額ポイント還元中です)こちらも弾圧されるフス教徒の視点から描かれているので。
- 改めて読むと、この時のフランス革命政府は、独立直後のイスラエルと似た状態だよね(他の国をすべて敵に回して革命を守ろうとした)
- マラーの暗殺を受けて、ジロンド派への弾圧が加速する
- そして、いよいよ国民公会がは、ヴァンデー地方を「反乱軍の本拠地」と認定し、破壊作戦を支持した
- 1970年代まで黒歴史としてまともに研究さえされなかったという「ヴァンデの絶滅戦争」の歴史をざっくりと振り返る
ちなみに本作の主人公は、幼馴染のサン・ジュストに恋い焦がれてドイツからフランスに密入国した貴族の女性「アデル」である。主人公のアデルがどのように物語に関わったか、みたいな話はあんまり記事では紹介しないのでそのあたりは実際にマンガを呼んで確かめてみてください。
改めて読むと、この時のフランス革命政府は、独立直後のイスラエルと似た状態だよね(他の国をすべて敵に回して革命を守ろうとした)
この物語は1793年からスタートする。すでに1793年1月にルイ16世は処刑されていた。
貴族はこの状況を「大恐怖(グラン・デール)」と呼んで恐れていたが革命を起こした市民たちにも全く余裕はなかった。国内外の敵に怯えていた。
その結果、対外政策や反乱勢力との向き合い方を巡ってジロンド派とジャコバン派が対立していた。
一旦はちゃんと裁判所が設置され、ジロンド派が主流の状況でリンチや虐殺が収まるかと思われたが……。ベルギー戦線でジロンド派のデュムリエ将軍が敗れ、オーストリア軍に投降したことがきっかけでジロンド内閣は力を失い、1793年6月にはジロンド派の議員が逮捕された。
外国との戦争という緊張状態で、国民は裏切り者の血を欲した。
そのためか、この頃は「ダントン・マラー・ロベスピエール」の中で、扇動者マラーが一番人気だった。
しかし、御存知の通りマラーは「シャルロット・コルデー」によって暗殺される。
このマラーを暗殺したコルデーがジロンド党支持者だった。
FGOのシャルロット・コルデーは解釈違いだったので、こちらのほうがしっくり来て良かったです。
そして、革命派は保守的な農民が多いヴァンデー地方の農民蜂起に警戒していた。
実際にボルドー市などはすでに革命政府(国民公会)に制圧されて指導者はギロチン処刑されていた。
マラーの暗殺を受けて、ジロンド派への弾圧が加速する
コレに対して、ダントンやデムーランは反対したが、ロベスピエールやサン・ジュストが恐怖政治を手動することになった。
この時すでに、ダントンは公安委員会のメンバーから外れていた。(賄賂などで私腹を肥やしていたという噂があったため。実際は現実主義だっただけとも言われる)
そして、いよいよ国民公会がは、ヴァンデー地方を「反乱軍の本拠地」と認定し、破壊作戦を支持した
理想が強すぎて、それに反発するものだけでなく、ついていけないやつらまで全部敵として叩き潰そうとしてるんだよなあ。
続けて2巻~3巻の内容紹介です。ヴァンデ絶滅戦争との関連は薄いのでざっくり。明日4巻の内容を紹介予定です。
www.tyoshiki.com
1970年代まで黒歴史としてまともに研究さえされなかったという「ヴァンデの絶滅戦争」の歴史をざっくりと振り返る
この「貴族は縛り首」という歌を、オリンピックの開会式で首なしマリーアントワネットに歌わせていたフランス人の感覚は相当いかれてるなと思う。
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/737/1/0030_062_003.pdf
・虐殺されたヴァンデ地方の人たちの多くは反革命ではなく、むしろ革命に賛同していた。ただし「聖職者民事基本法」には反対しており、この件で揉め事を起こしていた。
・ヴァンデの虐殺の最初のきっかけは「30万人徴兵令」であった。この徴兵令は、ブルジョワと革命に参加したやつらだけ免除するという不公平なものだった。
・その徴兵の仕組みがあまりに不公平であるということで、王党派の貴族ではなく、民衆主導の蜂起が起こった。
・王党派の貴族はむしろ勝てないからと民主をなだめていたが、民衆からの要請によりやむなく引き受けた(※賛否両論ある)
・貴族たちが参加した後は、農民たちの暴動などを抑制し、きちんとした異議申し立てを行っていたという
1793年5月から7月くらいまでは反乱軍側が有利だった
5月:反乱軍が初期の成功を収め、いくつかの都市を占領。5月8日にロベスピエールが国民公会で演説を行い、反乱への対応を議論。
6月:反乱軍がサンティールを占領し、勢力を拡大。共和国側が反乱鎮圧のための軍事作戦を本格化。
7月:反乱軍がナントを攻撃するも失敗。これが反乱軍の転機となる。
9月:共和国軍が反撃を開始し、反乱軍に対して優位に立ち始める。
10月:10月17日、共和国軍がショレの戦いで大勝利を収める。反乱軍が北へ撤退を開始。
11月-12月:反乱軍が Loire 川を渡り、Granville を攻撃するも失敗。12月末、Le Mans の戦いで反乱軍が大敗。
1794年から本格的な弾圧、いわゆる「絶滅戦争」が始まる
共和国側の対応は次第に厳しくなり年末にかけて「絶滅戦争」と呼ばれる過酷な弾圧が始まる。
1月〜2月:1月の初めに、反乱軍の残存勢力がSavenayで決定的な敗北を喫する。これにより、反乱軍の大規模な組織的抵抗はほぼ終結、その後は小規模なゲリラ戦が継続。
春〜夏:共和国軍による「絶滅戦争」(guerre d'extermination)が本格化する。ジャン=バティスト・キャリエやルイ=マリー・テュローなどの将軍が、民間人を含む大規模な弾圧を行います。「地獄の縦隊」(colonnes infernales)と呼ばれる部隊が、ヴァンデ地方を荒廃させていく。
7月にテルミドールの反動が起きる
7月:7月27日(テルミドール9日)のクーデターでロベスピエールが失脚して恐怖政治が終結し、ヴァンデに対する過酷な弾圧政策にも変化がしょうじる。
秋〜冬:テルミドール反動により、より穏健な政策が採用され、12月5日、国民公会が反乱軍に対する恩赦を発表して絶滅戦争は終結。しかし、一部の反乱軍指導者たちは依然として抵抗を続ける。
年末:シャレットやストフレなどの反乱軍指導者たちが小規模な抵抗を継続する中、共和国側は、軍事作戦と並行して和平交渉の試みも行うことに。
1795年2月:17日、ラ・ジョネの和平条約が締結され、シャレットやストフレなどの主要な反乱軍指導者たちが和平に合意する。
1795年夏:しかし、和平は長続きせず、一部の反乱軍指導者たちが再び蜂起。王党派の亡命者たちがイギリス軍の支援を得てキブロンに上陸したことに影響されたといわれる。
1796年:3月、シャレットが捕らえられ処刑され、数ヶ月後、ストフレも捕らえられ処刑される。これにより、主要な反乱軍指導者のほとんどが死亡し組織だった抵抗は終わる。
1796年3月以降もゲリラ線が続く
1796年〜1799年:大規模な組織的抵抗はほぼ終結するものの小規模なゲリラ活動は続く。共和国政府は、軍事作戦と並行して和解政策を推進する。
1799年:ナポレオン・ボナパルトのクーデターにより執政政府が樹立し、ボナパルトは、ヴァンデ地方に対してより柔軟な政策を採用することを宣言する。
1800年:1月18日、ボナパルトがヴァンデの指導者たちに対して一般的な恩赦を発表する。これにより、多くの反乱軍が武装解除に応じた。
1801年〜1802年:ボナパルトがカトリック教会との和解を進め、1801年に教皇庁と「コンコルダート」を締結。カトリックを国教としては認めなかったが寛容な対応を約束。これにより、宗教的な不満の多くが解消される。一般的には1801年まででだいたい集結したと見て良いと思われる。
1815年:ナポレオン戦争の終結後、一時的に王党派の活動が活発化するが大規模な反乱には発展しなかった。