情報が大本営発表しかなく、それが大体嘘という時代に比べれば、情報を自分で取捨選択できるだけましなのかもしれない。
しかし、少なくとも情報機関は正しい情報を発信する義務があろうに、何故かいつの間にかこちらが試される側になり、嘘を見抜けない側が悪いみたいになっているのも腑に落ちない。
問われるべきなのは、こちらの情報リテラシーではなく、まずはメディア側のリテラシーだろう
嘘か本当か見極める前に、そもそもそれが時間と思考を使うべき情報なのか見極める必要があるのかもしれない。
私は「インターネットが好きで、インターネットに接している時間が異常に長かったから」ネットリテラシーを鍛えざるを得なかった。
Mさんという病的なまでの嘘つきと接したり、はてな村とかいう、すぐデマを流そうとするヤツとそれに騙される人たちが共生している「ドラクエ7終盤みたいな村」に住んでたりしたから人を信じられなくなった。
ウソを付くことにインセンティブがあるような連中のいる空間にいたから、嘘を疑い、情報を確認するクセを身に着けざるを得なかった。
「ネットリテラシーなんてものが必要になるくらいネットの情報に依存したり、嘘つきの多くいる場所から逃げずにとどまっている、それ自体がものすごく頭悪いなのだ」
そういう風に言われるとぐうの音も出ない。
ネットリテラシーに多少自慢がある、ということは誇ることではなく、むしろ完全に負け犬の証なのかもしれない。
どうして俺は・・・こんな無駄な時間を・・・
だって長い間、そのくらいしか人生に楽しみを見いだせなかったんだもん・・・
ネットリテラシーなんて必要のない世界で生きたいだけの人生でした。
でもこういうインターネットミームにすぐすがっちゃう時点でもう駄目みたいですね。
ちなみに、SNSを見ているとやっぱりクリエイターというか絵師さんとかはめちゃくちゃ純粋な世界に生きてた純粋培養みたいな人多いんだなって思いますね。
反AIとか暇○さんとかにすぐハマる。逆にフェミとかに目覚めちゃう人も多い。
今まで全くそういう世界に染まってなかった人が、中途半端に社会意識に目覚めた時、かなり高確率で残念な方向に目覚めていくなあと思います。
ナウシカのように、清浄な空気しか知らない人たちは、外の空気に適応できなくて血反吐を吐いて死ぬみたいな現象を多々みかけるんですよね。
スレてない人は、一生社会なんかに興味を持たず、きれいな世界の中で生きていてほしいなと思います。
きれいな人が綺麗なままで生きられる場所がどこかに無いのだろうか。