前々から読みたいと思ってたんですが、とらのあなで半額セールでようやく全巻そろえられたので一気に読みました。
作品の構成
http://takotuboya.jp/teitoku/syuusei.html
長編なので、ちゃんと作者が年表とかをまとめてくれています。
「けいおん3部作」をご存知の方ならわかると思うけれど、本作品に救いはまったくない。
艦これのキャラの可愛さを楽しむような作品ではなく、淡々と「負け戦」を続けることのしんどさとか救われなさを描いている作品。
戦艦とか航空機だとどうしても見た目が格好いいのでロマンを感じてしまう人がいるかも知れないけれど
本作の場合はただひたすら可愛い女の子が血反吐を吐きながら無惨に死んでいくので、ロマンもなにもなく戦争つらい・・・ってなる。
というわけで1巻からまとめていきます。
その前にこちらの動画を見てだいたいどの時期にどのくらいの艦娘がどの時期に沈没するかを把握しておくと読みやすいかと思います。
真珠湾攻撃の前からスタート
主食が1941年4月1日から6大都市で 配給制度 となり
成人男子1名1日2合3勺(330g)と決められたのを皮切りにして
副食,酒,マッチ,煙草,木炭,衣料などの生活必需品が配給制となった。
〈ぜいたくは敵だ〉〈欲しがりません勝つまでは〉などの標語がつくられ,国民は政府の言うままに耐乏生活を強いられた
最初の主人公は艦これ原作に準拠して駆逐艦の「吹雪」。
9つある艦隊のうち、本土に近い第1艦隊に配属される
この時点では艦隊は決戦のための主力兵器だとみなされていた?
開戦前に総力戦研究所が出したシミュレーションの結果は「日本は絶対に負ける」だった
この時点では、陸軍を除いてみんな開戦には反対していた
天皇も米国との開戦に否定的だったし海軍も反対していた。
すでに中国軍との戦争で泥沼に陥っていた陸軍だけが、戦争継続のために新たな戦争を求めていた
この時の政権は第二次近衛内閣。
ドイツとの関係もあるため中国との戦いは継続しなければならなかったし
この時点では中国に対して圧倒的に有利な状況だったから「資源が無いからやめましょう」ということはできなかった。
しかし状況は明らかに当初の目論見とはずれた状況になっていた。
外務省は南京国民政府を育成する一方で
「重慶政権との和平工作を妨げない」ことを外交方針として決定して和平工作を秋に本格化。
しかし重慶側代表の来訪が遅れたため日本は先方の誠意を疑い、交渉の打ち切りを決定して南京政府との間に日華基本条約を締結してしまう。
こうして完全に中国国民政府との間の戦いが泥沼になっていた。
ABCD包囲網を食らって石油が輸入できなくなったが
「石油の備蓄が2年しかない状態で戦争を継続できない。戦争やめよう」とはならず
「戦争を継続するために、アジアへの進出を急がなければ行けない」という判断が優勢になった。
統帥権の問題や内閣組閣のルールの問題で、天皇以外に陸軍の暴走を止めることができない状況だった
天皇が積極的に統治することで辛うじて文民統制が成り立つシステムだったのに
天皇は「君臨すれども統治せず」という状態だったから、実質的に陸軍を制御することはできなかった。
その結果、急ピッチで南方作戦の準備が進められた
8月には在米の日本の資産が凍結され、石油などの物資の対日輸出が止まった。
ウクライナ侵攻後のロシアと同じ状態だ。
これにより、陸軍の強硬路線に海軍も政府も抵抗できなくなった。
外相が「中国撤兵も視野に入れてほしい」と申し出たが陸軍大臣の東條英機は頑として受け入れなかった。
ついに近衛文麿が辞職し、東條英機が首相になる。というより、陸軍大臣以外が首相になれない状態だった
外交期限の迫った10月12日、戦争の決断を迫られた近衞は外相・豊田貞次郎、海相・及川古志郎、陸相・東條英機、企画院総裁・鈴木貞一を荻外荘に呼び、対米戦争への対応を協議した。いわゆる「荻外荘会談」である。そこで近衞は「今、どちらかでやれと言われれば外交でやると言わざるを得ない。(すなわち)戦争に私は自信はない。自信ある人にやってもらわねばならん」と述べ、10月16日に政権を投げ出し、10月18日に内閣総辞職した。
この時の内閣のルールで陸軍大臣は陸軍から出すことが定められていたため、
陸軍が強硬路線を譲らない以上、反戦派の人が首相になっても組閣ができないという致命的な仕組みになっていた。
強硬派の東條英機が大臣になったためすぐに戦争開始かと思いきや・・・
あれだけ強行派だった東條英機は、天皇から外交の可能性を模索するよう言われて方針転換。一転慎重姿勢になった
東條は10月18日の皇居での首相任命の際、天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示される。天皇への絶対忠信の持ち主の東條はそれまでの開戦派的姿勢を直ちに改め、外相に対米協調派の東郷茂徳を据え、一旦、帝国国策遂行要領を白紙に戻す。
陸軍以外はやはり開戦はしたくなかった。東條英機も開戦に慎重になった。
じゃあ開戦しないですむかというと、そうはならなかった。
むしろ日本がgdgdしている間にアメリカは対日本戦の準備を始めていた。
アメリカ側から提出されたハル・ノートによって日本は外交を断念。開戦回避は不可能となった
東條は審議の結論を「11月26日の覚え書きは明らかに日本に対する最後通牒である」「この覚書は我国としては受諾することは出来ない。且米国は右条項は日本は受諾し得ざることを知ってこれを通知して来ている」「米国側においては既に対日戦争を決意しているものの如くである」と回想しており、また東郷は出席者の様子を「各員総て米国の強硬態度に驚いた。軍の一部の主戦論者は之でほっとした気持ちがあったらしいが、一般には落胆の様子がありありと見えた」と回想
というわけで、日本は12月8日に真珠湾だけでなく各地方に一気に攻撃を展開した。
実は真珠湾攻撃よりマレー半島攻撃のほうが早かったのは有名な話である。
本作品はもっと詳しくいろんなことが描かれているし、「各戦闘」について詳細に解説してくれている
本当は読んでもらいたいのだけれど、電子書籍の販売もないので
ざっくりとあらすじというか自分が興味深かったところだけピックアップしていく。