頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

「AIか本人か書いた境界線が微妙な文章は読みたくない」とか言ってるやつはどうせ文章読めないやつだから読まなくていい

別にAIで書いた文章がいいとか悪いとかそういう話ではない。


「AIか本人か書いた境界線が微妙な文章は読みたくない」という発言をすることが意味するところを理解しろということだ。


この発言は「書き手が何を言いたいか」より「書き手が人間かAIか」のほうが気になると表明している、ということだ。(※)


生成AI絵界隈では、AIか人間かの判定に躍起になっていて、その絵がいい絵であろうがAIであるというだけで否定するやつらがたくさんいるが


この発言をするやつはそいつらと同じだ。


もはや絵の良し悪しとかが全く興味がなくなってしまっている。


こういう目線でものを見るようになったやつに、生成AI絵師であれ、手描き絵師であれ自分の絵を見てもらいと思うやつがいるだろうか。



文章でも同じだ。


「AIか本人か書いた境界線が微妙な文章は読みたくない」と言う言葉を発した瞬間に


そんなやつには自分の書いた文章を見てもらいたいと思わなくなる。


なぜなら「書き手の伝えたいこと」よりも「生成AIか手書きか」を重視するやつだからだ。


そんなやつに文章を読めるとはとうてい思えないし近くによってきてほしくない。


①書き手が何を言いたいかを尊重した上で②「でもAIじゃないほうが個性を感じられるから好き」なら良い。
※オマケ部分で書くが、実際は文章と文体はそれなりに不可分なものであるため、文体が好きな人の心情は理解できるからだ。



それでも、②を言っていいのは、①を十分に示し、書き手にも「こいつはちゃんと①の条件を満たしたやつだ」と認識されてからだ。



この順序が理解できないやつに、「AIか本人か書いた境界線が微妙な文章は読みたくない」と言うやつがいたら
自分の中でそいつは完全に相手にしなくていいやつになってしまう。





「ここまでやらないと文章書けない人は正直、物書きやらなくていいのでは?」みたいなコメントも同様だ。
文章を書いたことがない人間じゃないと出てこないコメントなので相手にする価値がない。





昔の私はこういう相手にする価値のないコメントをみても

「こいつは相手にする価値がない」ということがわからなかった。

でも、はてなブックマークのお陰でそれがわかるようになった。



はてなブックマークは「相手にする価値のないコメント」したやつを延々と追跡することができるからだ。

「相手にする価値のないコメントをするやつは、その後も延々と相手にする価値のないコメントばかりしている」ということがだんだんわかってくるようになってきた。

「相手にする価値のないコメント」がどういうものであるかもわかってくるようになってきた。


1:専門性

2:知性・理解力

3:当事者意識・覚悟

4:礼儀・敬意


詳しくは説明しないが、この4つのうち、3つ以上欠いているものは相手にする価値がない。4つとも欠けている人間は視界にいれる価値すらない。

どれだけ態度が悪くても1と2があると感じられれば私は全然OKだし、どんなにバカでも3と4があれば許せる。

ただ4つともないやつが偉そうにイキってる場はさすがに駄目だろ。



記事中で書くと言ってたオマケ部分

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