これは自戒も込めて書いています。
メンヘラムーブをやればやるほど、「こいつめんどくせえやつだな」と思われてちょっとずつ人が去っていくはずです。
「人に寄ってきてほしくない」「人を遠ざけたい」ならメンヘラムーブを意識的にやれば良い。
「こいつ何をしてでかすかわからない」というマッドマンになればいい。
そうすれば自然とうんざりして人は自分のそばから去っていってくれるでしょう。
必要であれば私もそうします。
逆に言えば、そうでないなら
あまりこういう行動を取らないように気をつけないといけないなぁと。
そんなことを思ったり思わなかったする今日このごろ。
ここからテキスト
「メンヘラムーブをする人」にだけは素直に感謝の気持ちを伝えにくいという話
私たちは普段、誰かに何かをしてもらったら「ありがとう」と感謝を伝え、相手の良いところは素直に「すごいね」と褒めることが、円滑な人間関係の基本だと考えています。
しかし、時としてその「優しさ」や「感謝」が、意図せず相手との関係をこじらせてしまうことがあるように感じます。
良かれと思ってしたことが、なぜか相手に過剰な期待を抱かせ、最終的に「裏切られた」と思わせてしまう…。今日は、そんな人間関係の難しさについて、少し考えてみたいと思います。
きっかけは、あるテレビ番組
以前、テレビ番組で「優しい夫にだけキレてしまう妻」という特集を見たことがあります。(田房永子さんの体験談だそうです)
その女性は、幼少期に親から意見を抑圧され、支配的な人間関係しか経験してこなかったそうです。
そんな彼女が初めて優しいパートナーと出会った時、その優しさを素直に受け取ることができませんでした。
彼女の中で確立されていた「支配するか、されるか」という認知の枠組みでしか、その関係を理解できなかったのです。
その結果、夫の優しさを「自分が相手をコントロールできる証拠」と誤って解釈し、
自分の思い通りにならないと、過去に自分が支配された時の怒りや恐怖が蘇ってパニックになり、相手を攻撃してしまう…というメカニズムが紹介されていました。
これは特殊なケースに聞こえるかもしれませんが、多かれ少なかれ、似たような心の動きは誰にでもあるのかもしれません。
「褒めること」「受け入れること」の難しさ
この話を知ってから、私自身も過去の人間関係を振り返って、思い当たることがありました。
・相手のある一面を褒めただけなのに、まるで自分のすべてが認められたかのように受け取られてしまう。
・一つの意見に同意しただけなのに、どんな意見でも受け入れてもらえると勘違いされてしまう。
最初は「そんなに喜んでくれるなんて」と嬉しく思うのですが、
次第に相手からの期待がどんどん大きくなっていきます。
そして、こちらがその過大な期待に応えられないと相手は不満を感じ始め、
時には「裏切られた」とでも言うように、態度が豹変してしまうことがあるのです。
こうなると、こちらは「もう何を言っても誤解されるかもしれない」と怖くなり
相手を褒めたり、感謝を伝えたりすることにさえ、躊躇するようになってしまいます。
メンヘラの被害にあってから、「境界線」を守らない相手に強く警戒するようになった
こうした経験から、私は誰と接する時でも、相手との間に適切な「境界線」を引くことを意識するようになりました。
それは相手を突き放すためではありません。むしろ逆で、お互いが心地よい関係を長く続けるために必要なことだと考えています。
私ができることと、できないこと。同意できることと、できないこと。
その線引きを曖昧にせず、時には正直に伝える勇気も必要です。
メンヘラムーブをする人に対してだけは感謝することを躊躇してしまう
もちろん、ほとんどの人に対しては、小さなことでも積極的に感謝を伝えたいと考えています。
その方がお互いに気持ちが良いですし、関係も豊かになるからです。
でも、もし私が誰かに対して少し距離を置いたり、素直に感謝や賞賛を示せなかったりするとしたら、
それは、その人との間に「境界線」がうまく引けず、どう接すればいいか戸惑っているからなのかもしれません。
無意識のうちに相手に過大な期待をさせてしまうことを、私が恐れているからです。
健全な関係を築くために
もし、あなたが周りの人から
「思ったように感謝されない」「なんだか避けられている気がする」と感じることがあるなら、
一度、相手との距離の取り方を振り返ってみるのもいいかもしれません。
もしかしたら、あなたの純粋な好意や期待が、知らず知らずのうちに相手を疲れさせ
「この人の期待には応えられない」というプレッシャーを与えてしまっている可能性はないでしょうか。
大切なのは、相手にすべてを求めるのではなく、
お互いが独立した個人として尊重し合うこと。
私も含め、誰もが心地よい人間関係を築くために、心に留めておきたいことだなと思います。