頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

JDヴァンスの「ブレーン」が書いた本「なぜリベラリズムは失敗したのか」を読む(前半) :リベラルは自分たちが善であると無邪気に信じていたがゆえに強引に自らの信念を推し進め、その結果現代の病理を生み出した

anond.hatelabo.jp

上の増田に対して、限界集落はてな村では答えが得られないのかもしれないけれど、はてなの外でははちゃんと議論されてますので紹介しておきますね。


「オルタナ右翼」があるのだから、当然「ポストリベラル」というものも存在します。

アメリカにおけるリベラルの横暴は日本の比どころではありませんでした。当然、それに対する逆風も日本の比ではありませんでした。

もはや「リベラルに反省を促す」ダンスを踊るどころか、もう「既存のリベラルを捨ててポストリベラルに進もう」というところまで話が進みつつあります。

まあポストリベラリズム自体は別に最近出てきたもんじゃないけど、デニーンって言う思想リーダーが影響力すごいんですよね。




そして、この概念について知っておかないと、JDヴァンスの人気が理解できないと思います。

diamond.jp
https://jp.wsj.com/articles/j-d-vance-and-the-rise-of-postliberalism-7b0788a0

はてな村のトランプ語りはゴミみたいなのばっかりでうんざりするんだよな・・・。




というわけで、JDヴァンスの思想的リーダーとされるデニーんについての記事を読んでおきましょう。


長くなったので、前半後半に分けます。

前半を「リベラリズム批判」
後半で「ポストリベラリズム」の話をします。



あくまで大事なのは後半なので、前半のリベラリズム批判は適当で良いと思うよ。どうせ批判されてるリベラリズム側の人は読まないしね。







この前お叱りを受けたので言葉の定義を整理しておくと

一般的に日本のネットでリベラルというと社会自由主義=中道左派を指します。米国でいうと民主党、日本でいうと立憲民主党の立ち位置の人たちのことです。自民党のような中道右派のことではありません。
www.tyoshiki.com

あと、はてブの方々はよくネトウヨという言葉を使いますがこれは「オルタナ右翼」とよばれる新右翼勢を指します。日本でいうと日本保守党や参政党のことを指します。


参政党首のこの意見は、このあたりの区別がちゃんとできてない感じですね。この前nofrilさんが言葉遣いちゃんとしろと怒った理由がちょっとわかった気がします・・・すみませんでした。



これに対してデニーンによって否定されているリベラルは「古典的自由主義」。つまり中道右派です。
アメリカで言えば民主党だけでなく、従来の共和党支持者にも☓がつけられています。だからこそ共和党はトランプに乗っ取られてしまったわけです。
日本だと立憲民主党は政権を担う立場から遠すぎたため議論の俎上にすらあがっていません。(立憲民主党支持者は受け入れないでしょうが)日本においては実質的なリベラリズムの推進役は自民党でしたから自民党の限界について語っているわけです。


ちょうどこの記事でも同じようなスタンスでしたね。
note.com

まずここまでの前提を理解した上で読んでください。




「リベラリズムが失敗した理由」の内容 =「リベラリズムは成功したからこそ失敗した」。「リベラルのあり方を反省し、ポストリベラルの思想を打ち立てていくべき」


デニーンの主張は

現代社会で観察される病理というのはリベラルな理想からの逸脱やその不完全な実現によるものではなく
むしろリベラリズムの内在的論理が完全に、そして首尾一貫して実現された結果であると主張しています。

リベラリズムは「本来の姿に忠実であった」がゆえに
「その主張の変形でありながら、リベラルなイデオロギーの実現である病理」を生み出した。

https://americanaffairsjournal.org/2018/02/against-the-deformations-of-liberalism/


わかりにくいと思うのでもっとざっくりいうと

「リベラリズムの進歩が本質的に善である」という、しばしば無批判に受け入れられる前提にNOをつきつけるってことです。

デニーンは、「リベラリズムの成功」こそが、現代社会の「失敗」につながっていると断言することで進歩と社会の幸福という概念に疑念を呈しているわけです。
この枠組みは、リベラルな自己満足の構造そのものを解体することを目的としており、めちゃくちゃ喧嘩腰です。



デニーンがいう「リベラリズムは成功したが失敗した」とはどういうことか

デニーンの主張はだいたいこんな感じ。


courrier.jp


デニーンはリベラリズムがその「約束」を果たすことに失敗したと主張しています。

1️⃣リベラリズムは「自由の名の下に古い貴族制を排除し、政府機能が限定されることを保証し、恣意的な権力を防ぐ」と約束していました。

実際、民主党が政権を取ったとき、日本人もそういうのに期待してましたよね。 

しかし、これらの約束は放棄されることになります

その代わりに、リベラリズムは逆説的に「新たな、おそらくより有害な種類の貴族制」をもたらすことになりました。日本だと「バラモン左翼」とか呼ばれてるやつですね。



2️⃣そして、古い貴族に成り代わって新しい貴族となったリベラルの担い手は、広範な監視、そして無責任な官僚制をもたらしました。

つまり、リベラリズムが公平性を育み、自由を拡大すると主張しながらも
実際には「途方もない不平等を生み出し、画一性と均質性を強制し、物質的・精神的劣化を助長したわけです。

確かにリベラリズムは成功したかもしれません。

でもそれによって恩恵を受けたのは一部の「新貴族」「バラモン左翼」たちだけであり、彼らの成功によって、克服されるべきだった「自然状態」の条件を再創造してしまったのです。


3️⃣さらにリベラリズムが生み出した「新しい貴族」たちは従来の文化に敬意を持たず、リベラル至上主義に陥って「反文化」的な流れを起こしました。

リベラルのこの「反文化」的な傾向は、世界をリベラリズムのイメージに均質化しようとしました。
リベラリズムは中立的ではなく、伝統的な規範を積極的に抑制または再定義する独自の暗黙の文化的規範を持っており
彼らの文化的規範が推進された結果として「地域の経験と記憶が失われ、あらゆる場所があらゆる他の場所になる」という真空が生じてしまいました。

・個人に対し、「文化的遺産を二次的な属性」とみなし、「リベラルな反文化」への主要な忠誠を要求し、それによって個人を地域コミュニティから切り離す。

・この「リベラルな反文化」は、単なる文化の欠如ではなく、能動的な力として機能する。

・リベラリズムは地域文化や伝統によって放棄された空間を占有することで自らを拡大し、また人類文明の豊かなタペストリーを急速に溶解させる。

※まぁこれはあくまでデニーンの言い分です。Geminiに投げてみたら当然批判は結構されてるようです。

批評家は、デニーンが「リベラリズム」を「脱歴史化され、実体化された構築物」として扱っている点を指摘している 。
これは、彼がリベラリズムを一連の進化する歴史的運動や多様な政治的実践としてではなく、
固有の欠陥のある「内在的論理」を持つ一枚岩の、自己意識的な主体として捉えていることを示唆する。
この単一の抽象的な実体としての提示は、彼が認識されるすべての社会的弊害をその「成功」に帰することを可能にするが
過度の単純化とニュアンスの欠如という批判も招いている

リベラリズムは成長・拡大できなくなると内ゲバを始めたり他の文化への侵略を始める

「古典的自由主義としてのリベラリズム」は、最終的に国や企業がどんどん大きくなって、私たちの生活を支配するようになります。

なぜそうなるかというと、リベラリズムは「個人が自由に生きる権利」をとても大切にするからです。
この権利を守るために、国はもっと多くのサービス(医療や教育など)を提供するようになり、結果として国の力が強くなり、段々と社会的自由主義になっていきます。

実際日本もそうなっていますよね。

さらに、Googleのような巨大な企業が、私たちのデータや情報を使って、私たちの行動に大きな影響力を持つようになります。

これら「新しい独裁者」が台頭し、国と企業が協力して、私たちの自由を奪っていきます。

家族、コミュニティ、宗教的規範と制度の崩壊は、特にリベラリズムの進歩から最も恩恵を受けていない人々の間で進んだ。

リベラリズムの躍進はこれらの規範の回復には繋がらず、むしろリベラリズムの統計的権力を自らの支配階級に対して展開することにつながった

リベラルの進展によって「自分を律する力」や「良い行いを学ぶ場所」としての共同体が失われ、自律を失った人たちがわんさか生み出されている


この問題の背景には、「家族」や「地域社会」、「宗教」といった、これまで私たちを支えてきたものが弱まっていることがあると考えています。

昔は、家族や地域の中で、私たちは「何をすべきか」「どう生きるべきか」を自然と学んでいました。

でも、リベラリズムが進むにつれて、個人の自由が重視されすぎた結果、これらの「自分を律する力」や「良い行いを学ぶ場所」が失われてしまいました。

そして、そうしたものが失われた結果、人々は「自分で自分をコントロールする」ことが難しくなります。

そうして、自律を失った人たちはその代わりに「国や強い企業にコントロールされる」ようになっていきます。

参政党やら日本保守党を支持する人たちというのは、こういう「自立を失った人たち」が増えたことを背景にしているのかもしれませね。




※まぁ、私ですら「なんでもかんでもリベラルのせいにするなよww」とは思いますけどね。
誰か自分を導いてくれる存在がほしいという渇望が、ああいうインチキ政党や新興宗教の台頭を招くのは歴史の常なのに、
いくらなんでもこの本は、リベラリズムをスターリンや毛沢東クラスの破壊者として過大評価しすぎじゃないかなあ。





というところまでが前半。



後半でポストリベラリズムとデニーンの関係性の話しようかなと思ったけど、ここまでですでにダルいし需要がなければもうお蔵入りで良いかも。


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