今回のオススメはアメリカを理解するための2冊。
バイデン政権時代に書かれた本なので、トランプアンチーみたいな感じじゃないです。
アメリカという国は成り立ちからして「(ポジティブな意味での)反知性主義」から始まった国だということを語っていますし
そもそも反知性主義と民主主義は肯定として思想がよくにているということも述べられています。
寛容というものについても日本人の考え方とぜんぜん違うことがよく分かるので気づきがあって楽しい本です。
寛容について

まず大事なのは好ましいと思うものを押し広げようとするのは寛容とは真逆の態度だということです。
「多様性」とか「多文化主義」とかを大事にするのは大事ですが
リベラルがそれらを推し進めるために望ましくないものを押しのけようとする態度は「不寛容」であるとバッサリ切られています。
この本は寛容の体現者として17世紀のピューリタン神学者「ロジャー・ウィリアムズ」についてかなり詳しく書いていますが
彼は誰よりも敬虔な信仰心を持つがゆえに、他者の信仰を強制する「魂の陵辱」を徹底的に批判し、真の信教の自由を訴え続けたわけですが
理想や行動は素晴らしいものの、結末をみると寛容というものがいかに難しいことかよく分かると思います。
アメリカにおける寛容の姿勢は、17世紀の神学者ロジャー・ウィリアムズの思想に深く根ざしているとされており
「公権力の非宗教化」と「市民の深い宗教性」を両立させることが重要であると述べています。
公権力が宗教を強制するようなことがあってはならないが、個々人は信仰を持ちましょうねって話ですね。今のトランプはまぁアレですが。
ちなみにアメリカメインの本ですが、「日本は非寛容ではないが無寛容だ」という感じで日本についても触れられているのでとてもおもしろいです。

日本人はあまりにも同質性が高く、秩序を過剰に重視するので寛容性は非常に低く、非寛容どころか皆無に近いとまで言われています。
インバウンドが盛り上がってオーバーツーリズムになった途端に「どうやったら受けいられるか」ということを考えることがなく「追い出せ」という声が圧倒的人気になってますしね。
基本的に郷に入っては郷に従わない人たちを一切受け入れない国民性と指摘されています。
そんな我々が実践できる寛容性はこのような形ではないかという提案もされています。

排外主義やリベラルの「寛容の強制」が渦巻く現代において、真の共存のあり方を歴史から学び直す必要性を訴えかけるという話でとてもおもしろいのでまずはこちらから読むと良いと思います。
反知性主義について
こちらについてはとにかくまず定義を間違えないことが大事ですよね。
かといって定義を間違えないようにと言ってもワード単位で思考する人は何回覚えようとしても語感に引きずられて間違った意味で使ってしまいがちです。
なので、そういうときは「語源」「この言葉が使われるようになった背景」とセットで覚える必要があります。
というわけで、皆さんは「反知性主義」の定義を自信を持って言えますか?
まず、間違ってる方から書いておきましょう。
日本では、この言葉を単なる「無知」「無教養」や「自分と違う考え」を指すネガティブな言葉として使う人が未だに多いです。
「知性に反する」って言ってるのになぜかバカ扱いする。それだったら「無知性」とか「無知性肯定派」みたいな言葉になるだろと思うんですが。「主義」はどこいったんやと。
まあでも「知性に反対」とかいうと「バカだけど開き直ってるやつ」みたいに受け取る人もいるか。
とにかくそんな感じでなんとなく語感・フィーリングで勝手に違った意味を想像しちゃうみたいです。
「バカ」の言い換えに使われているというのは、ぼくには変に感じられた。だいたい、バカは主義じゃないもの。多くのバカはのほほーんとバカに甘んじているだけで、それを主義として持っているわけじゃない。
本当は
知性そのものへの反対ではなく、権威的知性や知識人の独占への反発なんですよね。
「知的な生き方や、それを代表する人々への憤りや疑惑」であり、「その価値を常に最小化しようとする傾向」です。

ただ、こんな定義だけ覚えても無駄です。この定義だけ覚えてにわか知識で「反知性主義」という言葉を使おうとするとこの記事みたいに無惨なアウトプットを出してしまうことになります。
「いや、定義はあってるじゃん。コレのなにが問題なの?」って思った人は
歴史的なルーツを知って、ちゃんとコアの部分を理解しましょう。

