この記事で言いたいこと。
「オタクが迫害された」「創作者が攻撃された」という話になった瞬間に、
1️⃣無警戒に被害の報告を真実だと思い
2️⃣被害の事実があった場合、その人物に非や別の狙いがある可能性を考慮せず
3️⃣さらに無責任に応援してしまう(肯定的なコメントを書いてしまう)のはとても良くない風潮だと思う。
とくにはてブ民
てめーらはよく気をつけるべき。
普段は斜に構えてひねくれているくせになんでオタクの話になると日和るんだよ。バカか。
200億円投資家の五月さん(片山晃)の記事に対してすら上から目線で強気に否定的なコメントを書けるんだからさ、
こういう明らかに胡散臭い話のときにこそ、空気読まずにちゃんと斜に構え続けましょうよ。
この手の話題になった瞬間にいつもの三重のセーフティーロックがどれも機能しなくなってるのダメダメでしょ。
はてブ民なんて、性格が陰キャ寄りすぎてなんにでも疑い深く、斜に構えてて印象悪い代わりに人の言う通りにならないところが取り柄でしょ。
1️⃣日頃から何事にも「えーそれほんとにござるか(ニチャア・・・)」とまず真実かどうかからケチをつけて
2️⃣空気を読まずにどんなときでも「片方の意見だけじゃわからない。一方だけの意見を鵜呑みにするべきじゃない」とケチを付け
3️⃣他の人がほめても俺だけは疑ってかかるとケチを付ける
そういうものがはてブ民でしょ?(とんでもない偏見)
日頃、人が書いたものにケチばっかりつける陰気臭い、他人の足を引っ張るような非生産的な行動ばっかりやってくるくせに
肝心のところでデマの一つも見抜けないなら存在意義ないじゃん。
せめてその他人に何にでもケチを付けるという行動くらいは維持しようよ。
その取り柄もなかったら、ただただページの裏で虫みたいに寄り集まって、陰口ばっかり叩いている性格がクズで他人にケチを付けることしかできない最悪の存在になっちゃうよ。
それでいいんですか。
オタクの話になった瞬間に、「俺はオタクの味方だー!」って意識が強く出すぎて、急に情報リテラシーが幼稚園児になっちゃうの本当に良くないと思います。
今回の事件で多くの人々が初期段階で作者の主張を無批判に受け入れ、共感と「応援」の行動に走った背景には、インターネット文化特有の病理が存在します。
「創作者」や「被害者」を名乗る者への過剰な持ち上げと、それに伴う忖度の風潮が怖い
最近創作についてはケチをつけてはいけないみたいな変なノリがありますよね。
また近年性被害などに限らず、あらゆる種類のハラスメント被害を訴える人に対し、
「被害者を疑うことはセカンドレイプ(二次被害)になる」という批判が過剰に拡大解釈され、
「被害者の言葉を一切疑うことを許さない」という同調圧力が蔓延しています。
この結果、SNS上では以下のような極端な姿勢が常態化しています。
・無条件の信頼: 「創作者」は純粋な存在である、「被害者」は嘘をつくはずがないという、根拠のない性善説に基づく無条件の信頼。
・疑念の否定: わずかな違和感や疑問を呈することすら、「人の心を折る行為」「加害者と同類」として許されない空気が形成される。
この過剰な忖度こそが、本来冷静に検証されるべき「脅迫」レベルの事案に対し
感情的な「応援」が先行し、作者の真偽や背景の調査が疎かになった最大の原因です。
今回の行動に関しては、はてブ民はNHK党の立花や中田敦彦を持ち上げた人たちを笑えない
怪しいものを過剰に持ち上げる人がいて
それを強く否定する人がいると争いが生じてしまう。
初期段階で、合理的なレベルでの疑いを許容するようにしないとダメじゃないかな。
とはいっても、リテラシー低いカスなみなさんたちの推理は有害以外の何物でもないから
きちんと検証したり直接本人に確認とかできる人がチェックするのを待つ。
久々原仁介さんからDMがありました。クラファンの説明をしてくれたのですが、分からない点があったのと、そもそも訊きたいことがあったのでいくつか質問をさせてもらいました。後日、回答していただけるというので、それを待って分かったこと、分からないことを書こうと思ってます。
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) 2025年11月30日
不確定な状態のときは、沈黙して待つっていうことが必要になるのだと思います。

草津町事件に見る「無批判な拡散」の現実的被害はツイフェミ叩きのためというより、みんなが気をつける事案として真剣に受け止めた方が良い
作者や被害者の訴えを無批判に信じ、情報が拡散されることの現実的な被害は、すでに過去の事例で明白になっています。
例えば、群馬県草津町の冤罪事件では、「セクハラ被害者」を名乗る人物の主張が、検証されることなくインターネット上で拡散された結果、
町長や町議が社会的に抹殺されそうになり、町全体が深刻な風評被害に晒されました。
石丸伸二の件も、今でこそ明らかに会話が通じない、独裁者気質で対して有能でもないただの変な人だと認知されているけれど
当時は石丸こそが被害者で、街を変えるために頑張ってる挑戦者みたいな感じで取り上げられてましたが
実際は、病気だった人が非もないのに名誉まで毀損されたあげく、
加害者である石丸伸二がよりにもよってヒーローとのような扱いを受けて都知事選で躍進するみたいな事態になってたわけじゃないですか。
なんかもう、ネット民「ちょろすぎ」なんですよ。「操りやすい」にも程がある。
おっさんおばさんのチョロインとか誰も幸せにしないって。
『海のシンバル』の件については現時点では結論を出す段階にない
もし作者側の疑惑(クラファン不履行、同業者との軋轢など)が事実であり、焚書動画の送り主が「裏切り」の被害者であった場合
無批判な「応援」は、真の被害者を「悪質な加害者」として断罪し、作者の不透明な行為を社会的に免責させるという、深刻な結果を招きかねませんし
ぜんぜん違う事実がでてくるかもしれません。
しかし現時点では何一つ証拠も示されておらず
合理的に疑う材料は色々あるわけだから疑いつつ、結果が出るのを待っておくしか無いんじゃないですかね。
安易な「共感」を止め、「合理的に疑う」か「さもなくばスルーする」という選択をできるようにしたい
小説『海のシンバル』焚書DM事件は、私たちにインターネット上の情報をどう受け止めるべきか、という根源的な問いを突きつけます。
「脅迫」レベルで大げさな話になっている時ほど、私たちは感情的な「共感」の衝動を止め、冷静に情報を吟味しなければなりません。
作者の申告だけを鵜呑みにせず、「大げさな事件の後にいきなり宣伝しようとしていないか」「裏側に金銭的な問題や過去の軋轢はないか」といった複数の疑問を照らし合わせることが、個人の責務です。
無責任に怪しい人を応援し、情報拡散の加担者となることは、
結果的に創作者や被害者の名を騙る悪質な行為を助長し、真の被害者の声をかき消し、そして草津町事件のような冤罪を再び生む危険性があります。
私たちは、この事件を教訓とし、安易な「応援」や「否定」に走るのではなく、情報を多角的に検証する姿勢を社会全体で取り戻す必要があります。
まとめ
・「創作者」「被害者」の言葉だからといって、無条件に信じることは危険。
・ 安易な同情・拡散は、時に不透明な行為を助長し、真の被害者の声をかき消すリスクがある。(草津町長の話は、オープンレターズの方々だけではなく我々もちゃんと肝に銘じるべき)
・ 「やさしさ」だけでなく、「冷静な目」を持つことが、健全な情報社会を守ることにつながる