「この作品を読んでいると三沢さんの書いている文章ととても雰囲気が似ているのでミサワニウムを供給するにはとても便利」
「この作品を面白いと思えない人には三沢さんの面白さは理解できないだろう」
「三沢さんはこの作品のファンに片っ端から声をかければお友達になれるだろう」
「ただ、三沢さんはこの作品を激しく嫌うであろう」
というわけで、「千歳くんはラムネ瓶のなか」です。
昔私は「三沢さんを主人公としてせめて小説の中だけでも三沢さんが幸せになれるなろう作品を書いてみたい」
という願望があったりなかったりしたのですが
本作は「そんな私の腐った願望を知らぬまに私の代わりに実現してくれている作品」
として、私の中ではとても評価が高いクソラノベです。
※さすがに誤解する人はいないと思いますが一応書いておくと、私は本当に楽しんでいますが、文句のつけようのないクソ小説です。
「クソなものにツッコミを入れることが楽しい」と思わない人にとってはまじで苦痛だと思うので、自分がそういう人間でないと思うならそっ閉じ推奨です。
ちなみに私は1巻よりも2巻、2巻よりも4巻が、4巻よりも6巻が、そして6巻よりも7巻がクソ =つまり私にとっては面白いと思っています。
逆に言うと、3巻および5巻は普通に大きなマイナスポイントがなく普通に読めるので私にとっては一番つまらなく感じます。
本作品に関して言えば、下手にマイナスを0に近づけるより、マイナスのまま突っ切ってほしいです。
忙しい人のために、この記事で言いたいことまとめ
作者は千歳の「リスクを冒してでも美学を貫くドラマチックな生き方」を格好良いと考えていますが
私にはそれが「現実的なリスク管理や倫理観を無視した、独りよがりなナルシシズム」に見えてしまっているということです。
作者の格好良いと思ってる部分が、私と致命的にずれており、にも関わらず作中で作者の価値観が絶対的に肯定されているのを見て三沢さんの文章を読んでいるときのような楽しさを感じるということです。
1. 作者の「格好良い」と視聴者の感覚が致命的にずれている
作者が「これが格好良い主人公や大人だ」として描いている描写が
多くの視聴者(投稿者)にとっては「不合理」「自己満足」「不快」に映る。
主なズレは以下の点に集約されます。
• 主人公(千歳朔)の行動原理:
◦ 作者の意図: 敢えて「憎まれ役」を買って出たり、危険な状況に身を投じたりすることで問題を解決する姿を「自己犠牲的でハードボイルドな格好良さ」として描こうとしている節があります。
◦ 視聴者の感覚: しかし投稿者は、他に安全で確実な手段(警察に通報する、普通に説得するなど)があるにもかかわらず、わざわざリスクの高い「悪手」を選んでいるため、単なる「救世主願望を満たすための自己満足(オナニー)」にしか見えないと批判しています,。
• 周囲の反応(賞賛)の違和感:
◦ 作者の意図: 主人公の行動を仲間たちが理解し、「危険を顧みずヒロインを助ける朔はすごい」と評価することで彼のカリスマ性を演出しています。
◦ 視聴者の感覚: 仲間たちがヒロイン(悠月)の身の安全よりも「助けようとする朔」を心配したり賞賛したりするため、主人公を気持ちよくさせるための「舞台装置」や「取り巻き」に見えてしまい、不気味さを感じさせています,。
• 「大人の余裕」の履き違え(教師の描写):
◦ 作者の意図: 教師がヤンキー相手に動じず、飄々と対応する姿を「大人の格好良さ」として描こうとしています,。
◦ 視聴者の感覚: 実際には、生徒が危険に晒されているのに警備員や警察を呼ばず、現場で無駄話をしているだけに見えるため、「だらしない」「無責任」「イキっているだけ」というマイナスの印象を与えています,。
2. 作者が考えている「格好良さ」とは何か
中二病患者は理解を求めてる。しかし、それと同じくらい理解されたくないんだよ
本作は、主人公が陽キャなのに厨二病という非常に食い合わせが悪い設定を取っているので、めちゃくちゃ違和感が多い描写が多いです。
おそらく、作者が本作で提示しようとしている「格好良さ」の定義は以下のようなものです。
1️⃣ 「美しい生き方」と精神論:
具体的な解決策や論理的な整合性よりも、「美しく生きる」「自分の中に芯を持つ」といった抽象的な精神性を重視しています,。主人公はそうした「美しい生き方」を体現する存在とされています。
2️⃣あえて泥をかぶるヒロイズム:
誰からも理解されなくても、あるいは誤解されても、結果として誰かを救うために一人で行動し、汚名を着ることを厭わない姿勢を美学としています。動画投稿者はこれを「善意を免罪符にした独善的な行為」と断じていますが、作中ではこれを是として描いています
3️⃣「正解の受け取り方」が存在する演出:
状況のリアリティよりも、そのシーンで作者が意図した「エモさ」や「文脈」を読み取れることを前提とした格好良さです。例えば、明らかにそうするべきではない状況でも「ここは主人公が無理をしてでも戦う場面だから格好良い」というお約束(テンプレート)を共有できることを読者に求めています,。
読者が感じる「千歳の格好良さ」の失敗について
1️⃣「美しい生き方」が「あえて好かれようとしない(嫌われようとすること)」にすり替わっている
彼(作者)が追求する美学は「理解されなずとも人助けをする」「嫌われようともなすべきことをなす」であり偽善ではない「真の善」みたいなことをやりたいのだろうな・・・ということは何度も説明されるのでわかります。
しかし残念ながら、作者はこれを自然な形でえがくことができない。
その結果、この「偽善の拒否」にこだわるあまりに
「必要もないのにあえて理解されないように振る舞う」「必要もないのにあえて嫌われる行為をする」という「偽悪」に走ってしまっているんですよね。
あえて相手の目に付くところで露骨に悪口を言うシーンが結構あるのですが、堂々としてようがコソコソしてようが悪口は悪口なのに
作者のジャッジだと「堂々という悪口は格好良いからOK」「千歳のいう嫌がらせは愛のあるいじりで格好いいからOK」みたいな判定が出てしまっている。
全然格好良くないから!!!!
2️⃣☓あえて泥をかぶる ◯わざと不合理・非効率・ハイリスクローリターンな方法を選択することで危機的状況を作り出すマッチポンプをヒロイズムとよむのは無理でしょ…
これも「誰からも理解されなくても、あるいは誤解されても、結果として誰かを救うために一人で行動し、汚名を着ることを厭わない姿勢」をやりたいことはわかっているんですが
実際にはリスクを取るべきでない箇所でハイリスクな行動を取ることが多く、しかも別にリターンは普通の方法でも全く同じなので、全く合理性がない行動ばかりです。
こちらも 「誰からも理解されなくても、あるいは誤解されても」を優先しすぎた結果として「理解されないこと」自体が目的化してしまっています。

それでも自分だけがリスクを取るだけなら百歩譲って許せるとして、リスクを背負うのはヒロインの悠月であるというケースが多すぎます。
つまり、自分の不合理な展開で、ヒロインに不必要かつ過剰なリスクや精神的重荷を背負わせて、ヒロインが潰れかかってから助けに来るという構図です。
よく言っても「マッチポンプ」です。 もっといえば、私には千歳くんは代理ミュンヒハウゼン症候群一歩手前の精神状態に見えました。

とにかくリスクコントロールが無茶苦茶であり、「どうやっても結果として自分の思ったとおりになる」ということを知ってないと取れない行動が多すぎます。
3️⃣絶対に間違いとまでは言わないが、ツッコミどころ満載なのに「私こそが絶対の正解だ」と言わんばかりの主人公賛美ののゴリ押しというか押し付けがとにかくキツイ!
どう考えてもツッコミどころ満載であり、基本的には千歳の行動のせいで余計な手間やリスクが発生しているのに
その理不尽な行動を「これが正解だったんだ」って押し付けられるのがまじでしんどい!
ヒロインがマッチポンプに騙されて千歳のことを好きになるのはまあいいとして、それを指摘する第三者がこの作品にいないことがやばい。
それどころか、千歳を批判するやつは、例外なくすべてものすごい醜悪で愚劣な人間として徹底的に貶められる
この歪んだ価値観を受け入れられない読者には「お前のような悪い読者には居場所を与えない」「文句言うならブロックしたあとエアリプで誹謗中傷しまくってやる」という態度なのだ。
完全に三沢さんの書く文章を読んでるときと同じ印象を持ってしまう。
といっても作品を見てない人には何を言ってるのかわからないと思うので、問題点を指摘してくれている動画の内容を紹介しておきます

第一の問題点


第二の問題点



第三の問題点 主人公が破綻する行動を取ることで自体をややこしくしてるだけになってる



おまけ:千歳くんの行動の危うさを理解するために「女子高校生コンクリ詰め殺人事件」を振り返る

