「まともな人間を好きになろうと思ったら、本人にもまともさが必要になるんだよ」
「私は誠実な人間から旨味を感じられないんだよね」


ガッシボカッ。よしきに999のダメージ。よしきは死んだ。
まぁそれはそれとして、鈴木の選択は「スクールカーストみたいな固定観念持ってるやつ」には刺さるよね


平くんはスクールカーストとか「釣り合い」とかをやたら気にする人なのだけれど
鈴木が本気で谷くんのことを好きであることを知って
鈴木はちゃんと谷のことを見ていて、
周りは鈴木の選択だから反対しない。
誰かの評価を気にしたりなんて、誰もしていない・・・
平くんのスクールカースト観は「知性化」という防衛機制の一種なのだけれど
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知性化とは、直面する不安や感情的な痛みを、理屈や理論で理解しようとすることで遠ざける心の働きです。
別れた直後に「人間関係とは成長のプロセスだ」と語る。
怒りを感じても「それは投影同一視の作用ですね」と分析して済ませる。
悲しみの最中に「これはストレス反応の一形態だ」と自分に説明する。
心は、あまりに強い情動に飲み込まれないよう、知性という“防御壁”をつくるのです。
知性化は、心の痛みに“意味”を与えますが、やり過ぎると、心の温度が失われていきます。
感情を体験できなくなる:悲しみを語りながらも涙が出ない。
他者との距離が広がる:「わかるけれど、感じられない」と言われる。
癒しのプロセスが止まる:感情が“未消化”のまま、心の奥に沈む。
つまり、痛みに潰されないように盾を提供してくれますが、逆に痛みを感じることを遅らせる働きでもあります。
平くんは賢いから、学生なのにそれにきづいいてしまう。
俺がやたらと他人の立ち位置やランクが気になってしまうのは自分視点の基準がないからだ。
ちゃんと自分があるやつは、他人の変化で揺らいだりしない。
他人と自分を切り離せてる
ヒエラルキーに縛られてるのは、俺だ。

知性化できるくらいに賢くて、その知性化の欺瞞に気づいてしまうのって逆にしんどいと思うんだけど
知性化って実際に「正論」ではあるから気づいてもその盾を捨てるの難しいんだよね。
この作品はともかく一般的にはみんなどうやってこの知性化状態から脱却するんだろう。
谷くんの話もいい・・・普通の人って、嫌われたくない大事な人ができることで、些細な言葉のニュアンスのズレに逐一気になってそこで学習していくんだな・・・いいな・・・

このマンガは特に真剣に恋愛してるから
うまく伝わらないニュアンスを一生懸命伝えようと努力するのでどんどん解像度が上がっていくんよね。
趣味はぜんぜん違うだろうけれど
全部が全部合わなくてもいいっていうか
徐々にお互いのこと知っていって
これが好きって話したときに「あー好きそう!」って言えるような
「あなたのことをわかってる人」になりたいなって
私はこういう経験が絶望的に足りないから、
ニュアンスを柔らかくしたり、ズレを調整する能力が低い。
だから未だに思ったことは長文でバーっと喋るしかできない。
私が長文で喋る時は間違いなく「ん? なんか私の言いたいことが全然伝わってないな?」って思ってるときですね。
逆に長文がやたらと少ない時は、その人とのやりとりに安心できてるってことですね。
「知性化」についてもうちょっと

1. 「正論」と「実感」を切り離す
知性化が厄介なのは、おっしゃる通りそれが「正論」だからです。
スクールカーストも、ある種の社会学的・生物学的な事実としては説明できてしまいます。
脱却の第一歩は「それは説明としては正しいが、私の幸福には寄与していない」と認めることです。
理論: 「カースト上位と下位が付き合うのは不自然だ」
実感: 「でも、目の前の二人が幸せそうなのを見て、僕はモヤモヤ(あるいは羨望)を感じている」
この「正論」と「自分の心のざわつき」の乖離に気づき、「正論よりも、この『ざわつき』の方にこそ自分の真実があるのではないか?」と疑い始めることが突破口になります。
2. 「身体感覚」への回帰(マインドフルネス的アプローチ)
知性化しているとき、人は「首から上」だけで生きています。
感情を言葉(ラベル)で処理して、脳のゴミ箱に捨てている状態です。
そこから抜け出すには、理屈を止めて「今、体のどこが痛いか、熱いか」を感じる訓練が必要です。
「ヒエラルキーに縛られているのは俺だ」と気づいた瞬間、彼はおそらく胸のあたりが苦しくなったり、胃が重くなったりしたはずです。
その「不快な身体感覚」を理屈で解説せずに、ただ耐えて味わうこと。これが「知性化という防衛機制」を解除する作業になります。
3. 「コントロールできないもの」に身を投じる(脆弱性の受容)
知性化の目的は、予測不可能な感情や他者からの拒絶を「予測可能(コントロール下)」に置くことです。
脱却する人は、どこかで「理屈では説明のつかない、カッコ悪い自分」を他人にさらけ出す経験をします。
平くんの例で言えば、ランクや釣り合いを無視して、ただ「君と話したい」と理屈抜きで誰かに歩み寄ること。
失敗して傷ついたときに「これは心理学的な投影だ」と分析するのではなく、「めちゃくちゃ恥ずかしいし、ムカつく!」と叫ぶこと。
「知性」という安全な観客席から降りて、泥臭い「感情のリング」に上がる決意をしたとき、知性化の盾は自然と置かれることになります。
平くんのように「知性化の欺瞞」に気づいてしまう人は、「盾を持っている自分を、さらに高い場所から観察するもう一人の自分」がいる状態です。
気づけば気づくほどどんどんメタ視点になっていって余計に感情から遠ざかってしまったりします。
「俺は今、不安から逃げるためにカーストという理屈を使っているな。なんて浅ましいんだ」と、自分をメタ分析してさらに追い込んでしまう。
これは非常に孤独でしんどい作業です。
しかし、この「しんどさ」こそが「自分視点の基準」を作り上げるための産みの苦しみでもあります。
彼が鈴木さんや谷くんを見て感じた「揺らぎ」は、知性という壁にヒビが入った証拠であり
そこからしか新しい自分(自分だけの評価軸)は生まれてこないのだと思います。
平くんがこの後、どうやってその「盾」を置いて、生身の自分として他者と関わっていくのか……という視点で見ると、さらに物語の深みが増しそうですね。