「超かぐや姫がつまらなかった」と強く主張する記事が話題になっている。
興味深いのは、SNS上では本作が非常に好意的に受け取られている一方で、この記事に対して目立った反論がほとんど見られない点だ。
私自身も、記事で挙げられている個々の指摘については、大部分で納得できる。
物語の構造を整理すると、批判の内容は概ね次のような点が特に指摘どおりだと思う。
・主人公・いろはが有能すぎる。諦めてるだけでその気になれば多くの問題を自力で解決してしまう。じゃあなんでいろいろと諦めてたの?ってなる。
・かぐやは当初は諦めの姿勢を取っていたので、絶対どうにもならない話なのかと思ったら、いろはの歌をきっかけにかぐやが決意したら割とあっさり解決してしまう。そんな解決策あるならなんでそんなシリアス感出してたのってなる。
・結果として、この作品では「決断さえすれば物事はなんとかなる」という展開が繰り返されて、その場その場ではエモい描写になっているが後から見返すと首を傾げるところが多い。
・シナリオの都合でキャラが捻じ曲げられているような印象を感じるところが多く、キャラクターに芯が通っていない(記事中では「人生がない」と表現)ように思えてしまう。
具体的にいうと
・子育ての困難はかぐやの急成長によって早々に解消され、
・ツキビトたちは対立者ではあるものの、主人公たちを深刻に傷つける存在としては描かれない。
・いろはを苦しめていた母親も、彼女が決断すると反論せず受け入れ、兄との確執も比較的軽いイベントで解消される。
・高校生にして家を出るほど追い詰められていたはずの心理的苦しみも、詳細には描かれない。
こうした描写を重視する立場から見れば
人物描写や葛藤の積み重ねが不十分であり、脚本に物足りなさを感じるのは自然なことだ。
その意味で、記事で示されている批判は妥当であり、否定されるべきものではない。
ただし、私はそれらの批判が正しいことと、「この作品がつまらない」という結論とは必ずしも一致しないと考えている
理由は、この作品の評価軸が、記事で前提とされているものとは異なると感じたからだ。
話題となった記事の批判の大部分は「人物の内面がどれだけ丁寧に描かれているか」「困難がどれほど現実的に処理されているか」といった軸に基づいている。
しかし「超かぐや姫」が主に描こうとしているのは、困難そのものやその解決プロセスではないと思う。
「どうしようもない困難を眼の前にしても諦めないと決断する瞬間」そのものではないだろうか。
この点で、本作は『トラペジウム』と近い構造を持っていると感じた。
『トラペジウム』も、アイドルになるまでの過程は無理が多く、冷静に見れば批判できる点はいくらでもある。
しかし、物語の終盤で描かれる「崩壊」と「それでも諦めきれないアイドルへの憧れ」の描写は
シナリオの整合性とかの批判点などを考慮してもなおグッとくる迫力があり、作品全体の評価が大きく転じるタイプの作品だった。
「過程の完成度」を重視する評価軸だと減点が多くなるが、到達点や主題の提示を重視する評価軸では、十分に成立する。
どちらの軸が正しいという話ではなく、どの軸で見るかの問題であるが、私は終盤の展開だけでも見てよかったと思えるくらいには面白いと感じた。
「超かぐや姫」も同様に、途中の展開には粗が多い。
起承転結で言えば、導入はテンポが良い一方、承と転にあたる中盤は冗長に感じられる場面が多かったし、先程述べたようによくよく考えると「ん?」と思う箇所も多い。
特定の文化圏に強く依存した描写についても、好みが分かれるだろう。
それでも、終盤で描かれる展開とメッセージによって、私は作品全体を肯定的に受け取ることができた。
(まぁ事前にダメだと言われている部分は全て予習していったからこそダメな部分は覚悟できていたからかもしれないけれど)
本作が提示しているのは、
・ハッピーエンドを求め続けてもいい
・信じて行動すれば、願いは叶うかもしれない
という非常に抽象化されたメッセージだ。
そのメッセージを伝えるために、『竹取物語』という「理不尽の象徴的構図」をモチーフとして借りているに過ぎない。
この前提に立てば、人物の細かな心理描写や因果関係の緻密さは、主目的ではない要素になる。
それらを重視する見方では評価が下がるのは当然だが、それだけで作品全体を否定する必要はない。
本作が描いているのは、
「困難をどう乗り越えたか」ではなく、
「困難を想像して立ち止まっていた人が、それでも諦めたくないと決断する瞬間のエモさ」なのだから。
理屈や現実性をすべて満たした物語ではない。
だが、どう考えてもバッドエンドにしか見えない断絶を、理屈を超えて飛び越えるという一点に絞って描き切った点は
素直に気持ちよかったと思うし、私は決してつまらなかったとは思わない。
まぁごちゃごちゃ言ったけど結論としては
記事で指摘されている問題点は個々には正しい。
しかし、それらの批判は、この作品の主題というか面白さの核となるそのものを否定するものではないと感じる。
主題と異なる評価軸で測れば低評価になるのは自然だが、そのことと「作品としてつまらない」という結論は必ずしも直結しない。
この作品をどう受け取るかは、どの評価軸を採用するかによって大きく変わるとして、私としてはこの作品が提示しようとした主題に対しては、十分に成功していると感じた。
というわけで、このあたりを見て気持ち良いと思った人は、「良くないかもしれない点」でひっかかるリスクも回避できたので後は良い点を楽しむだけです!
おとなになると、批判的な目線を持って見ないと「バカにされるのでは」っていう恐れを持ってしまって素直に楽しめないってのはわかります。
今回はそういう批判的な目線でのチェックはもう増田がやってくれたので
そういう「考えながら見るべき」箇所は全て終わったので、後は純粋な気持ちで楽しんで見ることができますね。
そういう意味でも、増田の批判的なレビューは必要なものだと思います。
うまいこと活用して、自分なりに作品を楽しんでみましょう。 エンタメ作品なのでどうやったら自分が楽しめるかを考えましょう。
おまけ:実はこの記事はnoteで書いた「なぐり書き」の修正版デス。
最近、基本的にAIに何でも書かせているせいでアウトプットができなくなってきているので
noteのメンバーシップでは、感情のままなぐり書きをするようにしてるのだけれど
殴り書きの状態だといろいろ論理とか説得力とかが弱く、読んでる人が「???」となる文章になってしまう。
勢いで書いてるから「言い過ぎ」「攻撃的」な表現にもなってしまう。
AIが書いた文章と比べるといろいろと臭みがありすぎて普通の人には読めたものではない。
だから書きながら直したり、見返した後もちまちまと手直ししたりする必要があるのだけれど
でも、そういう「言い過ぎ」とか「臭み」の部分がないとそもそも文章を各事自体がつまらないなと思うところはあり
noteでだけはあえて手直しすらせずに思ったことを一切立ち止まらずに書くみたいなことをやってます。
たまに勢いがついて自分から見てもおかしくなった文章については
チャッピーくんに「この文章でひっかかるところ指摘して」と指摘してもらったうえで書き直しをしたりしてます。
なんかこの年になって、初歩的なところからやり直してる感があってちょっと面白い。