頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

「親密性の暴政」と言うとわかりにくいが、簡単に言うと「大谷翔平がミズハラに金勘定まで任せてしまった問題を国レベルでやってはいけない」という話です

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これに関してとりあえず自分で思いついたことを喋ってもらったうえで、Notebook LMにブログ記事に変換してもらった。

AIの作成する文章は自分が色々と「配慮」していた部分を全て抜いてしまっているので非常にきつい言い方になっていますが、その分率直で読みやすいなと思いますね。


この記事については以下の記事を念頭に置いてます。

m-dojo.hatenadiary.com

「残念ながら、こういう要素を持っている(上の論文でいえば「友達として選ばれる資質がある」)人のみが選ばれる」というのを大前提にして、それがある人々の中で、優れた政策や識見を持っている人を選んでいく……、ということしか、少なくとも大衆民主社会では、できないんじゃないか

「どういう選び方してもいいけど、その選択がミスだったとき損失を被るのは自分だという認識がほとんどなく、自分に関係がないアイドルでも選んでるつもりになってませんか」というだけなのですけどね。

ただ、今の日本の選挙は真剣に選ぼうとしても「そもそも選択肢の中に答えがない」というアマンダのゲーム状態の選挙区が多いこともあって、みんなあえて考えないようにしているという意見もあります。





なぜ私たちは「能力」ではなく「親近感」で選んでしまうのか?政治を空洞化させる「親密性の専制」の正体

1. 導入:身近な「推し」の感覚が政治を壊す

現代の私たちは、アイドルやインフルエンサーを「推す」という行為を日常に取り込んでいます。

自分に寄り添ってくれる、あるいは自分たちの気持ちを代弁してくれると感じる対象に共感し、応援する。

この「親近感」に基づく選択は、個人消費やエンターテインメントの場では極めて健全な振る舞いです。

しかし、この「友達感覚」という極めて個人的な物差しが、マクロな利害を調整すべき「政治」の世界に持ち込まれたとき、事態は一変します。


政治家を、あたかも自分の味方や「推し」であるかのように選び

その人物の能力よりも「自分たちへの優しさ」や「おしゃべりの巧みさ」を優先する。

こうした振る舞いは、一見すると民主的な熱狂に見えますが、その実、政治の本質を内部から腐らせる毒となります。

本記事では、社会学者リチャード・セネットが提唱した「親密性の専制」という概念を軸に、私たちが陥っている「政治の空洞化」の正体を鋭く解き明かしていきます。



2. 「全肯定」か「全否定」か:中間を許さない二元論と「背後からの投石」

特定の政治家に対して人格的なつながりや親近感を感じてしまうと、私たちの認知には深刻なバグが生じます。

それは、対象を「全肯定」するか「全否定」するかという、極端な二元論への収束です。

本来、政治的な評価とは「この経済政策は支持するが、この外交姿勢は疑問だ」といった具合に、機能ごとに限定的に行われるべきものです。

しかし、親密さというフィルターを通すと、批判はすべて「人格への攻撃」と見なされ、理屈抜きの擁護が始まります。

肯定あるいは全否定しかできないということですね。

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この極端さを小選挙区制がさらに後押しするのが日本の政治体制であるというのはすでに書きました。

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この親密コードの恐ろしい点は、その脆さにあります。

親密さを維持している間は盲目的に全肯定しますが

一度でも「自分に優しくない」と感じたり、親密さが損なわれたりした瞬間、支持者は豹変します。

それまで熱狂的に支持していた相手に対して、今度は一転して「後ろから石を投げる」ような苛烈な全否定に転じるのです。

そこには理性的な議論の余地はなく、政治はただの感情のぶつかり合いへと空洞化していきます。



3. 社会学者セネットが警告する「親密性の専制(Tyranny of Intimacy)」

リチャード・セネットはこの、親密さが公共圏を支配する状態を「親密性の専制(Tyranny of Intimacy)」と呼びました。

ここでいう「専制」とは、親密さという情緒的なコードが、本来あるべき「機能や論理による評価」を暴力的に抑え込む独裁状態を指します。

この親密コードは、実のところヤクザやヤンキーの世界の論理と同じです。

「身内か、それ以外か」だけで世界を二分し、身内であればどんな不祥事も隠蔽・肯定する一方で、規範から外れた者を「裏切り者」として徹底的に排除する。

この閉鎖的で暴力的な小集団の様式が、国家というマクロな政治の場に適用されるとどうなるか。

それは理不尽に人々を抑圧する「圧政」へと変貌します。

本来、公的な場では「何を言っているか(論理)」が問われるべきですが

親密性の専制下では「誰が言っているか(身内かどうか)」とか「こいつは意地悪かどうか」だけがすべてを決めるのです。



さすがに、一国の首相がテレビタレントに答えにくい質問をされて「意地悪やなあ」っていったらそのテレビタレントをバッシングするような流れが起きるとは思っていませんでした。

太田やTV局が意地悪かどうかで言うと意地悪に決まっています。

で、意地悪だからダメだと言ってるわけですが、批判してる人って自他の区別ついてますか?

首相の仕事や責務を「自分ごと」レベルで考えてる。 そりゃあ首相からしたら「国民チョロすぎwww」ってなりますよね。

とはいえ、今後はそのレベルで思考する人に対して情報を発信していく事が必要になるわけですが・・・。


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4. 能力よりも「おしゃべり」が評価される:職能の軽視と政治の腐敗

親密コードが社会に浸透すると、政治家の「職能(ファンクション)」は軽視され

代わりに取り入るスキルの高い「おしゃべり」やパフォーマンス、いわゆる「ピックアップスキル(取り入り術)」が重宝されるようになります。

かつての安倍政権の後半や、維新の会、そして現在の高市早苗氏を巡る熱狂にも、この傾向が顕著です。

政策の整合性や実務的な成果よりも、「いかに自分たちに寄り添っているかのように見せるか」というトークスキルやポジション取りが評価される。

その結果、本来その地位にふさわしくない不適格な人物が、単に「取り入り方が上手い」という理由で出世していくという、政治の「悪貨が良貨を駆逐する」事態を招いています。

実務能力ではなく親密さで選ばれたリーダーの下には、さらに「取り入り」を専門とするブレーンが集まり、腐敗の連鎖が止まらなくなります。

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裏金問題や行政の劣化は、私たちが政治家を「プロの職能人」としてではなく「親しみやすいキャラクター」として消費し続けた代償なのです。




5. 「大谷翔平が水原一平に金勘定を任せてしまった問題」について

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