頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

ロマン優光さんの「いま「マンガワン」で起こっていること」が記事としてすごく気持ち悪かった

※嫌なら見るな案件をあえて見て文句言う記事です

ある炎上案件についてのロマン優光氏の記事を読んで、最初はうまく言語化できない違和感を覚えた。

内容そのものに強い反対があるというより、「文章の構成」にどこか引っかかるものがあったからだ。


結論から言うと、私が感じた違和感は主に次の点にある。

・記事の構成上、問題の焦点が漫画家3人の発言に大きく寄ってしまい、その結果として自己反省がかなり薄く見えてしまうことだ。

これはロマン氏の意図を断定するものではなく、あくまで「そう読めてしまう構造になっている」という読解上の問題として述べる。

記事全体の構成と焦点

記事の大部分では、マンガワンの騒動の解説の後、炎上のきっかけとなった漫画家3人の発言が取り上げられ、その問題点がかなりの分量を使って論じられている。

さらにSNS上の炎上の構造や、発言がどのように受け止められたのかといった分析も続く。

別に炎上を扱う評論が悪いとは思わない。炎上した問題を検討することは重要な作業でもある。

しかし読み進めていくと、記事のかなりの部分が

・漫画家3人の発言の問題
・ SNS炎上の分析

に割かれている印象を受ける。

そのため読者としては、記事の主題が自然と「漫画家3人の問題」に置かれているように感じられる。

つまりこの記事は、タイトルでは「マンガワン騒動」について語るように見せかけておいて、その点について語ることを避けた結果、「マンガワンについて語った3人のマンガ家の炎上」がメインテーマになってしまっている。

著者にその意図があったかどうかはともかく、形としては「釣り記事」になっていまっている。まずこの点が気持ち悪い。




とはいえ、タイトルの「騙し」さえなければ別にそういう記事だとして読むこともできた。



最後のページさえなければ、だ。




このページを読んだ時にこの記事についてめちゃくちゃ嫌悪感が湧いてきた。




3人のマンガ家の攻撃を「自分のやましさに対する免罪符」にしているように読み取れる構成

一方で、記事の終盤ではロマン氏自身の立場についての言及、いわば自己反省のような部分も出てくる。

ただ、ここで少し気になったのは、その自己反省の内容だ。




もしこの記事の主題が「自分自身も含めてこの問題をどう考えるか」というものなのであれば、自然に想像される自己反省の形は次のようなものになると思う。

つまり、「自分も漫画家3人と同じような問題を起こし得る立場にあるのではないか」という同型の自戒である。

たとえば、

彼らの発言には問題があるが、自分自身も似たような軽率さを持ちうるのではないか

という形で、自分と批判対象が同じ軸の上に置かれるような反省であれば特に違和感はない。


私もよくやる。というか、他人を厳しく攻撃するのに自分を省みないというのはそれこそひどいと思う。




ところが実際の記事では、漫画家3人の問題とはやや異なる形の「自分の問題」が、終盤で比較的短く触れられるだけになっている。

私にとって『D』も『J』も好きな作品だったのに作品が世に出る過程で人間の尊厳を踏みにじっていたということを知ることで名前を書きたくもないものになってしまった。自分が過去にそれらに好意的に言及したことで被害者をさらに傷つけたかもしれないということは忘れてはならないし、なにかについて語るということは常にどこかで加害者となる可能性と切り離せないことを自覚しなければならないと思う。

「自己反省が薄く見える」理由

ここで重要なのは、自己反省が「あるかないか」ではない。

実際、記事の中には自己反省にあたる記述は存在している。しかし問題は、その位置や分量よりも、議論との接続の仕方にあるように思える。

記事の構造を単純化すると、おおよそ次のようになる。

・ 漫画家3人の発言の問題を長く論じる
・炎上の構造を分析する
・最後に自分の問題について少し触れる

この場合、自己反省は議論の中心というより、締めの部分に添えられたもののように読めてしまう。

さらに言えば、批判対象の問題と自分の問題が同じ軸で結びついていないため

自己反省の部分が議論の延長としてではなく、少し外側から挿入されたもののようにも見える。

その結果、自己反省が文章全体の中であまり強く機能していないように感じられるのだと思う。

少なくとも読者としての私には

ロマンさんは1️⃣自身に自己反省すべきことがあると自覚がありながら、2️⃣その問題について正面から語ることを意識的に避けるため、3️⃣他のまんが家への批判を並べつつ、4️⃣その列にしれっと混ざって一緒に反省したことにしてるみたいな体裁を作ろうとしている、と読めてしまった。

最終ページさえなければそこまでイラッとしなかったけど最終ページがあることですごい嫌悪感が出る構成になってしまっていると思う。



これは意図の批判ではなく「読み方」の問題

ここで強調しておきたいのは、これはロマン氏の意図を断定するものではないということだ。

実際にはロマン氏自身が強い問題意識を持って書いている可能性もあるし、この記事の主題がそもそも漫画家3人の発言の分析にあったのかもしれない。


とはいえ、今回は単純に書くのが難しい事案だったと思うので、「自分ごと」が絡む事案についてもコラムを書くことを強制されるお仕事って本当に大変だなと思いました

炎上を扱う評論では、「他人の問題を論じること」と「自分自身の立場をどう扱うか」のバランスは難しい。

誰かの発言の問題を指摘すること自体は必要な作業だが、そのとき書き手自身がどの位置に立つのかという問題も同時に生じる。

今回の記事を読んで私が感じた違和感は、まさにそのバランスの取り方に関するものだった。



ChatGPTとの壁打ちで感情の整理をした内容は以下の通り

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