これで「超かぐや姫!」の話を書くの終わり!暫くの間はこれを結論とします。
この動画めちゃくちゃ面白かった。
そう、チャンネル登録者数6万人のVTuberですらこうなのだから、
本作品はいくら批判しようとしても「勝てない」し「戦いにすらならない」んだよね。

批判というか「気に入らないポイント」や「自分が楽しめなかった理由」はいくらでも語れるだろうけれどそれは、作品の否定には決してつながらないのよ。
もう本作品を批判したところで、それは作品を拒絶している自分に対する拷問の時間が長引くだけ。
素直に認めて気持ちよくなろ? はやく屈して美味しい料理味わおう? あるいはジークアクスみたいに旬がすぎるのを待つしか無いっすわ。
クッキークリッカー型快楽としての物語構造
この動画を見ていて『超かぐや姫!』という作品を改めて考え直すとあるゲームを思い出す。
クッキークリッカー だ。
クッキークリッカーは極めて単純なゲームである。
プレイヤーはボタンを押すだけでいい。するとクッキーの数が増える。
設備を買えばクッキーはさらに増える。
そして気づけば数字は何億、何兆、天文学的な桁まで膨れ上がる。
重要なのは、このゲームでは思考も戦略もほとんど必要ないということだ。リスクもない。失敗もない。ただボタンを押しているだけで、報酬の数字がどんどんインフレしていく。
そしてプレイヤーはその数字を実際に手に入れるわけではない。画面の向こうで増えていく数字を見ているだけだ。それでもなぜか気持ちがいい。この「報酬がインフレしていく快感」を極端な形で抽出したゲームが、クッキークリッカーである。
なぜこれだけのゲームが気持ち良いかというと、
人間は「報酬そのもの」よりも報酬が来そうな予兆にドーパミンが出る性質があるからだ。
わかりきっていても、「もっとすごい報酬がでるかも」と思っている間は人間はドーパミンが出るのでやめられない。
ソーシャルゲームではこれを利用して、序盤は敵が弱いのに、ちょっと敵を倒しただけでどんどん快適にレベルアップが続くように設計されているしガチャの演出は、ゲーム本編以上に凝っていることが多い。
人間の脳とはそういう構造であるということをまず念頭においておきたい。
超かぐや姫!は「報酬演出」に特化したクッキークリッカー型の構造をもつ物語
『超かぐや姫!』の構造を見ていると、このクッキークリッカーと非常によく似ている。
世の中にある多くのエンタメ作品はだいたい次のような構造になっている。
行動
↓
困難
↓
努力
↓
成功
つまり読者は
・努力
・試練
・成長
といった過程を楽しむ。 この過程の部分に、その作品の設定ならではの説得力=リアリティを求める人が多い。
しかし『超かぐや姫!』はこの構造がかなり薄い。
代わりに何があるかというと、報酬の演出である。
たとえば
・百合展開
・ライブシーン
・感動的な盛り上がり
・周囲からの称賛
といった要素が次々に現れる。
これらは物語上の必然というより、プレイヤーに与えられる報酬演出のように機能している。
つまり
行動
↓
報酬演出
↓
さらに大きい報酬演出
という構造になっている。
この「報酬がインフレしていく構造」がまさにクッキークリッカーと同じだ。
この作品は「優越感」を使わない
もう一つ面白い点がある。
それはこの作品が優越感の描写をあまり使わないことだ。多くのエンタメ作品は、読者に快感を与えるために
・ライバルを打ち負かす
・敵を倒す
・モブを見下す
といった構造を使う。つまり誰かより上に立つことで快感を作る。
プリミティブな快感を追求する作品が多いプラットフォームである「小説家になろう」で
「ザマア」展開とか「リベンジ・成り上がり」展開とかが目立つのも、これらは非常に有効だからだ。
しかし『超かぐや姫!』は、あまりそういう構造を取らない。
そもそも動画で語られているように、下の立場の人間に目線を向けることすらほとんどない。
ただひたすら
・楽しい展開
・エモい展開
・盛り上がる展開
が続いていく。
この作品は、他人を否定することで快感を作るのではなく、純粋に報酬のインフレで快感を作っている。
「現実という不純物」を捨てている
もう一つ大きいのは、この作品が現実の制約をほとんど気にしていないという点だ。
現実では
・努力しても成功するとは限らない
・成功には時間がかかる
・人間関係には摩擦がある
といった制約がある。しかし『超かぐや姫!』は、そうした要素をかなり排除している。
現実のリアリティよりも
・エモさ
・盛り上がり
・気持ちよさ
を優先している。言ってしまえば現実という不純物を捨てている。
その結果として、この作品は快楽の純度がとても高い物語になっている。
快感だけを抽出した物語
こうして見ると『超かぐや姫!』は、努力の物語でもリアリティの物語でもなく、快感を抽出した物語だと言える。
思考はほとんどいらない。リスクもほとんどない。ただ物語を追っていけば、
・エモい展開
・盛り上がる演出
・成功のインフレ
が次々と現れる。
この構造は、まさにクッキークリッカーと同じである。
だからこの作品は、現実的かどうかとは別の次元でとても気持ちがいい。
ある意味でこれは、物語というより快楽ポルノに近い作品なのかもしれない。
こういうと作品を軽く見ていると思われるかもしれないが真逆だ。めちゃくちゃ難しい
誰だって理論ではわかっているのだが、それを徹底できた作品なんてほぼ皆無だ。
1:快楽といっても、同じものが続くと人はすぐ飽きる。
2:また「笑い」がそうであるように、人間は「緊張と緩和」で快感を感じる。
だからこそ多くの作品はわざわざストレス要素を適度に挟む必要があるのだ。
3:なによりも、「報酬予測」と矛盾するようだが人間は予測できる刺激にはあまり反応しない。
クッキークリッカーですら単純な快楽だけでは続かないので「新しい設備」「新しい演出」「急激なインフレ」「突然のブースト」などで緩急をつけている。
当然「超かぐや姫!」でも報酬演出の種類をめちゃくちゃ多く用意しており、2時間で飽きさせないようにしている。
① 演出をどんどん派手にする
② 報酬の種類を増やす
③ 擬似的なピンチを作る
④ インフレを加速させる
⑤ ループ構造で謎解き的な快感も与える
※ぶっちゃけ、これでも足りなかったくらいで、私は中盤は兄たちとのゲーム内での戦いは尺稼ぎにしか感じなかったのですごくダルいと思った
みんな、こういう作品は作ろうと思っても作れないのだ。
みんな、純粋に快楽を与え続ける作品を作れないからどこかで妥協して「現実的な努力をして困難を乗り越える話」とか「現実的な描写」みたいな方に走るのだ。
本作は、とにかくプリミティブな気持ちよさを、できる限り最後まで右肩上がりが継続するように積み重ねきったところがすごい。
中盤かなり失速したようにみえたけど、終盤で再びブーストを掛けて最後まで突っ走ったのがすごい。
快感の作り方が徹底しているからこそ、この作品は独特の魅力を持っているのだと思う。
元の原稿と、推敲の過程のメモ(内容は一緒なのでサブスクの方限定で共有)
*1:逆に成功体験が少ない人が継続的な努力できず、刹那的な快楽か、非現実的な儲け話に引っかかりやすいのも、このこの報酬予測ができないからと言われていたりいなかったりする
