いや、そういう行為についてはすでに「権威主義的パーソナリティ」「モラリスト」「キルジョイ」などの言葉があるのに
一生懸命別の用語を作り、「これはミソジニーが原因だ」って持っていこうとする行為について車輪の再発明を行ってしまう人にも
「造語厨」って名前つけても怒らない人だけがこの記事を絶賛したらいいと思う。
「これって男から女にだけこういうねちっこい物言いをするやつがいるの?」という点について言えば
答えは明確に「ノー」です。
この手の「相手の楽しみや高揚感に冷水を浴びせ、それを『社会性』や『マナー』という正論でコーティングしてコントロールしようとする心理」は、性別を問わず、あらゆる人間関係の中に存在します。
1. この構造は「男から女」に限定されない
この記事で書かれているような心理構造(楽しんでいる相手に顔をしかめ、正論で抑え込む)は、以下のようなケースでも全く同じように発生します。
女から男へ: 趣味に没頭してはしゃぐ夫や彼氏に対し、妻や彼女が「いい大人が恥ずかしい」「もっと家計や将来を考えたら?」と、社会性や責任を持ち出して冷やす。
親から子へ: 子供が純粋に楽しんでいる時に、「そんなに騒ぐのは育ちが悪い」「もっと落ち着きなさい」と、教育の名を借りてその活力を削ぐ。
上司から部下へ: 部下が活気を持って仕事をしているのを、「調子に乗るな」「もっと謙虚に、リスクを考えろ」と、規律を盾に抑制する。
同性同士(友人関係): グループ内で一人が目立って楽しそうにしていると、「空気が読めていない」というレッテルを貼って引きずり下ろそうとする。
つまり、これは「性別の問題」というよりは、「自分よりエネルギーが高い(あるいは自由に見える)相手を、秩序という言葉を使ってコントロール下に置きたい」という支配欲のテンプレ的な構造を指摘したにすぎません。
2. なぜ著者はわざわざ膨大な手間をかけて「男から女へ」だけの話に限定して語ろうとしたのだろうか
あなたがこの文章を
キッショ!
と感じられるのだとしたら、それはこの著者が
あえて構図を切り取って「ソフト・ミソジニー(軟弱な女性嫌悪)」という特定の社会問題としてラベリング(定義付け)しようとする偏った意図が透けて見えるからでしょう。
この手法には以下の側面があります
政治的な意図: 社会構造としての「男性優位」を批判するために、あえてターゲットを絞って論理を組み立てている。
特定の文脈の強調: 「女は感情的、男は論理的」という古いステレオタイプが今なお根強く、それを利用して「説教する男(マンスプレイニング)」という型に当てはめると、批判として成立しやすい。
3. 「気持ち悪さ」の正体
あなたが感じた「気持ち悪さ」は
分析をしているフリをした結論ありきの誘導に見えるからでしょう。
この文章自体が、批判対象(ソフト・ミソジニスト)を分析するふりをしながら、実は「読者を特定の結論に誘導しようとする非常に強力なレトリック(説得術)」で書かれているため、その強引さが粘りつくような嫌な感じとして伝わってきたのだと思います。
この話は、決して「男から女」だけの特殊な感情ではありません。
「自分にとってコントロール不能な他者の喜び」に脅威を感じる未熟な人間が、もっともらしい理屈をつけて相手を黙らせようとする、非常に普遍的で醜い心の動きです。
それを「男の問題」としてだけ語ろうとするのは、ある種の一面的な見方であり「これ、話術で誘導されてないか?」という違和感は、情報の公平性を保つ上でとても大切な感覚だと思います。
繰り返しますが、この文章の構造は「穴埋め問題(テンプレート)」のようなものです。
特定の属性(男、親、上司など)を当てはめれば、どんな対象に対しても「もっともらしい加害論理」を捏造できてしまいます。
「ソフト・ミサンドリスト」や「ソフト虐待親」バージョンも、驚くほど簡単に作れてしまうのがこの論法の恐ろしいところです。
具体的にどういう構造になっているのか、そして「この作者の狙い」は何だったのかを解剖してみましょう。
1. 誰にでも応用できる「支配のテンプレート」
この文章の核にあるのは、「相手の自由なエネルギーを、"愛"や"常識"という名の檻に閉じ込める」ロジックです。
| 対象 | 表向きの「正論」 | 隠された「支配欲」 |
| ソフト・ミサンドリスト | 「男は感情表現が下手で損をしている。もっと弱さを開示すべきだ(=それが社会性だ)」 | 男性のプライドや沈黙を「未熟さ」と定義し、自分の土俵に引きずり込みたい。 |
| ソフト虐待親 | 「外で恥をかかせたくないから厳しくするんだ。世の中は甘くない(=これが教育だ)」 | 子供が自分と違う意思を持つことを「リスク」と捉え、管理下に置きたい。 |
どのパターンも「私はあなたのためを思っている」「私は社会のルールを言っているだけだ」という防壁を張っているため、反論しようとすると「お前は常識がないのか!」と逆ギレできる構造になっています。
結局この作者は何をやりたかったのか?
この執筆者の狙いは、おそらく以下の3点に集約されます。
① 「見えない不快感」に名前をつける(ラベリング)
世の中には、露骨に「女は黙れ!」とは言わないけれど、じわじわと相手の元気を削ぐような振る舞いをする人がいます。作者は、その「言語化しにくい嫌な感じ」に「ソフト・ミソジニー」という名前を与え、悪事として告発したかったのでしょう。
アクタージュの作者が大好きなやつですね。
② 「加害者の脳内」をあえて晒し、解体する
「加害者はこういう理屈で自分を正当化しているはずだ」という一人称の独白を書くことで、その欺瞞を白日の下にさらそうとした。いわば、「敵のロジックをシミュレーションして、それを徹底的に叩き壊す」という知的なプロレスを見せたかったのだと思われます。
③ 政治的・思想的な「啓蒙」
「男が女の喜びにケチをつけるのは、単なるマナーの問題ではなく、構造的な差別(支配権力の行使)なんだよ」というメッセージを突きつけることで、読者の意識を変えようとする、かなり強い意図(イデオロギー)を感じ
この作者自体が、批判している対象(ソフト・ミソジニスト)と同じ手法を使っているのは意図的なもの?
決めつけの暴力: 「男(加害者)は心の中でこう思っているに違いない」という、レッテル貼りをベースに論理を展開している。
・絶対的な正義感: 「自分の分析こそが正解であり、これに違和感を持つのは理解が足りないからだ」という、メタ視点(上から目線)での語り。
つまり「抑圧を批判する文章を書いても伝わらないから、読み手を抑圧・誘導しようとする気持ち悪い文章を書いて不快感を与えることで
お前らがやってるのはこういうことだよと突きつけてやろうとした、、、のかもしれない。
結論
この作者は「特定の社会問題」をえぐり出そうとしたのでしょうが
その手法が「普遍的な人間の嫌な部分(支配欲)」を「特定の属性(男)」にだけ押し付ける形になっていたため
公平な視点からみると「これは一種のプロパガンダではないか?」という違和感を与えるのだと思います
この感想が全てを言い表していると思います。
想像力を働かせて言葉を尽くし、丁寧に藁人形を作ったうえで更に念入りにボコボコに殴っている。なんでこんな事してるんだろう
さすがにこの記事に全力で向き合うのは時間の無駄すぎると思う・・・
記事の書き手よりもブクマカが問題ですね。
ぶっちゃけこの記事をありがたがってるブクマカは
そういう歪みすら認識できないアホなので、みんな非表示でいいと思います。
それはそれとして、いつも私のブログにきっしょいコメントを続けていた人が元彼にモラハラされてた女性であることがわかった。

もういろいろと答え合わせすぎるでしょ・・・
