に関して、これはおまけ的な話
謝罪をどう評価すべきか、という話になると、どうしても「態度」に目が行きがちです。
ですが本来、見るべき順番には優先度があります。
まず大前提として重要なのは、次の4つです。
1.誰に対して謝っているのか

謝罪は本来、特定の相手に向けたものです。
にもかかわらず、その対象が曖昧だったり、ズレていたりする場合、その時点で謝罪としての土台が崩れています。
たとえば、本来は被害を受けた当事者に向けるべき謝罪が、世間一般や関係の薄い第三者に向けられている場合、
どれだけ言葉を尽くしても「肝心な相手に届いていない」状態になります。
2.何について謝っているのか
次に重要なのは、問題の認識です。
何が問題だったのかを正しく捉えられていない謝罪は、表面的には丁寧でも本質を外してしまいます。
ただしここには注意点もあって、「何が問題か」は立場によって見え方が変わることがあります。
だからこそ、「自分の理解が絶対に正しい」と思い込むのではなく、
少なくとも問題を理解しようとする姿勢があるかどうかが問われるべきです。
3.反省を踏まえて、今後どう行動するのか
謝罪が意味を持つかどうかは、最終的にはここに集約されます。
どれだけ言葉で反省を述べても、同じ行動を繰り返すのであれば、その謝罪は機能していません。
逆に言えば、問題点を正しく理解し、それに基づいて行動が変わるのであれば、謝罪は実質的な意味を持ちます。
多くの場合、1と2がきちんと押さえられていれば、3は自然に導かれるはずです。
その意味で、この3つは切り離されたものではなく、連動しています。
4.本当に反省しているか(態度)
ここでようやく「態度」の話になります。
もちろん、誠実そうに見えるかどうかは無関係ではありません。
ただし、これを最優先にしてしまうと、本質を見誤る危険があります。
たとえば、
・言葉遣いは丁寧で、深く頭を下げている
・しかし誰に対して何を謝っているのかは曖昧
・今後の行動も特に変わらない
こうしたケースは、見た目の印象は良くても、謝罪としての中身は乏しいと言わざるを得ません。
一方で、
・対象も内容も明確で
・問題点を踏まえた改善策が示されている
・ただし話し方や表情はやや不器用
という場合、印象だけで評価を下げてしまうのは、本質的とは言えないでしょう。
結局のところ、謝罪で最も重要なのは、「問題を正しく認識し、その結果として行動が変わること」です。
そして、そこまでできている人は、特別に「態度」を取り繕わなくても、自然と申し訳なさはにじみ出るものです。
逆に言えば、態度だけを切り取って評価してしまうと、本来見るべき「理解」と「変化」を見落としてしまう可能性があります。
裏を返せば謝罪を評価する側に態度を重視するのは、「明確な基準がない」「見る目がない」って言ってるようなものだと思う
謝罪を評価する側もまた、何を基準に見るべきかを意識しなければなりません。
印象の強さではなく、「誰に」「何を」「どう変えるのか」――この順番で見ていくこと。
それが、謝罪という行為を正しく受け取るための、最低限の前提だと思います。
ネット民の人とかは謝罪を見てるとき、自分は100%評価者だと思ってそうな気もしますが
謝罪をどのように評価しているかって結構他人から見られてると思うんですよね・・・。