いやーこのマンガめちゃくちゃ面白いな。
お仕事ものとして図書館の仕事のうんちく話を色々学べるところも良いのだけれど
一人ひとりが違ったスタンスで仕事に向き合っていてちゃんと個性になっているからヒューマンドラマとしてもすごく楽しい。
作者さん自身がもともと図書館で勤務をしていたから仕事の現場の解像度が高いだけでなく
一つ一つの問題について真摯に考えて、それぞれの部署の人間の立場を尊重しているからこそ描けるドラマという感じ。
9巻の「角野」さんの闇落ち寸前描写すごく良かった・・・
角野さんは、いい人すぎる。
司書教諭⇒学校司書を経て図書館勤務になった人で
司書教諭時代に子どもの学ぶ環境をちょっとでも良い状態に保ちたいとして頑張りすぎて
過労で動けなくなるくらい頑張ってしまった。
ちょっとのめり込みすぎているくらいだ。
そしてその「いい人さ」が、今回明確に裏目に出ている。
彼女は過労になるくらい図書館の環境をよく保とうとしたくらい子ども思いであるが
それゆえに、職場によって図書館のレベルが違いすぎることが許せなかった。
だからこそ「人が替わっても質が保たれる基準」を作ろうとする。
一見すると、それは正しい。
むしろ組織としては理想的ですらある。
だがその結果、彼女は児童科の予算を機械的に削る基準を、無理やり作ろうとする。


ここに、この話の怖さがある。
児童科のチーフはまだ1年目で、試行錯誤の最中だった。
それでも現場では、子どものためにできることを模索し、能動的に動いている人がいる。
本来なら、そういう場所こそ支えるべきだ。
少なくとも「様子を見る」という選択肢はあったはずだ。
だが「基準作り」を優先した瞬間、それは許されなくなる。
個別事情はノイズになる。
努力も成長の可能性も、「例外」として切り捨てられる。
そして残るのは、「平等に削る」という判断だ。
これは間違いなのかと言われると、そうとも言い切れない。
予算は減らされている。
誰かだけを優遇すれば不公平になる。
属人化を避けたいという理屈も正しい。
だからこそ、この話は厄介だ。
正しさで、人を潰してしまう。
角野さんは子どもを守ろうとしていたはずだった。
しかし気づけば彼女が守っているのは、「基準」という仕組みになっている。

正義の恐ろしさはここにある。
それは視野を狭くするのではなく、正確には「狭めざるを得なくする」。
リソースが限られている以上、すべてを守ることはできない。
だから何かを選び、何かを切るしかないという判断をしてしまう。
そのときに自分は「正しい理由」を持っていると
自分がやらねばと独善的になってしまう。
周りの人が諌めても立ち止まろうとせず衝突しながら
もはや自分がもともと何をやろうとしていたのかもわすれてその正しさに向かって邁進してしまう。

そしてその正しさが、自分自身すら追い詰めていく。
マンガの落とし所もかなり好き
この問題に明確な正解はない。
そもそも今回のエピソードは図書館の全体予算が減らされたところから始まっている。
予算は減らされ、リソースは限られている以上、
何かを切り捨てるしかない状況そのものは変えられない。
だから重要なのは、「何を選ぶか」ではなく「どう扱うか」なのだと思う。
基準を作ること自体は間違っていない。
だがそれを絶対視し、例外なく適用しようとした瞬間、現場の現実とズレ始める。
特に、児童科のような「まだ成長途中でいろいろ試行錯誤しながら積極的に取り組んでいる人がいる領域」は機械的に削る対象ではない。

それをやってしまうと、努力している部署ほど削られることになってしまって組織のモチベーションが死んでしまう。
結果が出ていないからこそ、試行錯誤が必要であり、そこに投資する意味がある。
それを切ってしまえば、「未来」を削ることになる。
そして何より、この問題を一人で背負おうとしたこと自体が無理があった。
予算配分は本来、個人の善意や責任感で解決できる問題ではない。
だからこそ、複数人で判断し、視点を増やし、正義そのものを共有する必要がある。
正義は大切だ。
しかしそれは固定するものではなく、状況に応じて調整していくものでもある。
一人で守ろうとした正義は、簡単に視野を狭める。
だが誰かと共有された正義は、少なくとも暴走しにくくなる。
そのあたりが「図書館の仕事」というものを通じていろいろと議論されていてなかなか読んでて楽しかった。
まぁそれはそれとして、児童科の小池さん、メンタルお化けすぎてワロタwww


