頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

当事者の感覚として「それ本当に発達障害か?」ってケースが、インターネット上ではすぐ発達障害として扱われているのを見てしまうと「発達障害はゴミ捨て場じゃねえぞ」って言いたくなる

みーちゃんブームがきっかけなのか、本来そっとしておくべき底辺のVTuberや変な配信者が大勢可視化されれるようになってきてる気がして怖い……

そしてそういうやべー人たちや変わった人たちに対して、全然知識がない人が安易にASDとか、発達とかレッテル貼っているのは昔から変わらないけどやっぱり見てて嫌な気持ちになる。

「みーちゃん」という共通ワードを手に入れたせいなのか、あれで耐性がついてしまったのか

最近この手の人を取り上げてみんなでおもちゃにして遊ぶみたいなケースがちらほら目に入ってくる・・・ぶっちゃけ、「ASD」とか「ADHD」の分類以前の人たちなので、そっとしてあげてほしいのだけれど。



自己客観視ができない人にASDの可能性があることは否定しないけど、初手ASDで決め打ちしようとするのは本当に迷惑だからやめてくれ…


SNS上で炎上や批判にさらされたとき、外部の意見を取り入れず、自分の認識の中に閉じこもるような反応を示す人は少なくありません。

このとき、「ASDではないか」といったラベルで理解しようとする前に、いくつかの認知的な観点から分解して捉えることが重要です。




①まず疑うべきはASDじゃなくて感情の未分化(アレクシサイミア的要素)

まず考慮すべきは、感情の解像度の問題です。

今回のようなケースでは、

・強い不快感はある(攻撃されている、嫌だ)
・しかしその内訳(恥・不安・困惑など)が整理されていない
・結果としてすべて「誹謗中傷」として処理される

という状態が見られます。

これは単に「怒っている」のではなく、感情を細かく認識・言語化するプロセスがうまく機能していない可能性があります。

この場合、本人の中では一貫していても、外から見ると「話が通じない」「極端に見える」という印象になります。



これはこちらでも書きましたけれども。

note.com

ぶっちゃけ「なんでこんなことやったの?」って言われてちゃんと答えられない人って世の中にたくさんいますからね。知的障害とかそういう話じゃなくても。

自分がどういう感情でこういう行動を取ったかも説明できないのだから、当然「なにが悪いか」だってわからないわけですよ。

こういう「失感情症」的な人はASDと反応が重なりやすいけど、必ずしもASDではない。

だけど、なんかもう最近この2つが同一視されてるケースが多いのでとても困ります。




② 中央統合(セントラルコヒーレンス=全体像の把握の問題)の弱さについてもちゃんと観察したい

次に、情報のまとめ方の特性です。

通常であれば、

・批判の中身
・言い方の問題
・文脈(立場・発信場所)

といった複数の要素を統合して状況を理解します。

しかし、

・一部の強い言葉(例:攻撃的なコメント)
・自分にとって不快な要素

に注意が集中すると、その人の中では全体像が崩れます。

その結果「ほとんどが誹謗中傷に見える」という認識が形成されます。

これは意図的な無視というより、情報処理の段階で“部分が全体を上書きしてしまう”状態と捉えた方が自然です。



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こちらは発達障害の特性と言われてるので、こちらが主に出ている場合はASDと認識してもまあしょうがないとは思うけどね。

ただ、発達障害とかASDって言葉しか知らない人は、発達障害の人をどう言う風に理解していいかの道具が足りないと思う。

正直「みーちゃんみたいなもんでしょ」って思ってる人多い気がするのでスゴイ迷惑・・・



③ ストレス時の認知の収縮

強いストレス下では、誰でもある程度起こる現象ですが、

・視野が狭くなる
・自己防衛が優先される
・外部情報を敵対的に解釈しやすくなる

といった「認知の収縮」が起きます。

今回のように

・「見ても無駄」
・「どうせ理解されない」
・「話したくない」

といった反応は、この延長線上にあります。

ここではもはや「理解する」よりも「自分を守る」ことが優先されている状態です。


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これについても過去記事で書いたけれど、「謝罪」をするためにはまず自分の精神状態を正常に戻さないといけなくて。

これが炎上時にはとても難しい。 別に発達の人でなくても炎上時に対応間違いまくってる人多いわけで、あれ全部発達なのか?といいたい。

少なくとも炎上時の人の行動を持ってその人の特性を判定するのは避けたいところ。


④ これらを踏まえたうえで、他者視点の弱さが強く出ていたらようやくASDを疑い始める感じ

ここまでの要素に加えて、

・相手からどう見えるかを仮定しない
・自分の発言の位置づけを相対化しない

といった特徴があると、結果的に「他者視点が弱い=ASDっぽい」と見えることがあります。

ただし重要なのは、

これが

・発達特性として常時あるのか
・ストレス下で一時的に起きているのか

は外からは区別しにくい、という点です。


③と一緒で、結局通常状態のツイートから判定せざるを得ないところがあります。


ASDについて最低限の知識があれば、そこまで安易にASD認定はしまくらないと思う

最近ADHDについては結構認知が広まったせいでだいぶ扱いましになってきていよいよASDが「ゴミ捨て場」化してる気がして嫌な感じなのですよね(主観的評価であり、客観的にみて本当にそうかはわからないけど)。



この中でも特にアレクシサイミア(感情の問題)とASD(認知スタイルの問題)は区別がつきにくいんですよ。

どちらも「ズレの修正が起きにくい」
どちらも「外から見ると頑固に見える」

という共通点があります。

そのため、結果(行動)だけを見るとほぼ同じに見えるという現象が起きます。

なので、ストレス下で自己の殻にこもる反応を見たときは、

・感情の未分化(何を感じているか分からない)
・情報統合の偏り(部分が全体を上書きする)
・ストレスによる認知の収縮
・他者視点の弱さ(状況依存の可能性あり)

といった複数の要因を分けて考える必要があります。

つまり、「理解できていない」のではなく、理解に必要な材料(感情・文脈・他者視点)そのものが処理されていない状態と捉えたほうが良いです。


この視点を持つと、

・無理にラベルを貼らないで済む
・どこに介入すれば改善余地があるか見える

というメリットがあります。


つまりこの記事でなにが言いたいかというと


ズレた行動や反応を返す=即ASDっていう処理をされるの本当にやめてほしい。


以上です。



おまけ ASDの人が自己を客観視するのが難しい7つの理由

この点理解するためには「そもそも自己を客観視するとはどういうことなのか」ということを理解するところから考える必要があると思う。

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