頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

「要はバランスおじさんが嫌い」な人や、この意見に同調してしまう人が見えていないものはなにか? ⇒真のバランスとは、矛盾する正論の両方を引き受け、血を流しながら決断し続けるプロの仕事だよ

どーも。「要は勇気がないんでしょ」おじさん絶対殺すマンです。


wtrclred.io



この記事からは「要は勇気がないんでしょ」おじさんの匂いがします。許せぬ。




というわけで辛口で書きますが。




この記事の筆者は議論が好きで議論というものを理想化してるんだろうという印象を受けた。

議論を「純粋な知的な探求」や「価値の地図を作る共同作業」として捉えている。 



私も昔はそういうものだと思ってた。


・メンバーの偏差値が高くて
・目的を共有していて
・リソースに余裕があるから手を動かす準備ができていて・・・
・専門用語や価値観が揃っており、「そもそも」の定義レベルで揉める必要がない点なんかも重要そうだ。


こういう限られたメンバーによる限定的な状況で行われる議論だけを議論と呼ぶような感覚だ。 


そういう議論だけができたら本当に理想だろう。

そして、自分にはそういう議論の場がふさわしい人間だと思っていればそりゃ「要はバランスおじさん」を見下せるだろう。

ネットにおける低レベルな偏見のぶつけ合いや炎上案件の「火消し」みたいな時に行われているぶつかり合いは、そもそも議論として認識されてないかもしれない。





そういう前提であれば「要はバランスおじさんが嫌い」の言ってることは正しい。



一方で「社会的な装置としての議論」が持つドロドロとした側面や実務における「極論の毒性」への視点が少し欠落しているかもしれない。




というわけで、筆者が見落としている可能性がある視点をいくつか提示していおく。









1. 「暴走へのブレーキ」としての社会的な機能

筆者は「火を見た瞬間に消火器を構えるな」と言っているけれど

実際の現場では「火」ではなく、すでに「火事(感情的な対立や、現実離れした極論の押し付け合い)」になっていることが多々あります。

見えていないもの: 議論の「冷却材」としての必要性。

A案とB案がそれぞれ正義を振りかざして衝突し、修復不可能なほど場が荒れているとき
「要はバランス」という言葉は内容的な進展はゼロですが、「お互いの正義を一旦棚上げさせる」という政治的な休戦フラグとして機能します。
筆者は「議論の死」を嫌いますが実社会では「議論を殺してでも、人間関係を死守しなければならない」局面が存在します。


2. 「議論の入場資格」を剥奪するコストの回避

議論を崩壊させる危険な存在を「面子を潰さずに足切り」する役割です。 wtrclred.ioの前提ではそんなやつの存在自体がありえない事になってると思いますが、普通にいますよね。

見えていないもの: 「お前は論外だ」と直接言うことによる「摩擦コスト」。

バランスを欠いた極論(極端なコストカットや、非現実的な理想論)を振りかざす人に対して、「あなたの意見は極端すぎて議論に値しない」と正論で切ると
相手はメンツを潰され、強力な抵抗勢力に変わるリスクがあります。
「要はバランスだよね」という言葉は、相手を否定せずに、ソフトにその意見を「無力化」して議論のメインストリームから外すための、非常に省エネな統治技術です。
ぶっちゃけこういう人がいて、見えないところで足切りしてくれているからこそ、エリートのみなさんはまともな人間だけで議論ができるんですが、その防壁を自ら壊していいんですかね・・・。

私自身、ネットでは「最低限のレベルを満たしてないやつは退場しろ」って言いますけど、現実のお仕事ではそれがいえないんだよー。なだめながらやってんだよー😭😭😭


3. 「複雑性の維持」という高度な保留

筆者は「具体的にどちらを優先するか決めろ」と迫りますが、世の中には「今、決めてはいけないこと」や「決められないまま並走させなければならない矛盾」が数多く存在します。

見えていないもの: 「安易な二者択一」の危うさ。

筆者は「何かを選ぶとは何かを選ばないこと」と言いますが、ビジネスや政治では「両立不可能なものを無理やり両立させようともがき続ける」ことでしか生まれないイノベーションや生存戦略があります。というか、ほとんどがそれですよね。効率を求めれば文化が死ぬ、文化を守れば効率が落ちる。ここで「効率だ!」と決め打つのではなく、「要はバランス(=矛盾を抱えたまま進むぞ)」と宣言することは、思考停止ではなく「複雑な現実を複雑なまま扱う」という覚悟である場合もあります。



好き嫌いでモノゴトを判断してよいのであれば・・・

私は複雑性に耐えられない人間がイキった発言をしてるのが超嫌いなのですよね。 

個人事業主として頑張ってる人とかならわかるんですけど、会社員やってる場合人に複雑性の部分コストだけ押し付けて、威勢の良いことを言って、それで自分だけがプレイヤーのつもりになってるケースも多々あるんじゃないかと。

そういう人は「鉄砲玉」としては便利かもしれないし、何をやってもこれ以上悪くならないだろうって状況で行動を促すときには便利だけど、常に正しいとは思わない。

現在の我が国は、高市さんがリーダーとして必要とされるくらいには「何もやらなければそのままジリ貧で死ぬ」という状況ですが
ホルムズ海峡ショックの際には高市さんも頑張っていたし、その上で複雑性の部分は官僚がめちゃくちゃ頑張ってカバーしてくれてるなと思ってちょっと感動しました。
失点部分だけをみて批判してる人は、高市さんを批判してもいいけど、その下で頑張ってた官僚の人たちのことはもうちょっと評価してあげてほしいい。



まとめ

1つ目の記事の筆者は、「議論を1ミリでも前に進めたい人(プレーヤー)」**の視点に立っています。だからこそ、手ぶらでくる人間を「ネギを切れ」と叱咤してくる。

一方で、筆者が見落としているのは、議論の場には「議論を壊さないこと」や「極論から組織を守ること」を最優先する「管理者」の論理が存在すること。

「要はバランスおじさん」は、クリエイティブな会議においては確かに「議論の殺し屋」になるけれど
意見が尖りすぎて空中分解しそうな組織においては「防波堤」として機能している。

そこを筆者は「ズルい」「無責任」という言葉で切り捨ててしまっているけどそれはあまりにも一面的な見方じゃないかな・・・


まぁ私みたいに批判的な評価をする暇があったら、こちらの記事がアンサーになってるのでこちらの記事を読んで・・・

fujii-yuji.net

書くのがつかれたので、以下はGeminiにまとめてもらいます。

1つ目の記事に対して2つ目の記事がどの様にアンサーになってるかをまとめて

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