頭の上にミカンをのせる

もうマンガの感想だけでいい気がしてきた

「態度が悪い編集者はヒット作を出せない」は論理的な思考ではなくただの「自分が嫌いなやつは失敗してほしいという願望」でしかないと思う

漫画編集者Kさんのnote記事が話題になっていた。内容を読んでみると、言い方はともかく、指摘していることの多くは業界の現実を率直に語ったもので、そこまで外れたことは言っていないと感じた。

だが、はてなブックマークのコメント欄には、内容よりも「口の悪さ」に反応したコメントが並んでいた。なかでもスターを多く集めていた2つのコメントが気になった。

lisagasu 私が知ってる編集さんは、会社の大小を問わずこんな口悪くなかったよ 言ってることは嘘じゃないだろうけど、こんなことネットに書くような編集さんが作家の信頼を得てヒット作出すのは難しそう
natukusa 仮にこの人が担当している作品や出版社を知ったら、一連の文章がよぎるし萎える。自分の仕事の取引先だったら可燃性ありとして取引を考え直す。社会人として信頼が築けないよ。

ここらへんのコメントについて言いたいことがある。

これは「言ってることは嘘じゃない」と認めながら、「でもこういう態度の人間はヒット作を出せない」という結論を出している。

この論理の飛躍は、もう少し丁寧にほぐす価値があると思う。

「態度が悪い」と「仕事ができない」はつながらない

まず確認したいのは、「態度が悪い」というのは、誰に対しても、いつでも、という話ではないということだ。

人は相手によって接し方を変える。これはごく普通のことで、むしろ全員に均一に同じ態度をとる人の方が珍しい。

営業でも編集でも、優秀な人ほど相手を見てリソースを配分している。

見込みのある相手には全力を注ぎ、そうでない相手への関与は絞る。それが仕事における合理的な判断だ。

つまり「口が悪い」と感じた人というのは、その編集者から「全力を注ぐ相手」として見なされていなかった側の人間である可能性が高い。

あるいは単に、ネット上での素の口調で書いているだけかもしれない。

いずれにせよ、「自分が敬意を払われなかった」という経験は、「この人はどんな相手にも礼儀を欠く人間だ」という証明にはならない。

有望な作家に対して真摯に向き合い、担当作品をヒットさせてきた編集者が、ネット上では口が悪いというケースは、想像するまでもなくいくらでもあり得る。

それは「ある文脈では態度が悪く、別の文脈では有能」という、別に矛盾でも何でもない話だ。

ここで一つ、根本的な問いを立てたい。

そもそも、無料の記事を読んでブックマークにコメントしているネットの読者は、その編集者や、記事の書き手から敬意を払われるべき立場なのか。

編集者にとっての仕事の相手は担当作家であり、取引先であり、読者だ。

見ず知らずのネットユーザーに対してまで、丁寧に振る舞わなければヒット作を出せない、という理屈は成り立たない。ましてはてなブックマークなんか使ってるユーザーは人間以下のダンゴムシと自分でいつも言ってるではないか。

「自分が敬意を払われなかった」ではなく、そもそも「自分は敬意を払われる対象ですらなかった」という可能性は考えたほうが良いと思う。

lisagasuさんのコメントは記事中でこき下ろされている作家さんに感情移入しているつもりかもしれないけれど、実際は「自分にとって気分が良くない文章を読ませたから腹を立てて、なんとかして相手をこき下ろそしたい」という幼稚なコメントにしか見えない。

「こんなことをネットに書く編集は信頼を得られない」という指摘も同様だ。

ネット上での振る舞いと、担当作家との実務上の関係性は別の話で、それを混同することは論理的ではない。

「嫌いなものには不遇であってほしい」という願望

このコメントが気になるのは、論理の問題だけではない。その背後にある感情の構造に、もう少し踏み込みたい。

「態度が悪い人間はヒット作を出せない」という発言は、事実の分析として語られているが、実態としては願望に近い。

態度が悪くて気に入らない相手が、実は有能で結果を出している、という可能性を受け入れたくない。

だから「態度が悪いのだから、きっとうまくいかないはずだ」という結論を、根拠なく引き出している。

これはいわゆる公正世界仮説に近い思考だ。

「悪い振る舞いをした人間には悪い結果が返ってくるはずだ」という、世界への素朴な期待。

その期待が、現実の観察より先に結論を作ってしまう。

気に入らない相手に対して「あいつはどうせうまくいかない」と思いたくなる気持ちは、人間として理解できる。

でもこれって、どこぞの三沢◯也が、自分が嫌いなシナリオタイターにしょっちゅうやってる論理展開でしかない。

そんなものをさも論理的な分析であるかのように語り、いいねをあつめたところで虚しいだけじゃないか?

それなら格好つけずに「私こいつ嫌い! 有能かもしれないけど失敗しててほしい!」って願望を素直に語ったほうがまだマシだろう。

自分の好き嫌いを行為の正当性に結びつけて行為を勝手に悪と断じ、だからこそうまくいくはずがないという二段階の飛躍をやってるのに自覚がないのはかなり頭に血が上っていると思う。

論理ではなく感情(願望)が動かしている判断を、論理の顔をさせて流通させるのは本当にやめていただきたい。

その判断は、論理的には成立しないだけでなく、現実的な想像力も著しく欠いている。

態度が荒くても有能な編集者が存在する、という可能性を、「嫌いだから」という理由だけで棄却している。

それは分析ではなく、単なる部外者の遠吠えだ。


そもそも「態度が悪いやつは無能に違いない」的な趣旨の発言をはてブ民が口にするのは……ブーメランが頭にささって自殺したい願望でもあるんですか?

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