私は先日、「本当に快楽物質ドパドパ出て興奮してるガキ」というものを目の当たりにしました。
そうだね、名取さなだね。

このときの彼女は、推理してた内容がドンピシャではまって興奮しまくり。
興奮のあまり奇天烈なこえをあげたりゴリラの雄叫びをあげるなどやりたい放題。
https://www.youtube.com/live/Py8SI6LWZUU?si=MhAYfjg2zm1IlBsx&t=7761
「お、おまえ変なクスリでもやっているのか」という状態にナチュラルに入っていました。
こういうのをドパガキだと思ってる人が多いような気がする。
一方で、産経新聞で取り上げられたように世間で言われる「ドパガキ」って全然これと違うと思うんですよね。

むしろ実態を考えたら「節子、それドーパミンやない。◯◯や」と言いたい感じです。
ということで、ちょっと「ドパガキ」という言葉で揶揄される人たちについて、あまりにも語感と実態がズレまくってるという話をしたいです。
「ドパガキ」という言葉の流行と一般的なイメージはどう考えても実態から遠い
昨今、SNSやネットニュースを賑わせている「ドパガキ」という言葉。
この言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは
「ドーパミンがドバドバ出るような刺激の強いコンテンツに夢中になり、目を輝かせてスマホに釘付けになっている若者」というエネルギッシュな姿ではないでしょうか。

しかし、実態をよく観察すると世俗的なイメージとは全く異なる不気味な真実が浮き彫りになります。
そもそも、ドパガキとよばれてる人たちは本当にショート動画を「面白い」から見続けているのでしょうか?

実態は、「熱狂」どころかその反対で、「無気力な長時間ぼーっとした状態」に近い
「ドパガキ」の実態を観察すると、そこにあるのは「熱狂」とは程遠い「無気力なぼーっとした状態」だと私は感じます。

・無摩擦(フリクションレス)な罠
この現象を理解する上で、Instagramのリール動画という起点を見過ごせません。
Twitterのスクロールやテレビのザッピングに似ていますがリールやTikTokが完成させたのは
「スワイプ一本で次の刺激が届く」という無摩擦なインターフェースです。
この極限まで低コスト化された操作が、依存の技術的触媒となっています。
・「探索行動」の効率化
ユーザーは「一本一本の動画が面白い」から見ているのではありません。
「次こそ何か当たりがあるかもしれない」という探索そのものが止められないのです。
・実態の定義
つまり彼らは、能動的な「視聴者」などではなく
「刺激を受け続けるための入力装置(スマホ)から離れられなくなっている周辺機器」と化しているのが現実です。

この話を考える際に絶対に意識しておきたいのは「回避」と「微弱な快楽」という概念
なぜ「面白くない」のにやめられないのか。そこには心理学的な「負の強化(negative reinforcement)」が働いています。

・面倒な現実からの「回避」
仕事、勉強、風呂といった「着手コスト(スタートアップ・コスト)」の高いタスクを前にしたとき、脳はストレスを感じます。
特に多動気質(ADHD傾向)を持つ人は、行動に移るまでの思考が多すぎて立ち往生しがちです。
その不快感を解消するためにスマホを開く行為は、不快から逃れるための「負の強化」として強力に定着します。
・「微弱な快楽」のデフォルト化

スマホから得られるのは、強烈な興奮ではなく「微弱な快楽」に過ぎません。
しかし、この状態に浸り続けると脳の基準値が書き換えられ
スマホを置いた瞬間に「不快感(ニコチン切れのような離脱症状)」を覚えるようになります。
【地獄のループ:Gehenna Loop】
面倒なことをする(高い着手コストへのストレス)
→ちょっとスマホを見る
→微弱な快楽を得る(不快感の緩和)
→面倒なことを先延ばしする
→またスマホを見る(脳が微弱な快楽をデフォルト化する)
そもそもこれは「ドーパミン」のせいなのか?別の脳内物質のほうが実態に近くない?
「ドパガキ」という名称は、原因と結果を混同した科学的に不正確な俗称です。

・「Wanting」とドーパミンの真実
というかね、多くの人はそもそもドーパミンについて誤解してると思う!!!!!
・ドーパミンの言葉を誤解してる上に
・ドパガキっていうワードから「ドパガキってこういうもんかな?」って連想するの
明らかに思考として問題がありすぎるでしょ。
なぜドーパミンは依存症を引き起こすかというと
ドーパミンは「快楽そのもの」ではなく、「報酬予測誤差(Reward Prediction Error)」に関わる物質だからです。
これによって「次こそは良いものが出るはずだ」という期待、つまり「wanting(欲求)」を引き起こす。
一回一回が当たらなくても、「次こそは」という予測のズレが脳を突き動かす。
それでスワイプの手を止めさせない。
延々と猿のように同じ行動を繰り返すわけです。
おそらく最初に「ドパガキ」っていい始めた人はこれを理解していて「パチカス」とか「猿」という代わりにこの言葉を思いついたんでしょう。
なので、実は名取さなさんのような状態は、ちょっと違うんですよね。
・「Liking」の正体
一方で、実際に「気持ちいい」と感じる快感そのもの(liking)を司るのは
ドーパミンではなく内因性オピオイド(エンドルフィン系)などである可能性が高いと考えられます。

したがって、「ドーパミン過剰」という説明は雑な擬似科学のようなきもします。
実態は、「報酬・動機づけ系によって習慣化された、現実からの回避行動」と考えたほうが私にはしっくりきます。

ということで、結局ドパガキって何なの?
「ドパガキ」とは、特定の世代やアプリの問題ではなく、「面倒な現実に向き合う代わりに、いつでも得られる微弱な快楽へ逃げる習慣」の末路です。

特に注意すべきは、複数の「微弱な快楽」を組み合わせる行為です。
「ベッドで横になりながら」「スマホで単純なゲームやSNSを」「目的なくザッピングする」といったマルチタスク化は
脳を微弱な快楽の沼に沈め、気づけば一日を完全に消失させてしまいます。
重要なのは「動画が面白いかどうか」という議論ではありません。
「面白くなくても、面倒なことから逃げるために見続けられてしまう」という依存構造に自覚的になることです。

コンテンツを楽しんでいるつもりが、実は現実の摩擦から逃げるための「回避行動」に飲み込まれていないか。
その冷徹な自己分析こそが、デジタル社会における生存戦略となります。