頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「異常な朝礼」についてのメモ

ttp://www.j-cast.com/2014/05/20205255.html

小学生の朝礼の件。
異常だって批判するのは簡単だけど、こういうのにすがりたくなる気持ちはすごくよく分かる。
だからこそアブナイなと思うので「気持ちはわかるけどダメだよ」って言えるようにしておきたいし、
「代わりにこういうことを頑張ろう」ってところまで考えておきたいなと思う。


※ただし、この記事は続き読んでもその辺りは書いてません。 それは今後の課題。




・大勢で縄跳びやるとか31人32脚とか、組体操がどうだとか、以前からこの手の一致団結をやたらと美化・追求する動きが定期的に出てきて話題になってます。先生側がクラスを「ひとつにまとめよう」とすることの是非、その手段にスポーツを用いることの是非については、絶対の正解などなくともその都度議論し続ける必要があると思います。この際に、ほんとに先生側が、クラスを過剰に一致団結させたがる(統制したがる)のはなぜなんだろう。「ROOKIES」のようなクラブならまだしも、教室ってむしろ多様化を学ぶ場じゃないのだろうか。そういうところは考えてあげても良い気がする。

また、子どもたちから見ても「暗殺教室」が大人気なのとかちょっと気になる。まぁ暗殺教室に限らず、子どもたちが「GTO」の頃から、いや多分そのずっと前から「スーパー教師幻想」を抱くのは実に自然なことであってそれ自体は責めるべきじゃないと思うけれども。(私は「暗殺教室」はめっちゃ面白い作品だと思うけれど同時にめっちゃ嫌いです。でも読んじゃう悔ビク)




教師としてはどのあたりがこういう朝礼に走る理由なんだろうか。

・教育目標・方向性が明確でない(どうすれば教師として評価されるか分からない)問題
 教師は最近駄目だしをされることは多くても、褒められることが少ないと思います。こうなると「できるだけ問題を減らしたい」という方向に思考が動きます。そのうえで、何らかの形で評価されたい。教師としての手応えを感じたい。リーダーシップを発揮したい。そういった強い意欲に対して、明確な形で答えてくれるものがあるのか、ということですね。 少なくとも学校内にはあまりそういうの感じにくい場合が多いんじゃないでしょうか。そういった不満が、全国大会めざせと極端に走ったり、外部のセミナーに感化されてしまう要因のような気もします。



・統率したいインセンティブが高まっているが、生徒を統率するための共通の目標や手法が身近にない問題
 借り物の理想や外部に設定された目標でも無いと、生徒を統率しにくいのだと思います。教師っていっても何かのエキスパートってわけでもないんで、 多様性を維持しつつ教室を運営するなんてのは至難の技だと思います。 そうでなくとも、小学生の頃にまず規律の重要性を理解させるのは、誰かがやらないといけない。 その重責を引き受けさせられている教師に対して、学校や世間がどれほど理解を示し、支援できているか。 孤立無援の状態で自助努力に走った結果、間違ってしまった時、それは教師だけの責任なのかとか。


・そもそも教師は子どもたちのことがよくわからなくなってきてる問題
 小中学生ですらスマホいじる世代です。教師は学校内で生徒がスマホいじるのを心底嫌悪している人が多いですが、そりゃ 「管理」しなければいけない生徒が、教師が分からない領域で好き勝手されると困っちゃうよね、と。そうはいっても、今後生徒とのコミュニケーションにはますますそういった余計なものが挟まり 生徒はよりいっそう「わけがわからないもの」になっていきやしないかと。相互コミュニケーションできないと、子供ってめっちゃ怖いです。 そうなった時に、恐怖からかなんなのかわからないけれど、 こちらから一方的にいろんなものを有無をいわさず押し付けたく成ってしまう気がします。
 


うーん、もっと考えるべき有ることがあると思うけれどなんだろう。とにかく私は「変な行動・言動」してる人は
どうしてこういうことやってしまうんだろうってのにすごく興味ある。




話変わるけれど、この記事についても何かあとで考えたい。自分が課題に思っていることのとっかかりとしてすごく大事。

ttp://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2014/05/20/120656

あぁ、リーダーが誰か分からないんだな、と。誰の指示に従うべきかを知らないんだなと。いやそもそもリーダーと言うものの存在を認識してないんだな、と。それが、この混乱の要因なんだなぁと。いい意味で上下関係のない家庭で育っているいまの子どもたちにとって、互いに気づいたことを言い合うことはごく自然なことなのかもしれません。それは民主的という意味ではとても理想的なのかもしれない。でも小さな社会の中でたくさんの人が一緒に何かをするとき、そこにリーダーが存在し、そのリーダーが全体を統制し、混乱を起こさず何かを遂行する必要があることもまた事実で、その環境の変化についていけてない子たちがたくさんいるんだな、と思いました。

・ほんとこれ。まず教師がリーダーシップを発揮するの大変だし、まして、何人かの生徒にリーダーシップを発揮させるのはもっと大変だよねと。


・リーダーって、「正常なコミュニケーションの場を設定・維持する」のが最大の機能だと思ってます。「無視」とか「いじめ」や「暴力」といった手段に頼らなくてもコミュニケーションが取れる場を作り、コミュニケーションの作法もちゃんと共有していく、そういうインフラづくりができるかどうかがリーダーの腕の見せ所かな、と。今って「暴力」を禁止してるくらいで、ちゃんとしたコミュニケーションをとれる場がリーダーによって保証されてることってめったにないんじゃなかろうか。


・ここでリーダーがサボってしまうと、メンバー間のコミュニケーションが断絶してしまう。 そうすると各自が勝手にコミュニケーションをとりはじめる。一番怖いのは、各自が自分の基準でお互いを評価しあうこと。これほんとまずい。 小学校に限らず、会社でも、仕事のことよくわかってない新人がベテランをろくに理解せず自分の浅い経験から老害として扱ったり、逆にベテランが若者の考え理解せずに「最近の若いものは」扱いしたり。これは、その場においての評価基準が共有されていないこと、相手の仕事内容がよくわからないことなどが原因だと思う。 あとそもそも日頃からコミュニケーションが断絶してなければ、狭い場でお互いが憎みあうとか地獄でしか無い。私は「老害」VS「青二才」問題は、リーダー不在に寄る両者のコミュニケーションの断絶こそが根源だと思ってまする。