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黒田裕子さんと「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」の活動

今日テレビで黒田裕子さんという方が亡くなられたことが報じられているのを見ました。

恥ずかしながら、全く存じ上げない方だった。こんなすごい人いたんだな、ということで忘れないように記録しておく。

阪神大震災時神戸からそう遠くない地域に住んでいて被災し、
ボランティアの人や、近所の人たちに大いに助けられたものとして、
当時の皆さんや、その後もずっと活動されている皆さんに感謝と敬意を示しつつ、
黒田さんの冥福をお祈りしたいと思います。




(注:テレビで言ってたことをまとめただけなので、今日だったら今からでもテレビ見たほうが早いと思います)

黒田さんは阪神大震災当時看護師で、自らも被災されたそうです。
仮設住宅でボランティア活動をしている時に孤独死された老人の方を見てから
同じような人を二度と作らないように、ということで24時間見守りを開始し、継続されたそうです。

平成11年9月に西神第7仮設が解消されるまで4年3ヶ月。
この間、西神第7仮設において、孤独死と認定されたケースは3件だという。大規模仮設住宅においては異例の少なさだった。

そういう活動を続ける内に、賛同者が増えてきてグループになり、
「一人も見捨てない看護」「ひとつの命も失われないコミュニティであるために。」という理念を掲げて「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」というNPOを結成され、以来19年間、ずっとボランティア活動を継続されてきたそうです。

事業内容 | 阪神高齢者・障害者支援ネットワーク (Hanshin Support Network for the Elderly and Disabled)



インタビューなどを見ると、本当に苦難の連続だったと思われます。
その道のりをどんな気持ちで貫き通されたんだろう。私には想像することも難しいです。
(ご家族の話は全くテレビに出てきませんでしたがどうなっているんだろう)

・やがて仮設住宅でのくらしが長期化していくとともに、認知症の増加と症状悪化や、アルコール依存症、そして虐待など、住民らが抱える問題の深刻さは増していった。

・市と度重なる交渉を行い、仮設住宅の改造と運営の許可を取り付けた黒田さん。金銭的な補助は受けられなかったが、企業などの協力を得て資金を調達し、オープンにこぎつけた。

http://www.hyogo-intercampus.ne.jp/sugoist/interview/kurodayuko

中越地震中越沖地震三重県水害、そして海を越えてトルコ、台湾、四川、ハイチ――。国境を問わず、支援活動に駆け付けた。
各地での支援活動で、長年行動を共にする『被災NGO恊働センター』のスタッフは、黒田さんは超人だと舌を巻く。


テレビではマザー・テレサにたとえられていましたが、
インタビュー映像で「震災で助かった命は、自分のためではなく皆さんのために」とお答えになっている黒田さんを見て、あるいは上で述べたように「一人も見捨てない看護」という理念を見て、私は最初fate stay/nighitの「衛宮士郎」を思い浮かべたりしました。

・「助かったいのちに寄り添い、守りたいという思いは、19年前と何一つ変わらない」

・神戸の仮設住宅で、酩酊状態の人に包丁を突きつけられ、恫喝されたこともある。「怖くなかったといえば嘘になる。でも、その人がなぜそうした精神状態に置かれているかを考えれば、寄り添いたいという思いが揺らぐことはなかった」

・「一度失ったと思えば、惜しくない。私のいのちをかけて、一つのいのちが生ききれるように寄り添い続けたい」

ただ、黒田さんの場合はそういう活動を続けていく中で、志を同じくして助けあう仲間が出来、亡くなられた後、その死を悼み、見送られるかたも多かったようでそれはすごく素晴らしいことだな、と思います。きっと、こういう黒田さんみたいな人がたくさんいることで、この社会って支えられてるんだと思います。


黒田裕子さん:偲ぶ会650人「災害看護」の精神受け継ぐ - 毎日新聞
ここでやるような話じゃないかもしれませんが、TV見た後ニコニコで「マザーズ・ロザリオ」最終話を見たのだけれど、ちょっとシンクロしてグッと来てしまった。



(参考)
黒田 裕子(くろだひろこ)/プロフィール - 関西看護出版|看護 介護セミナー・研修開催、書籍・DVD販売
黒田裕子さんのプロフィール。wikipediaがなかったので多分これが一番詳しい。

神戸新聞NEXT|社会|震災ボランティア尽力20年 黒田さん島根に帰郷、闘病へ
介護施設の運営や、震災支援基金の運営、ボランティア教育、地域間連携など様々な活動を行っておられる。
NPOで700人規模ってものすごく大きい気がするんですが、どうなんでしょう。