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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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発達障害

「自分の感情に対する無力感」の恐ろしさ

ちょっとめんどくさいお話


人間の感情は理性で制御すべきというが、実際には難しい。むしろ理性で制御出来ないくらい感情というものは力強いものである、というところがむしろ人間の素晴らしいところだろう。とはいえ、手綱のようなものは必要である。制御したり支配する、というわけでなくともそれと美味く付き合っていくすべを知っておくことは重要だろう。何より、うまくつきあっていけるものであると信じることがとても重要である。

発達障害であったり、そうでなくとも感情の起伏が激しすぎて、しかもそれについてある程度感情を制御する訓練をしていない子供というのはどうなるか。「自分で感情を制御することができる」という考え自体を持たなくなる。感情につける手綱自体を自分で持ってないと思い込むようになる。自分の感情はよそからやってきて、自分はそれに翻弄されるだけだ、と考えるようになってしまう。そうやって、感情の手綱を完全にはなしたまま放置しておくと「ボーダー(境界性人格障害)」などの人格障害になることがある。まぁこんな簡単な話じゃないのだけれども。



で、怒りの話だが、怒りという感情、あるいは怒ることそのものは悪いことじゃない。ただ、何もせずそれが暴れるままに放置しておくと怪物になってしまう。だからうまくつきあって、乗りこなす必要がある。方法についてはそういう本たくさんあるので自分で探して読め。 ここで強調しておきたい大事なことは、少なくとも「自分は自分の感情についてある程度制御できる」=「自分は自分の感情に責任をもっている」という自覚を持つことだ。






で、一部のはてなブロガーさんなんだけど、この自覚が弱いのではないか、場合によってはほんとにそういう認識持ってないのでは、としか思えない暴れ方をしてるところを時々見かける

決して彼らがアタマが悪いとは言わない。また普段はむしろ礼儀正しかったりする。だが、そういう人たちが、一度感情が狂うと歯止めが効かなくなるのが怖いところなのだ。普通の人だったら「怒っているけれど、それはそれだ。怒っているからといってやっていいことと悪いことがある」という抑制が普通の人よりあきらかにきいてない。


堂々と「腹が立ったから書くけど」とか「私はあなたの記事を読んで傷ついた」ということを過剰に強調して、それによって自分がなす行為は全部貴方が私の感情を乱したせいだと主張する。
そうほんとに思ってるから、自分からは相手にどんなひどいことを言っても私に責任はない、私には私の感情は制御出来ない、と言いたげな態度をとるのだ。制御を自分の責任だと思ってない。自分の感情に対してどこか人事のような、無責任のようなことを言う。そして、どんな暴言もためらわずにはき、どんな嫌がらせもためらわない。そういう行為をしている時、自分には何の責任もないと感じている。


こういう人たち、まだ怒りの方向だけならいいが、自分を否定する方向に向かうとそれも制御出来ないと思い込んでそのままあっさり死んでしまったりすることがあるので、性格の問題と考えずに命に関わる深刻な障害であり、治療が必要だってことを自覚することが結構大事。(論理療法などでググるべし)


しかしなにより、こういった問題の根本にあるのは「自分の感情なんて自分では制御出来ない」という無力感や諦めだと思う。 まずはこれに負けないようにしたい。その割に私は「要は勇気がないんでしょ」って言葉なんかにはついついビクッてなってしまうんだけどね……