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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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マギ27巻  「弱い神様」「優しい王様」

この物語はいろんな王が群雄割拠する世界を描いているためいろんな軸がある群像劇のように読むこともできると思うが、実際には中心と成る軸は1本しかない。いろんな立場の人物のいろんな言動はアラジンとアリババを通して読者に考えさせるためにある。これはアラジンとアリババを主人公とした物語だ。もっといえばアリババのための物語だ。

二人を通じて読者はいろんな問いかけをされる。そんな物語だ。


27巻でいえば


アラジン側 =<人の生きる道とは何か> <どこまで「他者」を許容できるか>という命題

アラジンには「堕転は悪いことか?」=「人は必ずしも幸福を目指さなければいけないのか?」という問いかけがされる。

「僕が堕転を止めたいと願うのは、堕転はとても不幸なことなんじゃないかって考えているからなんだ。生まれ落ちた世界を恨んだ結果が、苦しみ抜いた心の結果が堕天なのだとしたら、そんな未来を望んでいた人はきっといないって僕は思うんだ。その人が昔最初に目指していた明るい未来と真逆の方向へ突き進んでいく。それが堕転だと。違うかい?」

「そうかもしれない。組織には人間を強制的に堕転させる方法があったという。そのように自分の意思に沿わず堕転させられた人は堪ったものではないでしょう。しかし、生きていく中で最初に目指していた輝かしい未来を目指すことを途中でやめて。恨んだり、葛藤したりしてはいけませんか?

たとえ私が不幸だからといって。あなたに生き方を決められたくはないな。(たとえ、より望ましい生き方があったとしても、それを選ぶことを強制されたくない。不幸だからといって今の生き方を否定されたくない)

「マネジメント」等にも共通する理念だけれど、マクロで考えると、こういう人間はただの厄介でしか無い。みんなが己の本分を活かし、幸福に生きるのがもっとも望ましい。そうでない生き方は正されるべきだ。こういうのはとても簡単なことだ。

ただミクロで考えればそういう訳にはいかない。
世界は常に「すべての人間が幸福に生きる」を可能とするだけのリソースもスペースも足りない。だから絶対にそれからあぶれるものがいる。己の本分を活かす機会や、幸福に生きる環境を奪われる人達もいる。その道を断念セざるを得なくなる人もいる。そういう時にそれを否定するだけでいいのか?と。 そういう話はネットに溢れてる。
(もっと言えばまあ、たとえ十分なリソースやスペースがあったとしても、人は人と共にいるだけで劣等感を感じたり嫌悪感を感じたりする。負の感情は必ず生まれると思うしね)

国家運営者としてならそういう問題は切り捨てるべきという態度も可能だ。だが、本当にそれでいいのか?とアラジンは問いかけられる。アラジンを通して読者もそれを考えさせられる。

この問題に特化して取り組み、「優しい王様」という概念を出したのが「金色のガッシュ!!」である。


アリババ側 =<強くなくては生きていけない>の命題

しかし、だからといって、「優しい王様」=「すべての民の自由を許容し尊重する」ことが望ましいかというとそんな単純な話でもない。なぜなら、そういう考え方で成り立つ社会は「弱い」からだ。この弱さを問題として引き受けるのがアリババだ。

お前がなんで負けたかわからねーって言いたそうだな?教えてやるよ。つまりお前は甘すぎたんだよ。目的のためなら、自分の国を取り戻すためなら、邪魔する奴は誰だろうがぶち殺し、切り捨てて進んでやろうっていう「王たる覚悟」が足りねえんだ。だからお前は白龍に負けた。

そんな奴が戻って何に成るっていうんだ?お前じゃバルバッドは守れねえ。紅炎に任せたほうが、国の奴らにとってもまだ安全だろうよ。世界にとっても、オマエみてえな中途半端な王の器は邪魔なんだよ。マギの俺から言わせればな、オマエは何も切り捨てられねえから何一つ守れねえ。考えが甘いだけのクズ野郎だよ

他に敵がいなければ、ガッシュの世界のように魔界という一つの世界しかなければ「優しい王様」は理想かも知れない。 だが、マギの世界ではそういう国を目指した国はあっけなく強国の支配下に置かれ、思想も文化も破壊されてしまう。

弱ければ守りたいものも守れない。それを恐れるから強くなろうとするのである。みんな大事だと思うからこそ、戦争をなくそうとするからこそ強さを求める。個人個人の自由を制限し、一つに束ねて統率し、強くあろうと。そのために覚悟を持って、嫌われたり憎まれたりする覚悟を持って他の人間と戦ったり、民の自由を奪おうとしたりする。 (この物語では単に非情だから人を支配しているような単純な悪者は、中盤までは早々に駆逐される)


こういう世界観の中で、キレイ事を言っているだけだったアリババは何度も己の無力さ故に挫折し続ける。その度に大事な人が傷つきつらい思いをするし、周りの王からも「甘さ、弱さを捨てて強くなれ」といろんな人からさんざんダメ出しをされる。フルボッコである。サウザー様でなくとも「こんなに苦しいならいっそのこと…」となってもおかしくないような経験を何度もする。


しかし、それでもアリババは自分を曲げない。他の人が「甘さ」や「弱さ」と呼ぶものを捨てないままで、少しずつ力をつけていく。いろんな王たちの考えに触れ、それを否定すること無く理解しようとつとめる。それでいて、世界の現実を知り、様々な知恵をつけつつもそのどの思想にも染まらず自分のやり方を貫く。 そうやっていろんな人と知り合っていくうちにだんだんとできることが増えていく。そしてだんだん周りの見る目も変わっていく。 



このようにアラジンがつきつけられる命題とアリババが直面する課題は両立が非常に難しい。

ものすごく単純化すると

①できるだけ多くの人間をありのまま受け入れようとすると全体がもろくなるのではないか(アリババ)
②しかし全体を強くするために少数の人間を否定すると堕転が起きたり、恨みが起きて戦争はなくならない。(アラジン)

この問題をどうすれば「少年漫画的に」解決できるのか、を考えなければならない。アラジンとアリババはそれぞれ真剣に考えている。場合によっては二人が対立することも有るかもしれない。

その結果たどり着く先が楽しみである。



現代社会でいうと「マネジメント」やら「政治理論」の話になってしまったりするのだけれど、それだと興ざめなのだが、よもやそういう話にはならないだろうと思う。でも、子供時代にこのマンガ読んでちゃんといろいろ考えたりしてると、政治理論とかはかなり具体的にイメージできるようになるんじゃないかな、と思う。