「7SEEDS」29巻
妻の出産を前にした男の情けなさについて描かれているのですが、
両者のすれ違いの描写が見てて苦しい……。
「行かないで!今……行こうとするのは
わたしと向き合うより、命をかけるほうが楽だからでしょ」
「…え?」
「父もそうだった。
仕事が忙しくていつも居ない。
家族で話し合いたいことがあっても
母と祖母がもめても
祖母が入院したり介護が必要になっても
忙しいからといって、決して帰ってこない」
「でも、それは…」
「ええ、忙しいんでしょう。
でもそれだけじゃない。
家族と向き合って問題を解決するために泥沼に飛び込むより
仕事のほうが気が楽だから。
家族の嫌な部分を見て、苦しむ姿を見るのが
何よりも煩わしくて、つらいから。
それに本人が気づいていない。
本当に忙しいからだと思い込んでる。
自分は立派だ。だからごめんねって思ってる。
逃げてることに気づいてなかった」
「あなたもそう!
今、やることができて嬉しいって思ってる。
ホットしたでしょ?
わたしと子供に真剣に向き合うより、命を懸けてるほうが楽だから!
逃げてるのよ、それ。
こわいから、私のことが心配だから。
どうしていいかわからないから」「私も怖いよ。
でもちゃんと産みたい。
だから逃げないで!
かっこよく助けようとか思わないでいい。
頼もしく俺に任せろとかいわなくていい。
一緒に、怖がって!
一緒に、震えて怖がって!
一緒に、悩んで!
どうしようとかどうしたらいいか
一緒に、考えて!
わたしと向き合って!」「落ち着いている風に見えたって、平気だと思わないで。
もう……もう、私だって余裕がない。
自分も、赤ちゃんも無事かどうかわからない。
怖くてたまらない。
なのにあなたは私をおいて何に命を懸けるの?
逃げないで…めんどうだと思っても逃げないで。
それでもあなたはだからこそ命を懸けるんだとか思うの?」「ごめん…おれ……ダメで。
ダメなんだ…おれ、本当にダメで……」「ダメだから嫌だって、言ってない!
ダメでいいから、寄り添ってって言ってるの!
わたしと子供をちゃんと見て!
かっこつけないで、ちゃんと、関わって!」
「こんなくるみ、初めて見た」
「うん、我慢してたから」
「我慢しないで。その都度言って。俺分かってないから」
「そうだね、ためこむのよくないね」
「でも、くるみの言うとおりだ。
正直、ずっと後悔してた。くるみを妊娠させたこと」
「させたって言わないで。あなたが主体の話じゃない。
産むのは、わたしよ。
私が望んだから、こうなってるの」
「くるみはすごいな。
おれはやっぱり逃げてたんだと思う」
「男の人は逃げられるもんね。
……ああ、やだ。わたし、嫌味だね、ごめん。
わたしも、物分りいいふりをしてた。
わたしも、逃げてたんだ。」
「しょうがないさ。だってさ、ふたりとも、初めてなんだから」
よく男は問題解決ガー、女は共感ガーというけれど。男とか女とか関係なく、「ちゃんと向き合う」のが苦手な人がいて、その上で男には今まで女よりも、そうやって苦手な状況に追い込まれた時に、そういう時の逃げ道がいろいろあっただけって話だと思う。女性だって仕事してる人だと、恋愛物でも家族者でもやっぱり「人」と向き合うより「仕事」に走る、という描写になっているのをよく見かけた。
今までは、女性は比較すると「逃げ場」が少なかったから仕方なく人と向き合うことを鍛えざるを得なかったのだと思うし、男は今まで逃げ場があったから、そういう言い訳をして直接向き合うことから逃げてきた。そんなふうなことを思う。
こういう話を見ると、「ゴールデンタイム」という作品で、多田万里という情けない男主人公がしっかりモノのお姉さん的な存在であるリンダの心を射止めたシーンを思い出す。
http://ch.nicovideo.jp/story_analysis/blomaga/ar406150
リンダが家庭の事情でテンパっている時、万里は何も出来ないけれど、そのことを受け入れているがゆえに、何も彼女の問題を解決できないけれど、それでも逃げずにただ黙って側にいる。
男は「問題解決したい」というより「いい格好をしたい」「女の人に褒められたい」という気持ちが強くてしょうがない。逆に言うと「女の人に情けない人を見せるのは死ぬほどつらい」と感じる呪いがかかってることが少なくないと思う。
これ、うまく機能すればモテるために努力して己の成長に繋がるんだけれど、失敗したり誤作動すると、この男の人みたいに問題を避けて逃げるようになったり、空回りして滑稽ななんちゃってフェミニズムになったりする。
でも、そういう時に、「自分がダメなのは仕方ないから、それでも出来ることをやろう」って感じになれる人は結構強いよね。まあ、それ以上に弱ってる女性を食っちゃうクモみたいな人がいるんだろうけれど。