頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
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最適でなくても、最速じゃなくてもいい。準備ができるまで待ってもいい。自分にあったペースで行こう

こっちのブログ書かない日が長くなりすぎて感覚がわからなくなりそうなので、とりあえず気に入った記事のメモでもして更新。


このとき初めて、母校の授業の価値を理解していなかった自分を恥じた。授業が無駄でバカバカしいなんてことはなかった。ただ、僕の方に準備ができてなかっただけなのだ。

大学を中退して起業を目指す。いいんじゃない?と思う。たぶんまだ準備ができてないんだ。それならそれで、視野を広げたらいいじゃない。実は大学を中退して社会に出た人が再び大学に戻る話はそんなに珍しくない。

大学で勉強する意義がわかるって最高に幸せだろうな。別にそうでなくても恥じる必要はないんやでってことをみんなが教えてあげればよかったんじゃないか。




せっかくのまっさらな状態で始めた活動において、最初に極端な知識や方法論を身につけるのはあまり勧められないように思います。ブログに限った話ではないけれど、それらは得てして毒となり、せっかくの楽しい活動の寿命を縮めてしまう

方法論はさておき、曖昧模糊とした「ブログ」をまずは考える。なぜそれが良いかと言うと、近頃は良くも悪くも「ノウハウ」が広く共有されすぎてしまっていると思うんですよ。タイトルはこうする、記事構成はこうする、広告はどこに配置する、SEOの考え方はこうだ、セルフブランディングがどうのこうの……みたいな。それによってブログに参入するハードルが下がり、王道とされる方法論を実践することで、早くから多くのアクセスを集めることができる。……一見すると良いことづくめのようですが、それも人と場合によりけりだと思うんですよね。むしろ、デメリットでしかないケースもある。

わかりやすい例としては、「PV」の考え方。本文でも言及されていましたが、PVそれ自体はブログの価値を表すものではなく、あくまでも評価軸のひとつでしかありません。にも関わらず、最初からバズに快感を覚えてしまうと、それ以外の「価値」から目を閉ざしてしまう恐れがある。

加えて、ネット上で見つかる方法論のなかには極端な主張も少なくない。「PVのためなら炎上上等」といった考え方はもちろんのこと、聞きかじりのSEO手法を当然のように語るものも含みます。それら極端な言説は、初期のブログ運営においては「毒」にしかならない

最初からノウハウありきで「作業」になってしまうのがつらいよね。私は仕事って完全に生き延びるための作業って割り切ってた時期あるけど、これは本当におすすめしない。生活が完全に灰色になるから。 少しでいいから楽しむ余裕持ちたい。





「はねバド!」 絵の迫力がすごい。見てて気持ちいい! - この夜が明けるまであと百万の祈り

見えちまうんですよ……子どもたちを見てると、どうしてもセオリーってやつが。外から見てる大人ですからね…… でも、このノートには、もっと……心について書いておくべきだった。勝ち負けにこだわり過ぎたのかな……。
難しいな、人に教えるってのは

何かを教える立場になると、どうしても一歩引いた立ち位置から物事を見てしまう。で、外側から見てると、どうしても頭で考えてしまう。そうすると、せっかちになりがちなんですよね。生徒の考えとか気持より、「こうすれば結果が出る」とかそういう方を追いかけてしまいがち。 でも、それをやるのは生徒なんですよね……。その心がついてこなかったらどんなに正しいこと言っても意味が無い。 

ついつい先回りしてあれこれ言っちゃうけど、別に回り道する余裕がある人ならそれでもいいわ。
むしろその余裕があることに嫉妬しないように自分が気を付けないと(笑)




気持よく自由を楽しむための「めんどうくさい」だってあると思う - この夜が明けるまであと百万の祈り

ちゃんと価値がわかって、それを受け取れる。私は幸せものなのね (papa told meにそういう台詞があってすごく印象に残ってる)

なんかこの記事、自分でも書いたの忘れてたけどいいこと言ってるような気がする(笑)