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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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かむろば村へ(ジヌよさらば)

<評価★4 テーマに興味がある人は必読>

非正規雇用者のサイレント革命(原案) - ニャート

読みました。

これ読んでて「ヤマギシズム」を想起する人が多いようですが、私は「かむろば村へ」と「花咲き山」を思い出しました。
上の記事は別に資本主義や貨幣を否定しているわけではないので同じ話だとは思ってませんが、やはり私は似たような空気を感じます。



「かむろば村へ」はだいたいこんな話。

この村さいればなんでも解決すんのさ。
ただな、おめが思ったようには解決すねど。
人間が神様さお願いするみでな都合のいい解決ではねえっつうごどさ。
んでもな、必ず解決すっから安心すろ

元銀行員で毎日お金を扱っていた主人公のタケは、とある事件をきっかけにお金を見るだけで吐き気を催すようになり、都会から逃げるようにして田舎にやってくる。そして、田舎のことは知らないが、とにかく「お金を使わない生活」を送ろうとする。

ところが、この主人公、とにかく空気が読めない。無神経。自分勝手。

「お金を使わない生活」を送りたいというだけならともかく、いちいち自分に都合よく考えてつっぱしって行動しては村の人に助けてもらってばかり。なにかあるとその場では反省して誓いを立てるけどすぐにそれを破ってしまう。

最初は役立たずのくせに、自分の理想ばかり語って田舎の情のようなものにすがるタケに対してかむろば村の人達も呆れ顔だった。「ほでなす」(愚か者、の意味)って言葉が何度も使われる。

それでも、なぜか村の人は彼のことを放っておかない。そして、彼は自分勝手ではあるけど私心はない。そこが面白い。

タケさんってモノのためにお金使えないんじゃない、と思いますよ。自分のためにお金使えないんですよ。

「いいですね、みなさん。そこいくと俺はホントダメなんす。ただお金を稼ぐのが嫌で、お金を使うのも嫌なだけなんで」
じゃあそれがあなたの夢でしょう
「え?」
「お金稼がなくても、お金使わなくても生きていけるところ。いつかそこに済むこと。それがあなたの夢ですよ。ふふふ。そんな足のまま人を探している人に夢がないわけがない。あなたはとてもとても不器用な人ですね。みんなあなたをほっとけないんでしょう。」

大事なのは、村側の視点です。村は銀行員のような人たちをどのように受け入れていくのか、そして村そのものはどうやって生きていくのか、そんな視点が得られるところですね。「銀行員」側だけの視点だと、どうしても「いなかぐらし!」に理想や、ありえない期待を持ってしまったりする。自分が得られるものは考えるけれど、自分が村にとって何ができるのか、果たして村はそういう存在をありがたいと感じるのか、という視点が少し弱くなってしまう。

最終的に彼は村長選挙に立候補したりするのですが、その時に、彼の面倒を一番見ていた村長はこんなことを言います。

高見くんは2年前、農業をやりにこの村にやってきました。以来、村のみなさんの世話になり、たくさんの迷惑をかけ、ご飯を食べさせてもらってきたのです。いったい高見くんは何をしたいのか。私はいつもそう思ってこの男を見てきました。彼はこういいます。

「何も買わない、何も売らない、ただ生きていく。」と。

まったく何を甘ったれたことを言っているのか。こんな野郎生きてけるわけがない。しかし、このかむろば村では生きてこれた。この男が生きてこれたのは、私心がないからです。実際自分のためにお金を使えませんでした。いつも人のためにしか使えませんでした。

もう一度いいますが、この男のモットー

「何も買わない、何も売らない、ただ生きていく。」

です。私はこういう人間こそ村長になるべきだと思います。

もちろんこの男が何も買わなくても何も売らなくても生きていける村を作れるわけではありません。過疎が進み、我々はもっと貧しくなるかもしれない

(中略)

私は昨日美しいものを見ました。それは、お湯を注いだご飯茶わんのそこに市zんで要るまっしろい飯粒です。私はかむろば村に似ていると思いました。

主人公絡みの話しかしてませんが、かむろば村ではいろんなことが起きています。そして、そのそれぞれはお金を介さずになんとか解決されていく。そのあたりのやりとりが非常に面白いです。

お金があるとかないではなく、要らないという人間を主人公にしたらどうなるかと思って描いたのがこの「禿場村へ」です。

主人公の高見は、まず県民、町民、村民であることをやめます。そしてモノも捨てる。ものを捨てると電気もガスも使わわないですみます。あとは食い物だけなので、それは自分でなんとかしようとする。
お金を要らないという人は、昔ならピュアとか清いとか聖人とか言われたのかもしれませんが、今の時代だと、うざいやつだったり、はた迷惑なやつだったり、虫の良い奴だったりします。結局みんなに疎まれる人物が出来上がるだけなのですが、お金を要らないという本人にとっては、もうこの世の90%以上の苦労は存在しなくなってしまう。これはいいです。羨ましい。
そして、残り10%の苦労が目の前に立ちはだかってくるわけですが、残り10%の苦労とは何なのか。それはきっと、生きがいであったり、老いであったり、死であったり、愛をくださいとかだったり、お金だけではどうしようもない問題でしょう。そしてそれははからずも、人間が遠い昔からずっっと考え続けてきた問題です。ずっっと考えたけど、なんともしようがなかった問題です。むしろなんともしようがないだろうという答えが出たような気さえします。

つまり、この禿場村へという作品では、人間の問題が何にも解決していないのです。せめてお金があれば、と思うのみです。

しかし(以下略)

正直、何回読んでもわかったようなわからんような作品です。だから、他にも読んでもらって、の作品についてなんかわかったようなわからんようなお話がしたいなと思ってます。

「誰でもないところからの眺め」 おそるべきノマド(遊動民)ウイルス - この夜が明けるまであと百万の祈り



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