頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「愛されたい」人と、「愛されていると感じたい」人は似てるようでぜんぜん違うかもしれない、という話

「同情とか あわれみで僕といるなら やめてください」

「…百ぺん「ちがう」て言うても百一ぺん「ウソだ」って言うんやろ 「ご主人様」?
 まあ ええ 言いたなくなるまで 一万べんでもつきあいますよ」

『二人になると 一人がこわくなる。幸せになると なくす時の失望を考える。
 でも いつか来る その日まで。 僕は この幸せを 耐え抜いてみせる───』(「メイド諸君」 4巻)



読みました。

ほとんどの男性はなぜ妻が喧嘩をしているのかわかっていない。妻は、コップのために闘っているのではなく、感謝され、尊敬され、認められ、そして愛されるために闘っているのだ。

自分の行動が相手をどういう気持ちにさせているのか、夫が気付いてないわけはないと彼女たちは言う。なぜなら、何度も何度も、彼らの行動が自分を苦しめ傷つけていると夫に伝えている。

男性は自分が理解できないことを何度言われても「理解」できないのだ。それに立場が反対になっても自分が傷付かないので、妻が傷付くとは想像もしないのだ。僕の気に入らないことを君がしても、僕は腹を立てたりはしない。だから、まるで妻が自ら選んで傷ついているかのように、男性は考える。

こういう記事を素晴らしいって褒めるのは簡単なんだけれど、あえてひねくれたことを書いてみようかなと思う。



「愛されたい」人と、「愛されていると感じたい」人

なんか賛同している人が多かったけど、これってそういう「パターン」だよね、という話だと思う。

このパターンにおいては、これが正解であるのは間違いない。しかし、この考え方が常に正しいかというとどうだろう。

この話を読んで思ったことは、この女の人は「愛されたい」人じゃないのだな、ということですね。

「相手が自分が思うように自分を愛して大事にする」ことを受け入れるタイプではない。

「私の思った通りじゃないけれど、この人はこの人なりに自分を大事にしようとしている」という考え方は多分出来ない。

「自分が愛とはこういうものだとおもったように相手が振る舞わないと幸せを感じられない」のだと思う。


それだけ「自分が愛される」ということに全く自信がないか、愛というものに変なこだわりを持っているか。

メンヘラが好きな男はこういうの大好物なのかもしれないけれど、まぁ普通の人からしたらどっちにしてもくっそめんどくさいんじゃないでしょうかね。




「愛されていること」=実よりも「愛されていると感じること」=形が欲しいというのはそれはそれで有りだけど、それなら最初からそういう相手を選べばいいじゃん

コップを流しに置くと、妻を傷つけたり、悲しませたり、孤独にさせたり、愛されていないとか尊敬されていないとか感じさせたりする。そのことを、男性が理解する時はくるのだろうか? たとえ理解できなくても、それが真実だと理解し、受け入れる時はくるのだろうか?

これが正解ならば、この話が真実なのだとしたら、もう恋愛は「技術」の問題だろう。 

「夫が本心から妻を大事に思っているかどうか」はどうでも良いのだ。

「妻がそれを愛だと感じるかどうか」が全てだ。

まぁそれ自体は当たり前だと思うが

「妻は、決まった文法に則った形で表現されない愛は愛としてみなさない」というところは大問題だろう。

その決まった形でなければ、夫の愛を信じられず、愛を疑い、否定するわけだ。

そうですかそうですか。すっごい心が弱いね。

なんだろう。傲慢とは言わないけれど、すごい卑屈だなと思う。

なんか以前にニャートさんが昔書いてた図を思い出す。

ttp://nyaaat.hatenablog.com/entry/mentally-weak




なんで「自分は愛されていない」という根拠を一生懸命探そうとするのかっていうと自信がないからなのかな?

別に、私はこれが間違いだとかは思わないけれど、こういう人は、「夫がよほど自分のことを愛していて、自分のためなら流儀を曲げてくれる」というようなドラマのような展開を期待するのでないなら、最初からそういう「自分の臨んだ形で愛を表現してくれる人」を求めたほうが良いと思う。いちいちそういう小さいなことで愛を確かめないと不安って言う時点で自信がなさすぎるので、私はそういうビクビクしてる人とずっと一緒にいるなんて御免被りたい。

ただ、基本的にはそういう人は、自分に自信がなさすぎて、せっかく手に入れたものを壊してしまうような気がする。*1


私自身、とても自尊心が低い人間であるが、だからこそ、こういう卑屈な考え方というのは嫌いなのだ。「相手が○○○だから私はこうなんだ」ってのは卑屈な人間にとっては魔法の言葉だ。相手にコントロール権投げつければ、自分は感情のメンテナンスしなくていいもんね。ただ我慢だけしておいて、どこかの段階で爆発させればいいと思ってる。上の記事の女性は「環境のメンテ」はやってるけど、「感情のメンテ」は全くやって無くて、その責任は全部男性にあるって言ってるようなものだと思うので、なんかあんまり共感できない。*2

私は自分では自分のことをよく卑下するが、だからといって、他人に自分の価値を決められることは御免こうむる。「相手が自分が思った通りにしてくれない→あの人は私の事を愛していないんだ」までは許すとしても「あの人は私のことを愛していないんだ→だから私はダメなんだ、とかだから私は傷つくんだ」みたいな考え方しててなんかいいことあるのかな?そういう他人の愛情の有無を上目遣いで伺って、相手の機嫌や感情に振り回されてボロボロになる経験は散々してきた。そういうの、ほんともう冗談じゃないです。まぁ要するに私は、自分を守るのに精一杯だから、そこまで人に自分の心を預けられない。私は臆病なのだ。恋愛できる人のほうが上等かもしれないけれど、恋愛した結果、こういうマヌケなことを言い出す人を見ていると、すごい醒めた気持ちになってしまう。


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幸せになりたきゃ「自分は愛されている」と根拠なくても信じる力が必要なんだろうと思う

つまり、上の記事で、まず私は「コップを洗ってくれない」という話でいちいち傷つける人がいる、ということにまず驚いたのだ。よくもまぁそこまで心を無防備に他人に預けられるな、というその幸せぶりに嫉妬している。ところが、そんな相手を見つけられたということ自体がとても素晴らしいことなのに、そういうものを、そんな簡単に投げ捨てて壊してしまうということがまた驚きである。そういう人は「幸せになるスキル」が足りないと思う。だから「幸せな状態を当然」と思えなくて違和感を感じてしまう。幸せになりたいなら、その違和感に耐える努力をしないとダメだと思うよ。まだ落ち着かないけど、私は幸せでいいんだって信じる覚悟がないのに結婚するからダメになるんじゃないの?

「幸せになる」ためには自分が誰かから受ける愛情を「受け取めきる」ことが必要なのだろう。それこそ別に根拠なんてなくても「私はこの人から愛されてる」って勘違いできるくらいの人が最強だろう。逆にいちいち根拠や証拠がないとそのことを信じられない、常に疑いチェックしなければ気が済まないってのはもうかなりしんどい。ましてちょっとしたことでいちいち「愛されていないかもしれない」「尊厳を傷つけられる」とか言ってる人は「結婚」と「カウンセリング」「メンタルヘルス」みたいなのを混同しているとしか思えない。結婚にいろんなものを求めすぎだ。「結婚すれば幸せになれると思ってました」という勘違いだ。男なら「妻にセッ○スできる母親を求めている」だし、女なら「夫にカウンセラーやすべてを肯定してくれる父親を求めてる」みたいな話になると思う。そういうんじゃなくても、結婚してる相手に対してくらい、もうちょい自然に「私は愛されてる」って信じるのはだめなんですかね……?



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わーい。エステルさん最強。この子は何があっても幸せになれるね(棒。




冒頭の引用はこの作品から。作品としては駄作の部類に入ると思うけれど、ラストシーンはほんとに今でも好き。


*1:あるいはダメンズにホイホイされるかね

*2:夫が甘えてるというなら、女性側のこうした態度だって一種の甘えだと私は思いますけどね。 他人に対して「甘え」を指摘する人って、自分は甘えてないとでも思ってんのかなぁ。この単語も「相互確証破壊(それを言ったらすべてが終わる)」ワードだと思いますけどね