とてもいい記事だった。
もういじめについてはいろいろ書いてきたので今改めて書くことは無いけれど、過去記事を振り返ってみる。
「いじめ」の他「ハラスメント」についても20記事くらい書いてるので興味有る方は検索してみてください。
基本的にいじめをやる人間は、その方法でしか笑いをとったり集団をまとめられないクソだと思っているし、だからもうダウンタウンやナインティナインが否定されなかったころからのお笑いは殆ど見てない。
最近のお笑いがそういうのではなくなってきていると聞いて逆に興味出てきた。
いじめ裁判 自殺した生徒の口に死んだ蜂は「エンターテインメント」、謝罪もなし|MBS 関西のニュース
いじめに関わったとされる元同級生は男子生徒について「いじられキャラだった」と述べ、死んだ蜂を口に入れようとした行為については「エンターテインメントを求めていた」と話しました。
「聲の形」1巻 改めて「いじめっ子」をストレートに描いたところが衝撃的だった - この夜が明けるまであと百万の祈り
俺が一番知りたいことはどうすれば退屈でなくなるかだ。そして俺はその退屈に毎日わずかに勝利してきた。
どこまで彼女は我慢するのか。このまま続けたら西宮はどうなるのだろうか。西宮をいじめるとクラスは笑う。先生までも笑った。コレだ。コレが西宮の正しい使い方なんだと将也は思った。
硝子をいじめればいじめるほどクラスメートは笑ってくれる。何度も補聴器を奪っては破壊し、いじめたおした。なんという充実感。将也は満足感すら覚えていた。
「煉獄のカルマ」CASE1 いじめっ子の主張に反論できるか - この夜が明けるまであと百万の祈り
仕返しが怖いとか、親に心配かけたくないから相談しないとか、やり返したら相手と同レベルになるから嫌だとか他人を傷つけることは犯罪だとか。そんな詭弁が自分を守れるわけないんだからさ!
嫌なら、その場で抗わなきゃ!
「いじめはなくせると思いますか?」 ムリダナ(・×・) と思ってしまうマンガ「傷だらけの悪魔」 - この夜が明けるまであと百万の祈り
すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。加害と被害の同在という現実。加害と被害が対置される場では、被害者は<集団としての存在>でしかない。被害においてついに自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝動。被害の名における加害的発想。集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。しかし加害の側へ押しやられる者は、加害において単独となる危機にたえまなくさらされているのである。
「加害の側へ押しやられる」という表現にみられる感覚。加害者だって、他の空間であればいじめをやらなかったかもしれないわけで、この空間の圧力について考えないといけない。いじめを「いじめられっ子」と「いじめっ子」の対立と見ている限りは多分何も解決できない。
いじめに対する処方箋は「集団のレベルが上がること」以外にないと思う。ということでおすすめ本2冊紹介
私がいじめ問題についていつも述べているのは「コールバーグの道徳発達理論」です。ブログずっと読んでくれてる方ならまたか、と思われるかもしれないけど過去記事のまとめなので。
第一段階 罰と服従への志向
第二段階 道具主義的な相対主義志向
第三段階 対人的同調、あるいは「よいこ」志向
第四段階 「法と秩序」志向
第五段階 社会契約的な法律志向
第六段階 普遍的な倫理的原理の志向
集団のレベルが2以下だといじめはほぼ不可避。ちょっとでも集団の運営がうまく行かなくなれば、道具としていじめが用いられる。そういう組織にいたら消耗するだけ。
ではそのレベルをどうやって引き上げるかという話だけれど、実例はこの本にかかれている。
マインドセット「やればできる! 」の研究 | ||||
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この本はタイトルだけ見るとうさんくさい自己啓発っぽく見えるけれど、実際は「学校教育」の現場における実践を理論とともに紹介する本であり、ノンフィクションとして面白い。ドゥエック博士という名前を知ってる人ならすでに読んでるはず。「マインドセット」という言葉の生みの親で、「成果を褒めるか、行動を褒めるかでその後の行動が変わる」という有名な話もこの人からスタートしている。
米海軍で屈指の潜水艦艦長による「最強組織」の作り方 | ||||
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この本もそう。ビジネス著書を書くプロが書いた理論の本は全く興味ないけれど、実際のプロフェッショナルが自分の体験を語った本というのは、ただの理論屋にはわからない困難とそれをどう克服していったかという具体的な部分が書かれているのでそこが本当に面白いです。