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はてな民大好きな「中島敦」は実はモテモテだったよという話

東大の学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい
なんとなくこれ読んで中島敦のことを思い出した。(中島敦は東大卒)

はてな民は中島敦の「山月記」や「名人伝」、「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」が大好きである。この三作品を読んでない人間ははてな民として認められないほどである*1。あまりにはてな民の心情にマッチする描写から、「俺たちの中島敦」として勝手にシンパシーを抱いている人も多い*2

私も、良く知らずに李徴や沙悟浄のような生き方をした人なのかなぁと勝手に思っていた。

しかし最近読んだ作品に、中島敦が妻となる女性に熱烈なラブレターを送るシーンがあっておや?と思った

この当時は、手紙は今でいうtwitterのようにカジュアルに使われ、一日に何往復も手紙のやり取りをすることがあったらしいのだが、そんな中彼の手紙はかなりガチであり、作者さんもこのことを「意外なことに」と評している。そっか、なんとなく中島敦にたいしてそういうイメージを持っていたのは私だけじゃないんやな。。。と思ってちょっとググってみたら、本人はむしろモテモテだったよというお話が出てくる。

中島敦 ー 早逝した小説家の意外な実像 - Scrapbook! by 愛書家日誌
最近読んだ「よちよち文芸部」という作品でもこのことがネタにされてました(笑)


私もこんな人があんな非モテはてなに人気の作品を書いたのかとちょっと驚くが、彼の境遇を見るとわからなくもない。

彼の人生はこんな感じだったらしい。

東京帝国大学国文科卒業後、横浜高等女学校の教師をしながら創作を試みるが、持病の喘息にひどく苦しめられて退職。文部官僚となっていた友人の計らいで、転地療養を兼ねて南洋パラオに赴任した。当時、日本の統治下にあった現地の日本語教育の現場を視察しながら、新しい教科書を作成する仕事に就いたのだ。

パラオに赴任する直前、中島は先輩の作家・深田久弥に、『山月記』を含む数篇の原稿を預けていた。それが中島の留守中に雑誌『文学界』に掲載され、好評を得た。一方、健康状態のすぐれない中島は、まもなくパラオから帰国。官職を退き、病躯を押して創作に打ち込んだ。だが、残された時間は1年足らず。数篇の佳作を書き上げたのみで、1942年33歳で逝去した。

上でも書いたが彼は東大卒である。卒業後は高校教師を経て官職につくことになる。今の東大卒なんてのは、私を含め下3分の1はそれほど大したことはないのだが、当時の東大生はまさに皆エリートであったそうだ。そんな中で中島敦は周りの人間に圧倒されたのかもしれない。


彼自身、高校教師として勤めている頃から創作を志していたが、周りの人間が大物ばかりの中で自身はなかなか芽が出なかった。さらに病気のため人生が思うに任せぬ日が続く。周りの人間と比べて何事もなせぬまま人生を終えるのではないかという焦りや劣等感などがあったのかもしれない。

さて、「山月記」は、まだ彼が世に認められる前に書き、療養のため南洋のパラオに赴任することになった際に友人に預けた作品である。「山月記」でも、トラの姿になりもはや自分が人の世に戻れないことを知ってなお、友人に自分の作品を友に披露するシーンがある。これは本来の「人虎伝」の流れとは大きく違うというのは以前も記事に書いた。

このような改変を行ったことについては諸説あるが、なんだか彼のことを考えるとすんなりと受け入れられる気がする。



悟浄歎異についても同じようなことが言える。作品単体としてももちろん示唆に富んでいるが、彼の人生を思うと、ぐっと来るものがある。

今のところ、俺は孫行者からあらゆるものを学び取らねばならぬのだ。他のことを顧みている暇はない。三蔵法師の智慧や八戒の生き方は、孫行者を卒業してからのことだ。まだまだ、俺は悟空からほとんど何ものをも学び取っておりはせぬ。流沙河の水を出てから、いったいどれほど進歩したか? 依然たる呉下の旧阿蒙ではないのか。この旅行における俺の役割にしたって、そうだ。平穏無事のときに悟空の行きすぎを引き留め、毎日の八戒の怠惰を戒こと。それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?

中島敦 悟浄歎異 ―沙門悟浄の手記―



最初は「俺たちの中島敦がー」と思った(※迷惑)のだけれど、一旦裏切られた!と思ってよく見てみたら、ますます中島敦のことが好きになってしまった(※超迷惑)。


というわけで、中島敦から子供への手紙のサンプルいくつか読んでたらこのあたりの本も読みたくなってきてしまった。

「世紀のラブレター」
中島敦―父から子への南洋だより」

特にオチはないです。

*1:※嘘です

*2:※要検証