頭の上にミカンをのせる

マンガアニメ大好き兼業投資家の日記です

社会的な支援を必要とする人は原則として「可愛くないものだ」という認識を持っておいたほうがいい

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障害という言葉がよろしくないなら、こう言い換えよう。彼女らは本当に、救いようがないほどに、面倒くさくて可愛らしくないのだ。

貧困家庭の支援をしたことがある人であったり発達障害の人間や、生活保護世帯、そういった人たちに関わったことが有る人なら知っているはずだが、原則として、「個人的な関係では救いきれないから社会的な支援が必要な人」というのは、基本的に「助けたいと思わない」ような「可愛げがない人間」である。そういう前提からスタートしたほうが良い*1


本当に支援を必要としている人は、みんな「ヒナまつり」に出てくるようないい人たちなら苦労はしない。アンズのように可愛くて良い子で、助けてあげたいと心から思えるような存在であれば、とっくに誰かが助けて問題は残っていないはずなのだ。 

別に公平世界信念なんて持ってないし、いろんな事情で、どれだけいい子であっても不遇な環境に追いやられている人は多い。だが、原則としてはやはりそういう人たちは「自分で周りに助けを求めることができない」か「周りがあまり助けたいと思わない」存在だったりするのだ。これは「にわたま」な関係であり、助けたいと思わない人たちだから誰からも支援を受けられず、孤立しているからこそ性格が歪んでいく。「自分で適切に助けを求めることができない」ために、どんどん悪循環に陥っていくのである。


「助けたい」から助けるのは私的な関係である。社会的な支援が必要な人というのは、そういう私的な関係では救いきれない存在だ。「助けたいと思わない」「なんでこんなやつ助けなきゃいけないのって思う」ような人であっても社会として「助けられるべき」だからこそ社会として支援しているのだ。



私は、こういう現場で実際に働いている人が知り合いに多くいるが、やっぱりきれいごと抜きで「これが私の仕事だから」そうしているのだ、と言っている。ネットみたいに、自分が感情移入できる人だけ助けるなんてことを言ってる人はいない。


こういうのを見ていると、ネットの「反差別」や「被害者支援」みたいな話ってなんか的がずれまくってるなと思う。ネットって自分と近しい人に肩入れする話ばかりで、社会制度としてどうこうで論じてる人いないよね。だったらそれは私的な話でしかないので、そのことを自覚してほしい(だめだ、とかやめろ、と言ってるわけじゃなくて、混同しないでねってことです)



被害者意識の表明と、周りからのクソバイス拒否のバランスについて

そういう意味で、一昨日くらいに宇野ゆうかさんが書いてた記事は基本だけど大事では有るよね。


「被害者」を中心にして書くとこうなる。「被害者」って当たり前だけど被害をうけてるんだから、心がすさんでるんだよね。そういう人が普通の人と同じように思考したりするのは大変だし、無理って言っても良い。ようするに被害者ってのは「一般人にとっては」めんどくさい人なのだ。だから関わろうとする人は、予めその「めんどくささ」を受け入れる覚悟をしてねってことだ。



その上で、私は「被害者意識との向き合い方」ってことをずっと書いてて、逆に言えば、周囲から口出しされたくなければ被害者は自分の被害を表に出しにくくなるし、被害者は被害者自身の努力で、自分のその被害者意識を克服できることを示さなければならない(いつまでもその被害を抱え込んでたり、それについてネットでグチグチいってたら人は他人から口出しされても仕方ない)と考えてる。


この当たりは本人の問題であって、他者が急かしたり、口出しするのは難しいと思うんよね。
被害者意識との向き合い方 カテゴリーの記事一覧 - 頭の上にミカンをのせる

人は一人で勝手に助かるだけ、 だから、僕は力を貸すことは出来るけど助けることは出来ない(化物語)


被害の事実だけならともかくその事実から生じる「被害者感情」についていつまでもグチグチ他人に言い続けててたらネットで不要な口出しをする人は今後も湧き続けるだろう。はたして、このバランスのほうがいいのかどうかは、ちょっとわからない。

少なくとも言えることは、バランス感覚がない人の意見にはだれも聞く耳を持たないってこと。私は「毒親」に苦しんだ人が、自分の受けた苦しみについて語るだけならともかく、他人の家庭の話にまで毒を吐く光景が死ぬほど嫌いです

でも、そんな人でも社会的には支援が受けられるこの国は今のところとてもやさしいと思う。


反差別運動について

ちなみに話は変わるけど、「差別はよくない」といういかにも道徳的なスローガンを述べる人たちでも、こういう「かわいくない」存在をみかけると「積極的に助けるべき」ということは基本的に言わない。

基本的にネットで反差別を主張する人たちは、差別の根本には関わらない。基本的に反差別と言って入るが、自分たちの権利を拡大し、不利益を排除したいだけだ。権利団体である。だから、自分たちに関係のない差別、自分が好きでなあいものが差別されていることに対してはとことん冷淡である。たとえば、女性の性的被害について訴え、男の無知を問題視するような人でも、「金のない汚いおっさん(KKO)」に対しては自業自得だと言う。保育士問題に置いて、男側が不利な条件に追いやられていたら、平気で差別的な発言をしたりもする。


別にこれは責めているわけではない。差別に対する議論というのはそういう曖昧なもんなのだ。 あくまで権力闘争や再分配を廻る議論であって、普遍的な正義のための戦いではない。反差別が普遍的な正義になるのは、分配するリソースが余剰にあるか、そうすることによって全体のリソースや幸福度が増えるときだけだ。あるものが別のものから何かを移動させようとすれば、大抵は争いになる。いつまでも豊かな日本を前提としての反差別論を述べてたら、余計に分断をあおるだけ



反差別の運動は単なる権力闘争のようなものであると考えるのは残念だと思う人もいる。例えば「反差別と言っていれば正義ぶれる」と勘違いしてる人からすれば、自分の雑さや暴力的な発言に責任が生じてくるからだ。だが、それでいい。いろんな方向からそういう戦いがあってそれらがぶつかり合って調整されていけば良い。


でも絶対正義なんかじゃなくてそういう「その程度のものでしかない」と認識することで、他者に配慮しつつ丁寧に議論ができるんだと思う。自分を絶対正義だと思ってる人ほど雑で危ない人はいない。だからその程度だからこそ丁寧に議論するんだって人が増えてほしい。 そのあたりを勘違いして、雑なデータや雑な煽りをする人間は、どれだけ主張が正しかろうがそれを旗印にするべきじゃない。「自分たちの反差別運動だけが正義であり、自分たちの運動の妨げになるものは排除したり抑圧しても構わない」とおもってる人間は論外で、差別について何もわかってないし非常に危険だから近寄らないほうがいい。


この部分を理解してない人がいう反差別は、善意か悪意かはわからないが結果として「差別している人」=「やっつけるべき存在」、「差別されている人」=「助けたくなるような人」というイメージを作ろうとする。そして、そういうやり方をすることによって「差別はしているけど良心的な存在」や「差別されているけどかわいくない人たち」を排除してしまったりする。例えば「反オタクや男性憎悪、性表現への嫌悪などが混じった人」たちが自分の主張に不都合だから「女性オタクの存在をないものとして扱う」という現象が起きる。

こういう分断をあおるだけの活動をしている人はスラクティビズムに過ぎないし、反差別なんて名乗る資格はない。だれよりも他人を差別してるのはあなたたちだよ。


余談 少女漫画におけるレイプ表現について

全然上の話と関係ないけど、「生徒諸君!」の話ググってたら出てきた下記記事が面白かった。

http://www.tinami.com/x/interview/10/page4.html:embe

*1:これを道義的な観点で否定しようとするやつは、じゃあ黙って1年間支援活動に従事してみろと言いたい。少なくとも私は数年年やった上で言ってます。普段当事者性を大事にというのであれば、まず当事者になってみてください。貧困家庭の教育支援事業に応募してくる家庭の子供や、生活保護世帯の人と会話をしたことがある人はいるだろうか。高齢者福祉施設で長年働いてきた人から話をきいたことはないだろうか。発達障害者の就労支援事業は? そういう経験をした上で、それでもみんないい人たちしかいないといえる人になら上の言葉を否定されてもいいが、私は少なくともかわいいとは思えない人がかなりの割合でいる。