頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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文章を構成する力に自信がない間は、1つの記事に主張は1つだけにするよう心がける

読んだ人が「この文章は、○○について△△△という主張をしている記事だ」という大本の部分でどう解釈するかはできるだけブレさせないようにしたいところです。




例えばこういう感情があるとします。

犯人に是はないけど、私がAKBを嫌い(邪魔)な理由:1)露出が激しすぎる (好きなラジオ番組が乗っ取られ、面白くなくなった) 2) チャート系が予定調和になった。まあ勢力に迎合するメディアに原因があるのかもしれないけど

感情自体はよくあることだと思います。ただ、これを文章で書くときに、このまましゃべるとゴッチャゴチャになります。①犯人に対する批判と②AKBに対する嫌悪と③マスコミ批判とを、明確に意識して書き分ける実力がないなら、記事を2つ3つと分けていくべきでしょう。(書き方を工夫すれば、全部1つの記事に収めて伝えることは可能です)




同じAKBに関する記事を書くときでも、

AKB商法の仕組みを批判したい
・AKBのレベルが低いことへのいらだちを語りたい
・なぜAKBが人気なのかの自分なりの考えを語りたい
有名税について語りたい   …etcetc

のようにいろんな考察要素がたくさんあることはいいことです。ただ、それを一つにまとめ上げるだけの構成力がないなら、絞りましょう。 この中で自分がどれが一番言いたいことが、どれが自分がメインで主張したいことか決めましょう。 つながりも考えず、言いたいことをただだらだら述べたところで、読者は結局何がいいたいのかわかりません。不親切だと思います。

読者の視点が、書き手からして枝葉末節にいっているとしたら、それは読み手にその記事で何が言いたいのかさっぱり伝わっていないからです。 変な反応を貰う人が多い人は、まず「自分がこの記事で絶対に伝えたいことはなんだったか?」を確認し、それと読み手の反応がどの程度、どうずれているのか、それはなぜか、あたりを振り返ってみると、次に繋がると思います。 




長いのにスムーズに読める文章というのは、「主張に至る思考の過程が行ったり来たりせずあっちに飛んだりこっちに飛んだりせず一直線である」か、「いったりきたりしているように見えても主張が明確に絞りこまれており軸の部分ではブレがない」のどちらかであることが多いと感じます。…というか、記事のタイトル付けってその軸となる主張を確認するためにあると思ってます。記事タイトルと内容に乖離が大きすぎる文章は嫌いです。



複数の主張を語り、なおかつ読み手にまとまりを感じさせる文章をかけるようになるためには、文章構成力が必要になります。構成力が身についてくれば、複数の主張があっても、それに優先順位をつけたり、流れを作ったりして、読み手にわかりやすく話を並べることも出来るでしょう。 しかし、最初からそれをやるのは困難です。 うまく構成できないうちは、あれもこれも述べようとしないほうがいいでしょう。どうしてもその話題について複数主張したいことが有って、自分の構成力が及ぶ範囲で、主張を1つずつあるいは2つずつと、細かく分けて書くべきです。


そもそも、複数話したい主張があって、その中で自分が何が一番大切だと思うかさえ分からないなば、それは自分の頭の中できちんと整理できていないということです。まず自分の中でもう一度「自分にとって何が一番重要なのか」を考えてみるといいのではないでしょうか。








もちろん、これは「伝えたいことがあって文章が書く」場合の心構えです(プレゼン?)読み手を特に想定せず、伝えることを目的とせず書くだけならテーマなど気にせずどんどん思ったことを詰め込んでいけばいいと思います。ですが、その時は周りから意図せぬ反応があっても「自分の思った通りに伝わらない」ことに怒ったり、相手の反応をバカにしたりしてはいけません。あなたは「理解」を求めるに値する努力をしていないからです。

逆に、読み手としても「伝えることを目的とした文章」以外で、いちいち書き方にケチを付けるべきではないかもしれません。




私は文章構成力に自信がないので、1つの記事について主張は1つに絞り、あとはその理由付け、説明をするという意識で書いていこうと思います。 その主張と関係ないけれどどうしても言いたいことは、余談として切り離すか、別の記事にできそうなら別の記事にしたいところです。