頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「ネムルバカ」

前から「駄サイクル」の元ネタだということは知ってたけど読んだの初めて。
外天楼は好きだけど、それ町があわなかったのよね…。
でもこの作品は面白かった、好き。

「才能の壁」「人生のネタバレ」を自覚した上でどう振る舞うか

「お前らみんなイミ分かんねえっつってんだ。お前ら…なんだ!?なんの目的もなくただ毎日生きてんのかよ!?」
「嫌…イイ女と付き合いたいとか美味いもの食いたいとか目先の目的はありますよ」
「先輩からみたら俺らみたいなのイミわかんないかもしれないけど」
「俺からみたら音楽で食っていこうとしてる先輩のほうが宇宙人みたいに見えますよ」
「この歳になって、目標がぶれてない先輩が、運が良いんですよ」


「デカすぎる目標を立てるのは、何も出来なかった時のカモフラージュかもしれないけど」
「やりたいことがないって公言するのも何も出来なかった時の言い訳なんじゃね?」
「先輩。最近は周りに情報が多すぎて、自分レベルの人間がどの地位止まりか早い段階で見えちゃうんですよ。本当のところ、先輩も自分の中ではわかってるでしょ…自分の音楽のれべるとか、どこまで通用してどこで限界が来るか、とか。目標に達するまでのカベの厚さも、カベを掘りきれるかどうかも。それがなんとなく自分でわかってて努力するのシンドイじゃないですか」
「このボケーっ!私は何もしないでゴタク並べる奴が一番ムカつくんだ!」


「あの人わかってねーな。やりたいことのある人とやりたいことがない人の間に、何かしたいけど無いができるのかわからないってカテゴリーがあって、8割方そこに属してると思うんだがね」


こうやって、言い訳して行動しない奴にムカつき反発する鯨井先輩が
魅力的に見えるのは

1 天才と凡人の区別を知って、自分を凡人と自覚して自分の壁を認識して
2 自覚した上でそれでもなお努力し続けていて
3 一定の成果を収めているからだ。


簡単に言うケドね
ある程度まで行った所に、めちゃくちゃ硬くて厚い壁があるんだ
どれくらいの厚さかもわかんない壁が…。
それをどうにかするために皆切磋琢磨してんだ
でも時々天才と呼ばれるやつが現れて、いともあっさり壁を越えていく
さらにいえば、もしかしたらそいつらは最初から壁の向こうに生まれるのかもしれない

そう思うとアホらしくなってくるわな


これは昨日書いた記事の「自己肯定」の感覚に相当すると思う。

1 自己尊重レベルを妄想でごまかさない。
  (駄サイクル先輩のように)他人を見下したりすることで自分を持ち上げることなく
  きちんと自分の実力を理解した上で、受け入れている

妄想ってのは、妄想の中でウソを演じてる限り、絶対実現することはありえないの。

2 それでも自分を卑下しないで、自分ならできると信じられている。
  できないかもと思っても、恐れずに自分を鼓舞して自分の目標にむけて努力し続ける。

「あれは…自分に言ってたんだ
 そりゃ…私だってずっとここでフワフワと暮らしていたいよ…でも、それじゃダメだ…」
 どっかに風穴開けなきゃ、閉じっぱなしなん…

こういうところが「何者にもなれない自分たち」をなんとなく受け入れてしまっている人からしたら眩しく見えるんかな、と思う。


極めて冷静に現実を受け止めている様子が前に描かれていて、
苦しい状況でも内職とかしながら努力を続ける様が描かれてきて
人間関係も、決して疎かにしない面倒見の良い先輩として表示されて、
その上で「諦めんなよ!」っていうセリフが出てくるから格好いいと思える。
生き方に芯が通ってる感じある。

「ガンバレガンバレ諦めるな!」を松岡修造や入巣先輩が言うのと、私が言うのでは全く意味が違う。 自己受容ができていない状態で人を攻撃しまくり、特別な努力が見られずで、成果も微妙な私は、自分に言い聞かせることが出来ない。

個人的には戸田誠二信者であるし「有名無実の無名な人たち」こそがこの国を支えていると思っているので、「何者かになること」そのものが絶対の正解ではないとは思っているけれど、それでも鯨井先輩は魅力的に見えるよね。




こんな先輩がメジャーデビューのスカウトを受け…という後半の展開は
実際に読んでみてください、と思うけれど、
なんか最後の入巣先輩、ちょっと「魔法少女まどか☆マギカ」のまどかみたいだったね。

「私…すべての駄サイクルを生まれる前に消し去りたい。
 すべての宇宙、過去と未来のすべての駄サイクルをこの手で…」

「その祈りは!?そんな祈りが叶うとするならそれは時間干渉なんてレベルじゃない。
 村の掟そのものに対する反逆だ!君は本当にアイドルになるつもりかい?」

「アイドルでもなんでもいい。今日まで駄サイクルと戦ってきたみんなを、
 希望を信じたアマチュアたちを泣かせたくない。 最後まで笑顔でいてほしい。
 それを邪魔するルールなんて壊してみせる。変えてみせる。
 これが私の祈り、私の願い。さあ、叶えてよ、インキュベーター!!

そんな鯨井ルカ先輩がどういう家庭で育ったのか描かれてる番外編が好きです。
ネムルバカは「響子と父さん」につながっているので、そちらも読むといいです。

父「お前は~~部屋はボロい服はダサい給食くったらとりあえずマズい行事はひと通りツマンネーと言っておけば体裁が保てると思ってる中学生と同じだな。そうやってなんでも反発しておけば自分がちょっと上等だと錯覚できるかもしれんがね。そんなのはメッキだ、安物のメッキ!ピカピカ光ってなんでも反射しやすいけど中身はスカスカのままだ、メッキ人間!

(中略)
父「お前も何でも受け入れて、どーしても納得いかないことだけ排出する努力をしてみろ」

ルカ「してるよ!」父「してない!」
ルカ「帰れ!単純シルバー」父「言われなくてももう帰るよメッキゴールド!」
父「まったく…あのバカタレは誰に似たんだ」
姉「…超・お父さん似だよ…」

こんな風に良い年頃の娘に対してもうざったいくらいにズカズカ踏み込んでいく
おっさんの元で育ってたら嫌でも反発で自我が育つし、
なんだかんだいって、おせっかいな先輩になっちゃうよね。

でもルカ先輩の恋愛模様なんか見てみていな。




アマチュアリズム賛歌とその先

アマチュアリズムの賛歌としてのとしての「らくえん」と「その先」を描いた「どんちゃん」について触れているこの記事マジ素晴らしい。

ここにあるものはもてる「技」をいかにして社会と接地させるか、という問題だと思うからです。どれほど優れた才能であっても、社会とコミットできなければ、無に等しい、ということ。どれほど傑出した天才であっても、それをビジネスにすることができなければ、しょせん自己満足です。アマチュアリズムであるに過ぎません。『らくえん』はそういったアマチュアリズムの賛歌でした。しかし、あれは一時の、燃え上がる炎の物語だった。それが一生続くとしたら? それで本当にいいのか? 物語は問いかけてきます。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090720/p1

実際、kaienさんの素晴らしいところは、己の理想から現実をくさすだけでなく、その理想にちょっとでも近づけるように、それを実践しながら生きられるように、ぶっちゃけ、好きなことを言いながらもちゃんと自分で食っていけるように、現実でも生きていけるように試行錯誤を繰り返しているところだと思います。これ、イケダハヤトさんも同じ。大変な道をちゃんと自分の意思でしっかり歩いてる人はスゴイと思う。

手段の是非はあるにしても、ここを切り離して理想語ってるだけの人と、そうでない人の差は大きい。「らくえん」を物語として、その精神性を絶賛しつつも、現実はその理想だけで終わっちゃいかんよね、というバランス感覚を感じられることと、「ネムルバカ」を絶賛するあまり、アマチュアリズム賛歌の段階で満足してしまってる人とでは、自分の中ではだいぶ違う。