この発言いいっすね。
昨日こういう記事を書いたのですが、
「文庫女子フェア」でやらかした紀伊國屋書店男子が書いたポップを読んで妄想してみた - (修行中)
長々と書いたはいいものの
言いたかったことはタイトルの一言に集約されると思いました。
①面白いものを広めよう、目立たせようとして、
②「自らが奇をてらったことをしようとして、自分が面白いと思ってる」
「でも周りから見ると面白く無い」
「自らの面白くなさ、が悪目立ちしてしまう」
これは本末転倒だよね、というこういう話だと思います。
そのズレた先にPCの問題とかがあったわけだけれど、
PC云々の前に、「お前それ面白いつもりかもしれないけど全然笑えない」って問題があるのかな、と。
面白い作品を伝えようとして、
「自意識」が前に出過ぎたり、「他者言及」が前に出過ぎて、
肝心の面白い作品について全然伝わらないどころかマイナスイメージがついてしまう。
これは、すげえもったいない……。
わたしも、何か作品についての記事を書く時はこういう記事を書きたい。
「作品紹介が目的であれば」
私自身の意見が主役になってはいけない。
ちゃんと主役を作品、にして、
作品についての情報を面白く伝えたい。
難しいんだけどね。
— よしき (@yoshiki_kabu) 2015, 1月 3
それはわかるんだけど、
①「面白いもの」について「どう面白かったか」を考える
②①で自分が考えたことを、他の人に「こんな風に面白かったよ!」と伝える。
③伝えた相手にも「面白そう」だと思ってもらう。
ただそれだけのことがどうしてこんなに難しいんだろう。
どの段階で、「本末転倒」や「自分が過剰になる」現象が起きてるんだろうね。
自分の過去を振り返ると、それぞれの段階で、それぞれ違ったやらかし方をしてる気がする。
①の段階で面白さの基準が独りよがりになったり、狭くて硬直した範囲に絞っちゃうと反感を買う。
②の段階で「自分が過剰になる」と、面白いものの話そっちのけで自分を主役にしちゃう。
そうなると、単に価値観の押しつけになって、合わない人には嫌われる。
③の段階で相手に合わせることをしないと、話の内容が正しくても
「私にはわからない」とか「私をなめているのか」って感じになっちゃう。
私の場合は、①で80%くらい躓いてて、②の段階はあんまり問題ない。③の段階で半分ひっかかる感じかな。
10%も伝わればいいほうだと思う。
①の段階でもっとオープンになれればいいなと思うけれどこっちは難しいと思うし、
狭いことは狭いなりに焦点は定まるから、いきなりどうしよう、ってのは無いけれど
③の部分については、もっとうまいことやれるようにしたいな。
自分のキャラじゃない、とか言ってないで、伝えたい相手にあう感じ、を掴まないとなー。